ピピピピ


「・・・・・・ん・・・」

 耳元でうるさく鳴り響く目覚まし時計の音
 ゆっくりと腕を伸ばし、それを止めると再び静けさが戻ってきた
 そのまま寝返りを打って布団を被り直す


「はあ・・・」

 頭が重い
 よく眠れなかったのか身体も酷くダルい
 こんなに最悪な気分で迎える朝なんて滅多に無いよ

 重力に逆らってまで起き上がる事が出来ず
 しばらく枕に埋まって無駄な時間を過ごした



「学校に、行きたくないな」

 いつも冗談混じりに呟くけど、今日は深刻にそう思う
 登校すればきっと会ってしまうから

 あんな、酷い別れ方をしてしまった彼に


 会いたくない・・・
 今後どんな風に向き合えばいいか、一晩悩んでみたけれど
 うなされただけで答えなんて何も出なかった

 ううん、もしかして結論なんて自分の中でとっくに出ているのに
 納得が出来ないだけなのかもしれない


 この心は、いつの間にかあの人の方に少しずつ傾いていた
 だけど望む未来へ行くにはそれは許されない気持ちなんだ

 どうする事も、出来ない



「デマンド・・・」

 最後に向けられた彼の冷たい瞳が胸の奥に突き刺さったまま
 あたしをずっと責め続ける
 思い出すと苦しくて、息も止まってしまいそう
 このままずっとこうして
 布団の中でうずくまっていたい・・・

 そんな願望を打ち崩すような明るい声が
 外の世界から飛んできた




「うさぎちゃーん!」

「・・・・・・」




「うーさーぎーちゃーんーっっ!」

 何度も名前を呼ぶ声につられ
 重い身体を引きずって窓まで近づく
 カーテンを開けると明るい日差しが射し込み
 暗かった室内を一瞬で朝に変えてしまった



「美奈子ちゃん・・・」

 見下ろすと玄関の前に声の主はいた
 視線が合い、少しの間時が止まる


「・・・・・・」

「・・・・・・」

 こっちを見つめる真剣な瞳が
 ふっと崩れて柔らかく微笑んだ


 いつもの美奈子ちゃんの顔だ
 一瞬、辛そうに見えたのは気のせいだったのかな



「おはよう!
うさぎちゃん、学校行こうっっ」







「わざわざ毎日
家まで迎えに来てくれなくていいのに」

 学校までの道のりを美奈子ちゃんと二人
 腕を組んで歩き続ける
 先を歩く彼女が頻繁に周囲をキョロキョロ見回し
 足の重いあたしをひたすら引きずっていった


「なーにいってんのよっ
うさぎちゃんはね、敵のターゲットなんだから
これくらいしないと!
警護よ、警護っっ」

「これじゃあ警護じゃなくて連行だよう;」

「いい?敵はいつどこからやって来るか分からないのよ
隙を見せたらあっという間に食べられちゃうんだからね!

