「あーまこちゃんの手作りクッキーおいしかった！」

　ぽかぽか陽気の昼休み
　みんなでのんびりと廊下を歩いていた


「お弁当食べた後でよく食べるよな」

「甘いものは別腹なのよう
昔からいうじゃない
飯食えば腹が鳴る鳴る法隆寺ってね！」

「美奈子ちゃんたら；」

　わいわいとおしゃべが弾む
　その時、屋上へ行く階段の横を通り過ぎた


「あ、ここは･･･」

　この前の放課後のひと時を思い出す



　またな



　その言葉が頭にふっと思い浮かんだ


「･･････」




「もうっ亜美ちゃんたら、頭固いわよ
もっとユーモアを持たないと！」

「ちゃんと正しい俳句を覚えた後ならそれもいいと思うの
でもね、
基本をおさえないで間違ったことを覚えちゃうのは･･･」


「あれっ･･うさぎちゃんは？」

「･･･あら？」

「今まで一緒にいたのに･･」





「･･･別に、会いに行くわけじゃないのよ」

　自分に言い聞かせるように呟きつつ
　恐る恐る屋上への階段に足を向けた

　一段上る毎に
　心臓の鼓動が大きくなっていくのが分かる

　やたらと緊張してきた･･･変なの



「･･･いない」

　人の気配が全く無い　静かな空間が広がっていた


「なんだあ；」

　一気に緊張が緩む
　その場に座り込んで心を落ち着けた

　ちょっと残念だったようなほっとしたような
　･･･変な気分


「そうそう居るわけないわよね
忙しそうだし」

　どうしよ
　みんなのところ戻ろうかな


「･･･そういえば」

　屋上への入り口
　この前彼が寝そべっていた場所に目が行く

　ここって　そんなに気持ちいいのかな？
　少し興味が沸いた



「･･･どれどれっ
ちょーっとだけお邪魔しますよん」

　試しに横になってみる

　程よく静かで、ひんやりとした床が心地よい
　遠くで響く誰かの声が天井にこだましてきて
　ほわほわと耳に伝わってくる

　やだ･･･意外といいじゃない、ここ


　そういえば･･･
　ずっと戦いばかり続いていて忘れていた
　平凡なだけの日々がこんなに素敵なんだって

　何事も無くただ淡々と過ぎていくだけの時間
　平和な日常に･･･心がとろけそう


「気持ちいい･･･なんだか本当に寝ちゃいそうだよ」

　自分の鼓動が耳の奥で共鳴する
　こんなにゆっくりしたの久しぶりかも

　柔らかくて暖かい日差しに
　胸の奥までふわふわでぽかぽかだあ･･･







「･･･なんだ、こいつは」

　目の前の光景に己の目を疑った

　少々時間が空いたから
　午後の授業まで休もうと思っていつもの場所に来たら
　そこを先に占領しているやつがいた

　わたしの特等席を陣取って
　堂々と大の字で高いびきを立てている


「秘密の場所を知られたと思ったら･･･早速これか」

　うたた寝ならともかく･･
　よくこんな所で熟睡できるな
　こいつ、意外と大物なのかもしれない


「･･･うふふ」

　にやけながら寝返りをうつ
　その緩んだ姿に笑いが込み上げてきた


「くくっ
本当に･･色々と退屈させない女だ」

　さて、どうしたものか

　仕方ないからこの場は明け渡してやるのは良いとして
　このままだとおそらくずっと起きないのだろうな


「午後の授業をさぼる気か、おまえは」

　そんなことは生徒会長として見過ごしていられない
　叩き起こす役目が必要のようだな･･･

　彼女のすぐ脇に座る



「･･････」

　無防備な寝顔をこちらに向けて･･
　よくこんな顔を人に見せられるな

　誰の前でもこうなのだろうか
　･･･だとしたら油断しすぎだ


　こうして二人でいると、周りの空気が一変する
　澄んだ空間に、穏やかな時がゆっくりと流れていく

　光に透けて輝く金色の髪
　それが手を伸ばせばすぐに届く距離にある
　誘惑に負けてそっと触れた

　柔らかい髪筋が異様に手に馴染む


「･･･っ･･」

　まただ･･･何だというのだ
　不思議な感覚が己の心の中を揺さぶってくる

　この触れる髪の感触を昔から知っている気がする
　彼女とは出会って間もないのに、なぜそう感じるのだ


　おそらく･･わたしは大切な事を忘れているのだ
　彼女との間の大切な何かを

　だが、思い出せない

　頭を抱えて悩んでも、濃い靄の中をただ徘徊するだけで
　それが全く晴れてくれない
　もう少しで思い出せそうな気がするのだが･･･

　ずっと胸の奥がすっきりしない
　このはがゆい気持ちは何だ･･･


