午後の授業の内容など全く耳に入らなかった



「・・・セレニティ」

 あんなに大切だった存在を・・・なぜ今まで忘れていた?

 封印されていた記憶が
 堰を切ったように次々と鮮明に思い浮かんでくる


 あの艶やかな髪 柔らかい唇
 温かいぬくもりに数え切れない程触れた
 心の奥まで照らしてくる優しい光に何度も癒された


 何もかも思い出した

 彼女はわたしのすべてだったということを
 すべてをかけて愛し、そして・・・愛された

 己の命をかけて最後まで彼女を守れて本望だった
 もう、二度と会えないと思っていたというのに・・・



 ・・・・・・・・


 じっと自分の両手を眺める

 どうしても手に入れたくて
 彼女を無理矢理闇の世界に連れ去った
 それが出来る力が昔のわたしにはあった

 ・・・だが、どうやら今はただの無力な人間のようだ
 昔のような体の奥からみなぎってくる闇の力の気配が
 もはや全く感じられない

 今のわたしには、光のない世界へ連れ去る力も
 彼女を守る強い力も無いということか・・・



「・・・っ!・・」

 その無力な両手に苛立ち
 硬く拳を握る


 ・・・分からない
 なぜわたしはここにいる?

 自分は確かに死んだはずだ
 転生したのか?
 わざわざ過去の世界に
 ・・・彼女の傍に

 なぜだ・・・
 それに何か意味があるとでも言うのだろうか



「・・・だめだ」

 いくら悩んでも考えがまとまらない
 わたしは・・・これから彼女とどう接して行けば良い?

 過去を打ち明けるか?
 ・・・それでどうなる

 彼女は、わたしの事を覚えているのだろうか
 それについて向こうから触れてきた事は一度もない
 気づいていないのか?

 それとも、もう忘れきったのか・・・


「一時は、恋人同士のような関係だったというのに
・・・冷たいやつめ」

 頭の中を複雑な想いが耐えずぐるぐると駆け巡る
 まだ授業中だというのに構わず机に突っ伏した

 何も・・・頭に入らない




 そうこうしているうちに気が付いたら放課後になっていた
 いつも通り、生徒会の時間がやってくる


「・・・ふう・・」

 気が重い・・・
 一向に生徒会室へ足が向かわない

 今は余計な事など一切考えたくはない
 彼女の事だけを考えていたい



「いつもの場所へ行くか・・」

 方向を変えて屋上へ向かう






 廊下を歩いていたら
 少し前を行く金髪のおだんご頭が目に入った


「!!」

 とっさに曲がり角に身を隠す


 ・・・なぜ隠れる?
 彼女への想いを思い出したばかりで・・・微妙な心境だ
 鉢合わせには少々躊躇いがあった



「・・・・・・」

 距離を保ちつつ遠くから眺める


 帰る所なのだろうか
 カバンを振り回しながらスキップをして
 それに合わせておだんご頭の垂れ髪が楽しそうに左右に揺れている

 ・・・相変わらず能天気な後姿だ
 何が楽しいのか、鼻歌がこちらまで聞こえてくる

 幸せそうだな・・


 平和な世界のごく普通な生活
 ずっとおまえが望んでいたもの
 それをやっと手に入れたのか



「良かったな」

 気づかれないように小声で語りかけた

 アメリカにいる彼氏というのは・・・おそらくあいつだろう
 わたしがいなくなって元の鞘に収まったということか
 その現実を目の当たりにつきつけられ
 失望の念を抱かざるを得ない


 ・・・まあ良い
 元々彼のものだったのだ
 それを力尽くで奪い去ったのはわたしだった
 そして身を挺して彼女を守りきったあの時、彼に返した
 わたしと彼女の関係は終わった・・・



 あの時もそうだった
 身勝手な愛情が彼女を苦しめる

 わたしの事を覚えていないのも
 辛い過去を忘れたかったからだろう
 それを無理に思い出させることもない


 わたしは・・・なぜ思い出した?
 あのまま何もかも忘れていた方がどれだけ楽だったか
 なぜ、もう一度出会ってしまったのだろう

 彼女の後姿を壁越しに眺めた



「・・・こんなに近くにいるというのに」

 二人の距離は近いようで・・・果てしなく遠い
 もう手を伸ばしても届かない気がする

 どこまでもすれ違う・・・
 結局それが二人の運命なのだろうか


 それでも 良い
 例え隣にいるのがわたしではないとしても
 おまえが幸せならそれだけで・・・



 ・・・・・・・・・


 声もかけず、このまま去ろう
 彼女に背中を向け、別方向に足を出す



「あーーーーっ!!」

「・・・?」

 その瞬間、背後から大声が聞こえてきた
 好奇心を刺激され、彼女の様子をちらりと伺う


 あたふたしながら
 辺りに散らばったノートや筆記具を拾っている
 どうやら振り回していたせいで
 カバンの蓋が開き、中身を床にまき散らしてしまったようだ


「もう・・・
あたしったらどうしていつもこうなのよう;


ぎゃーーっっいったーーい!!」

「!?」

 自分の髪を膝で踏んづけて絶叫を上げている


「首いったーーい!髪いったーーい!!

もうやだあっっ」


 なんだ あいつは・・・
 先程から一人で何を騒いでいる?
 どうしてそんなにドジなのだ



「・・・くっ・・くく・・
はははっ」

 震えながらその場に崩れ落ちた
 間抜けな様子に笑いが堪えられない



「おまえというやつは・・・
何も変わっていない あの頃と」

 思い出した
 あいつはいつもそうだった

 わたしがこんなに不安で心揺れているというのに
 そんな事お構いなしにいつも自由奔放に振舞われ
 こちらはそれに振り回されてばかりだった


「なんてやつだ
わたしの苦悩を一蹴しおって・・・」

 その屈託無い素振りに
 悩んでいる気持ちが吹き飛ばされる
 彼女の姿を見ているだけで心が和んで
 胸の奥が暖かくなっていくのが分かる

 悔しいが
 彼女の事をどこまでも深く愛しているのだと思い知らされる
 昔も、そして変わらず今も


 変に煩う必要など・・ないのかもしれない

 過去は過去 もうすべて終わった事だ
 この平和な世界で二人の新しい関係を作れば良い
 再び恋人になろうが、例えこのまま友人のままだとしても
 それならそれで良いではないか


「ずっとおまえに会いたかった」

 その想いは真実だ

 わたし達はもう一度ここから始まる
 今度はごく平凡な出会い方が出来た
 光の溢れる世界で彼女の傍にいれる

 昔のわたしがどれだけ望んでも手に入れられなかったものが
 ここには溢れている気がした



「退屈など・・・していられないな」

 込み上げる笑いをなんとか堪えて後ろから近づいて行く
 その瞳とまたやり直すために





「うう・・・頭がズキズキするよう;」

「だから・・自分で踏まないように気をつけろといっただろう?」


「・・・!!」

 へたり込んだままわたしを見上げる澄んだ瞳


「わたしの忠告も聞かず
学習もせずに何度も同じことを繰り返す

・・・おまえはサルか」

 落ちているペンを拾って彼女に差し出した


「ほら・・・」


「ありがとうございます

・・・紫藤生徒会長」

 少しむっとした顔でそれを受け取った

 こいつ・・・わざとその呼び方をするか



「昼間の事 怒っているのか?」

「別に怒ってません
何のことですか?何かありましたっけ
サルだから忘れました」

 しれっとした顔でぶっきらぼうに答える


「・・・怒っているだろ」

「怒ってませんってば!

会長と特に話することないし
・・・失礼します」

 散らばった物を少し乱暴にカバンへ放り込み
 早足にわたしの前から立ち去ろうとする



「待て」

 逃げようとするその腕を捕らえた


「は・・・離し・・」

「逃げるな

・・・うさぎ」

「!!」

 優しく、なだめるように名前を囁かれる
 その低い声が耳の奥まで響いてきて
 不思議とそれに聞き覚えがあるような・・・

 ゆっくりと 呼ばれた方を振り返った


「・・・・・・」

 何、この状況

 黙ったまま じっと熱い瞳があたしに注がれ続ける



「何・・ですか?」


「・・・先程のことは謝る」

「えっ?」


「少し言い過ぎた ・・・許せ」

 真面目な顔で謝られた
 さっきからずっと腕を掴まれたままで
 なんだか落ち着かない

 手のひらに汗が滲んでくる



「離して・・ください」

「・・・・・・」

 その言葉に従って腕を離した


「・・・・・・」

 あたしの言葉を待っている
 なんて言えばいいんだろ


 謝ってくるなんて ・・意外だった
 どうしてそう思っちゃったのか分からないけど・・・

 でもなんだかすごく反省してるみたい



「・・・先輩ってさあ」

「何だ?」



「彼女いないでしょ!!」

「!?」

 突拍子もなく何を聞いてくるのだこいつは・・・


「ほーら、図星だ!!」

 ニヤニヤしながらこちらに指を突き出してきた


「ちょっと待て
・・・なぜそういう話になる」

「だって
あたしが羨ましかったんでしょ?
だからあんなに突っ込んできたんだ

もうっっ後輩に八つ当たりしないで下さいよ」

「・・・っ・・」

 何てやつだ・・
 勘違いも甚だしい

 その誤解を解きたいが
 ・・・真実を話すわけにもいかない
 言葉を呑み込んで目を逸らした


「・・・勝手に結論を出すな」

「大丈夫ですよう
そのうち先輩にも物好きな人が現れますって!」

「・・・っ!・・何だその言い草は
おまえ、わたしを何だと・・」

「もう、いいんです」

 にこっと 優しい笑みがこちらに向けられる


「別に・・はじめから気にしてません

あたし
何言われてもめげないのがいい所なんですよ?」



「確かに・・・昔からそうだったな」

「・・・え?」

「・・・っ・・
いや、何でもない」

 迂闊に出そうになる言葉をそのまま止めた


「でも・・・
もうちょっと女の子の気持ち考えてくださいよ?

でないと、本当にいつまでも彼女出来ませんよー?」

「・・・・・・」

 沈黙を答えにして返す




「体は大丈夫ですか?」

「・・・なぜだ?」

「いや、さっきあたしのせいで階段から落ちちゃったから・・・」


「ああ・・・あれくらい
どうとでもない」

「あたしこそ、すみません・・・

やっぱもうちょっと気をつけて行動しないとですよね」


「・・・おまえはそれで良い」

「はい?」

 いつまで経っても変わらない
 その姿がわたしの安らぎなのだから



「多少抜けている方が、からかい甲斐がある」

「なっ!
先輩にからかわれたくてドジしてるわけじゃないんですからねっ」

「なんだ、違ったのか」

「・・・んむむむ」



「また・・・来い」

「・・・?」

「あの場所へ
わたしは大抵暇なときはあそこにいる

・・・待っている」

「え・・・と・・」

 それはどういう意味?
 わざわざ会いに来いって言う風に聞こえるんだけど・・・
 気のせいかな


「・・・・・うん」

 聞かれるがままに頷く


「・・・・・・」
「・・・・・・」

 少しの沈黙の後
 ふっと笑って背中を叩かれた


「また明日な
遅刻常習魔の月野うさぎ君」

「・・・っ!
なによっ
明日はぜーったい遅刻なんてしないんだからね!!」

「はははっ」


穏やかで平和な明日がまたやってくる