「ん･･･」

　隣で寝ている悩みの元凶のくつろぎきった顔を眺める
　わたしの苦悩を他所に･･･なんとのん気な寝顔だ



　ずっと安らかだったその表情にいきなり変化がでた


「へ･･へ･････びくしょん！！！」

「！！」

　盛大なくしゃみに思わず体が反応する


　それが目覚ましになったのか
　ゆっくりと青い瞳が開いた

　気づかれないよう静かに髪から手を離す


「ふにゃ････････

･･･････！？

せっっ先輩？
･･･なななないつからそこにっっっ」

「･･････」

　眉間にしわを寄せてこっちを凝視している様子に
　驚きを隠せない･･･

　あれっ･･あたし、どうしてたんだっけ
　おぼろげな記憶を手繰り寄せた



「･････あーーーっっ
うっかり寝ちゃってたの！？
今何時っっ

まさか、もう授業始まっちゃった？」

「･･･安心しろ、まだ昼休みだ」


「えっ
･･･あーー良かったあ

って、どうして横にいるんですかっ」

「おまえは･･･」

　一人で勝手に騒いで、わたしにしゃべる隙を一切与えない


「わたしの特等席を占拠しておいて･･何を言っている」

「あらやだっっごめんなさい

別に横取りするつもりはなかったんだけど
ちょーっとどんなもんなのかなあと思って横になったら
結構気持ちよくって
･･･寝ちゃってたみたいですね
あっはっは！！」

　照れ隠しに頭をかきながら笑い出す
　その間抜けな様子を見ていたらいつもの調子が戻ってきた


「相変わらず能天気なやつだ」

「･･すみませんでしたね
それより
どうして横にいたんですか？」


「おまえ
あのまま誰も来なかったらどうするつもりだった？
午後の授業をさぼる気か･･

もしもの時のために起こす役目がいるだろう」

「･････」

　それって･･･

　さりげない言葉の中に隠れる彼の優しさに気づいてしまった


「･･･起こさないでいてくれたの？」

「･･･っ！･･」

　気まずい顔をしてふいっと目を逸らされる


「･･･アホ面がおもしろくて眺めていただけだ」

「ななっっ
起こしてくださいよ！！」

　アホ面って、何？
　よだれ垂らしてないわよ･･ね



「そういえばこの前
部活動を探していたようだが･･決めたのか？」

「えっまあ、一応･･･」

「何にした？」



「･････漫画同好会」


「･･･ははっ
ぴったりな所を見つけたな」

「･･むう･･･」

　馬鹿にされると分かっていたのに
　･･･言わなきゃ良かった


「漫画同好会とは･･･
おまえ、絵が描けるのか？」

「かっ･･･描けます･･よ
･･･ちょっとなら」

「わたしが読者一号になってやろう
今度見せてみろ」

「絶対やだ！！
どうせ笑うんでしょっ」

「･･･そうだろうな」

「ぜーーーったい見せません！！」


「･･･ははっ」

　くだらない会話ばかりが続く
　いつの間にか彼女とのこんなひと時が
　密かな楽しみになっている事に気が付いた



「そこは楽しくて歌えて踊れてお菓子も食べられて
いい男がいっぱいいて
アメリカにも行ける所なのか？」

「そういうわけではないけど･･･

まあ、楽しそうな感じでしたよ」

「大体、アメリカに行ける所とはどういうことだ
そこに何がある？」


「･･････」

　わたしの問いかけに、彼女の様子ががらりと変わる



「あたしの･･･
彼氏が留学しているんです、アメリカに」

　ためらいがちに答えた

　伏せた眼差しが寂しそうに遠くを眺め
　そのまま言葉を続ける


「彼の論文が認められて、アメリカの大学に呼ばれたの
日本を発ったのがつい最近で
一年･･･ううん、もしかしたらもう少し向こうにいるかもって

だから、あたし毎日手紙書いてるんだけど
手紙の返事が全然来なくて･･･

･･･すごく、忙しいんだろうなあ」


　まもちゃん･･･
　今頃どうしているんだろう


「･･････」

　わたしと話している最中だというのに
　他の男の物思いにふけり出した

　その様子を傍観していたら
　なぜだか無性に腹が立ってくる



「･･･くだらない」

「え？」

　ぼそっと　一言言い放って顔を背けた


「男に会いに行くために部活にはいるだと？
･･･部活動を何だと思っている」

「そりゃあ、それだけが目的じゃないですけど･･･
でも、ついでに行けたらいいなって思うくらいいいじゃない

･･･我慢していても、やっぱり会いたいもん」

「相手が目の前にいなくとも一人で勝手に盛り上がれる
なんとめでたいやつだ」


「･･･何よっ
遠い所にいる相手の事を想い続けていて何が悪いの？
先輩なんかに恋する女の子の気持ち･･分かんないですよ」

「ああ、分からないな
そのような独りよがりのセンチメンタルなど
分かりたくもない」

「！！
どうしてそんな風にしか言えないんですかっ？」

「ではどう言って欲しい？

そんな事は無い、大丈夫だ
･･･とでも言って欲しいのか？

生憎そのような配慮は持ち合わせていないのでな」

「そんな事言って下さらなくて結構です！

第一、あなたには関係ないでしょ？
構わないでください」

「･･･っ･･」

　なぜこんなにいらいらするのか、分からない

　だが、遠くで何をしているかも分からない相手を
　すべて信用しきっている姿を見ていると
　ひどく腹立たしくなってくる


「ばか正直な女め･･･どこまでお人好しなのだ」

「･･･っ！･･」

　どうして？
　今日はいつもよりしつこく突っ掛かってくる気がする
　･･･意味がわかんない


「･･････」

　先程からわたしを蔑む瞳で睨んでくる
　その眼差しを鼻で笑って一蹴した


「ふんっ
本当に大切なら何もかも捨て去り
付いていく位の覚悟が無いのか」

「そんな迷惑な事できないわよ！」

「はははっ迷惑だと？
･･分かっているではないか
自分は傍にいると迷惑だと

おまえのことだ
ひきとめもせず笑って送ったのだろう？
行って欲しくなかったのならなぜそう言わなかった
怖かっただけだろう　反対して困らせる事を

ついていく覚悟も無い、引き止める覚悟も無い
彼のためなどと･･･ただのいい訳だ」


「･･･ひどい
あなたにそこまで言われる筋合いはない！！
本当はね、やだっていいたかったのよあたしだって

･･･傍にいてって
あたし、そんなに強くないよ

でも、彼の夢が叶うんだもん
我が侭をぶつけちゃいけないよ」

「我が侭をぶつけて何が悪い？
おまえ･･･本当に求めている物が何か
自分でも分かっていないのではないか

譲れないものは譲らない
それくらいの強い想いがなかったということだろう」

「･･･っ･･･」

　しんと辺りが静まり返った





「求めるだけが･･･愛じゃない」

　ぼそっと呟く


「･･･遠距離など、心はすぐに離れる
そいつももう忘れているのだろう
手紙の返事が無いのがその証拠だ」

「そんなことない！
･･･あたしとまもちゃんの絆はそんなに弱くない」


「ではなぜ返事が一切来ないのだろうな？」

「だからっ
･･･それは忙しいから」

「忙しいなど理由にはならない
本当に愛しているのなら･･な

ほったらかして平気で遠くにいける
つまり、一番大切なものがおまえではないのだろうな」

「･･！！」

　何も言い返せなくて
　左手の薬指をぎゅっと握った



「愛があれば･･･
心が通じ合っていれば大丈夫　か
具象化出来ない不確かな物
それだけを信じてただひたすら待つ姿

･･･滑稽だな」

　あきらかに言いすぎだと自覚していたが
　なぜだか言わずにはいられなかった

　わたしは･･何をむきになっている？
　彼女の恋愛事情など、どうでも良いことだ

　だが
　わたしの前でうじうじと立ち止まっている姿を見せられて
　それを平然と語る無神経さが許せなかった


「信じあう心をどうして理解できないの？

あなたと話していると気が変になりそうよ！」

「おまえはわたしと会話などしていない
･･･勝手に一人でその男の事を好きなだけ想っていろ」

「っ！」

　俯いて体を振るわせる
　･･･泣いているのか？


　声もかけず
　その様子をじっと見下ろす


「･･････」

「･････････」



　しばらくそのまま固まっていたが
　突然わたしを見上げるとキッと睨みつけ
　言葉を言い放たれた


「そうね、そうします
こんなとこ･･もう二度と来ないわよ！！

さよならっ」

　勢い良く後ろを向くと
　金色の髪が一歩遅れてその跡を辿る


「･･･！！
待てっ」

　さよならという一言に
　つい引き止める言葉が口から出た
　体が勝手に動き彼女の後を追う

　逃げる背中を捕らえて思わず腕の中に引き寄せた


「！！」

「･･･っ！？」

　柔らかい感触が心の奥の記憶を呼び起こす

　なんだ･･･この感覚は
　体が温かいぬくもり覚えている

　どうしてそう感じる？



「･･･あ･･」

　何？
　一体何が起こったの

　ここから立ち去ろうとしたら
　いきなり後ろから腕が伸びてきて

　そのまま抱き締められた･･･



「･･････」

「･･････」

　ぎゅっと　抱き締めてくる腕が力を一切緩めない

　あたしは･･
　どうしてこんなこと許したままじっとしているの？
　この腕を振りほどいて逃げないといけないのに

　包み込まれた腕の中がなんだかとても居心地が良くて
　体が･･･動かない


　耳元にかかる息が心拍数を上げていく
　顔が段々熱くなってきた


「先輩･･･あの･･」




「階段･･･見えてないだろ

転ぶぞ」

「えっ･･あ」

　足元の階段に目を向ける
　助けて･･くれたの？



「もう少し考えて行動しろ
･･･相変わらず落ち着きのないやつだ」

「･･･っ･･」

　その言葉に一瞬で心が冷めた


「なんでいつも命令形なんですか！
あたしに･･･構わないでください

触らないで･･･離してよ！！」

「っ！！
言われなくとも離してやるさ」

　少し乱暴に突き放した

　そのまま先に階段を降りる
　振り返り様に捨て台詞を吐き捨てた


「うるさくてうたた寝もできやしない

おまえがいない時にまたくる」

「！！」

　冷たい瞳が横目で睨む
　なんでこんな瞳を向けられなきゃいけないのよ･･･


「なによっ
こっちこそ今すぐにでもいなくなってやるわ！！」

　急いで階段を下りようとした



　そのはずみでぐらっと体のバランスが崩れる


「あっっ！？」

　階段から足を踏み外した
　このままだと･･･転げ落ちる！！



「･･･！？」

　ゆっくりと　目の前の彼女の体が前方に傾く
　考える余裕も無くとっさに体が動いた

　落ちてくる体を受け止めて
　そのまま一緒に階段を滑り落ちる



「きゃーーーっ！！」

「･･･っ･･！！･･」

　どすんという音と共に、踊り場に倒れ込んだ









「･･･ん･･」

　気が付いたら温かい胸の中

　･･･階段から落ちたのに、どこも痛くない
　包み込まれていたおかげみたい



　･････････

　･･･先輩は！？




「･･････った･･･」

　あたしをかばって下敷きになっている
　慌てて様子を確認した


「ごっごめんなさい！！大丈･･･


･･････！？」

　顔を上げたら
　こっちをじっと凝視している瞳と目線が合った


「･･大丈夫･･･ですか？」


「･･････」

　呼びかけても反応しない

　なに？この視線は･･･
　目を見開いて･･･驚いてるの？



「先･･輩･･･？？」

　顔の前で手を振ってみた
　･･･放心しているみたい


「どこか怪我しました？保健室･･行きます？

･･･っ！」

　突然手首を掴まれた
　強い力で腕を引き寄せられ、顔が至近距離まで近づく

　どくん　と鼓動がその動作に反応した


「えっ･･あ････」

　鋭い眼光があたしの瞳の奥まで覗き込んでくる
　なんて真剣な眼差しなの･･･



「･･･おまえ」

「あ･･･の･･？」

　･･動けない

　どうしよう･･･


　どうしたらいいの？







「うさぎちゃーん？」

「！！」

　下からあたしの名前を呼ぶ声が響く


「どこいっちゃったんだろ･･」


　その声が彼の耳にも届いたのか
　腕を掴む力が一瞬緩んだ

　その隙をついて手首を引き剥がす


「･･･！」

「ごめんなさい
失礼･･します」

　慌てて
　逃げるようにその場から走り去った






「ごめーん；」

「あーっいたっっ！」

「どこ行ってたんだよ」


「ちょーっと･･･トイレ？」

「亜美ちゃんは
次の時間移動教室だからって先にいっちゃったわよ」

「あたしたちもそろそろ教室戻らないと
予鈴鳴っちゃうぞ」

「そうだねっ急ごう！」



　ばたばたとした慌しい足音が遠ざかっていく



「･････････」

　しばらく呆然としていて動けなかった



キンコーン



　遠くで予鈴が響く

　その音にハッと意識が戻った



「何て･･事だ」

　抱き締めた瞬間
　心の奥底に封印していた記憶が一気に流れ出した


　ずっと
　頭の中を覆っていた靄が一瞬で晴れた気がする



　最期の瞬間
　薄れ行く意識の中で垣間見たおまえの涙
　温かいあのぬくもり

　･･･すべて夢ではなかった





「セレニティ」

　思い出した　すべてを