油断大敵、薮から蛇って言うじゃないっ」


「そんなことわざあったかなあ・・・」

「あったわようっ
一見、善良な一般市民に見えてもね

あの人も!あの人だって
もしかしたら敵の一味かもしんないんだからっっ」

「道行く人に指を指しちゃダメだって;」


「ほらほらっあそこの電気工事のおにーさん
あれも敵が変装して電柱から監視してるのかも!」

「ないない
それは絶対ナイからっ」

 荒ぶる美奈子ちゃんを宥めつつ
 色んな人に頭を下げて歩く
 こんな事していたら
 学校に着く前に神経が擦り減ってなくなっちゃいそうだ・・・



「・・・ねえ、うさぎちゃん」

「ん?」



「この前は怒っちゃって

ごめん、」

「美奈子ちゃん・・・」

 突然止まって振り向き謝られた
 そのままじっと
 思いつめた様子で視線を地面に落としている



「つい、あんな言い方しちゃったけど
うさぎちゃんが心配だっただけなのよ・・・?」

「ううんっあたしこそ、ごめんね?
ホントは早くみんなに相談しないといけなかったのに

言いそびれちゃって、それで・・・」


「あのさ、まもるさんの事とか
考えないといけない事はいっぱいだけど
あたし達はいつでもうさぎちゃんの傍にいるから」


「ありがとう、美奈子ちゃん」

 あたしが笑うと寂しそうな表情が明るく輝いた

 こんなに心配させていたのね・・あたしったら
 みんなの苦労も考えないで、何をしてたんだろう


「まあ、色々大変だけど
とりあえず目前の敵を何とかしないと!・・・ね?」

「うん、あたしも頑張るよ・・」








 教室に入ったら
 待ち構えていたみんなから色々渡された
 机の上があっという間に物で溢れかえる


「何ですか?、コレは」

「防犯ブザーに催涙スプレー
警棒、スタンガン、空気銃、火川神社のお守り
その他諸々よ」

「はあ、なるほど・・・

って何かやたら物騒なヤツまで紛れてない??」


「はあ、じゃないわよ!
今のアンタは狙われまくってるって自覚してるの?
全く、能天気もいい加減にして欲しいわねっ」

「分かりました、
とりあえず一番気になる事から突っ込むけどさあ

なーんでレイちゃんがココにいる訳っ」

「そんな細かい事より
自分の身の心配をしろって言ってんのよ!」

「そうだよ、あたし達もフォローするけど
まずはうさぎちゃんが身構えるようにしないとさ」

「アンタってばドジで危なっかしいんだから
これくらいしないと駄目でしょっ」

 これくらい・・・
 でも多分全部持ち歩いていたら
 いざと言う時に動けないと思うんだけど
 それより前に銃刀法違反とかで怒られそう;


「気持ちはありがたいけどさ
ちょっと大袈裟過ぎだと思うよ?」

「あっまーーい!
甘いわよっうさぎちゃん!」

「今のうさぎちゃんは
敵に真のスターシードの持ち主だってバレているのよ?
もしもの時の為に用心だけはしておかないと」


「用心かあ


あれ、何?この笛・・・」

 物騒な物の中に紛れていた小さな笛を見つけ
 吹いてみようとしたら後ろから拳が振り下ろされてきた


「いったーーい!!
何すんのよっっレイちゃんっ」

「気安く吹くんじゃないわよ
いい?それは

緊・急・事・態!の時だけ使いなさいよ」


「どして?」

「このレイちゃんが
何処にいても駆けつけてあげるから!」



「レイちゃん・・・」

「何よ、その顔は
感謝のし過ぎで言葉も出ない?」

「うん、あのさ


学校、間に合わなくなるよ」



「・・・あーんーたーはーー!」

「はいはいはい!
そろそろ片付けてさ、席に着こうか」






「じゃあ
みんな学校ではうさぎをヨロシクね

また放課後、校門の前で待ち合わせよ」

 手を振るレイちゃんを廊下で見送り
 疑問に思った事を隣のまこちゃんに聞いてみる


「あのー
校門の前って・・・?」

「帰りはみんなで送って行こうって決めたんだよ
言わなかったっけ?」


「聞いてませんっ

・・・て、帰りもみんな一緒なの?!」

「ちっちっち、帰りだけじゃないわよん
学校では休み時間もずっと離れないでね!
おトイレも付いて行ってあげるから

みんな仲良く、連れションよう?」

「は、ははっ・・・;」


「とにかく
うさぎちゃんは一人にはならない方がいいと思うの
窮屈だろうけど、しばらく我慢してね」

「はーい・・・」

 それから一日中
 言葉通り付きっきりでみんなから監視され続けた

 休み時間の連れションなんて可愛い方だ
 移動授業の時も、体育の時間だって
 両側からぴったりと寄り添われ
 あたし達は周りから浮きまくっていた

 これを、明日もあさってもやるつもりなのかな;


 そんな事をしていたら放課後が訪れ
 奇妙な一日がようやく終わったのだった




「あー終わった
やっと帰れるよ・・・」

「まだ油断は出来ないわよ
家に着くまで、気は抜かない事」

「うう・・っ;」

 亜美ちゃんの忠告に肩を落としつつ
 靴に履き替えて外へ出る


 夕暮れの校庭に、傾いていく4つの影

 こうして
 みんなで一緒に帰るのはすごく久しぶりかもしれない



「何だか雨が降りそうだな」

「えーっあたし傘持ってきてないよう
家に着くまで降らないといいなあ・・・」


「とりあえず
今日一日は何も無かったわね」

「そうだな、明日もこうだといいんだけど」


「だからさあ、みんなの考え過ぎだってば
こんなにしなくても、敵だって


・・・・ぶっっ!」

 前を見ないで歩いていたら
 突然現れた人影に思いっきり体当たりしてしまった
 反動で地面に盛大に尻餅をつく



「ほらっ、調子に乗るとすぐドジするし!



・・・・・・・・・あ、」


「ちょっと・・・」

「っっ」



「ごっごめんなさ・・・
って、


・・・デマンドっっ」


「・・・・・」

 ぶつかった人を確認して心臓が飛び上がった
 目の前に立ちはだかる大きな影に見下ろされ
 時が一気に凍りつく




「あ・・あの・・・っ」

「・・・・・・」

 鋭い瞳に睨まれ
 途端に血が逆流し、心が動揺を始めた
 自分の中に響く鼓動で周りの音が消えていく

 早く冷静にならないと・・・
 こんな格好のままじゃ恥ずかしすぎる


「・・・っっ」

 落ち着いて、一言謝るだけなのに
 頭が混乱してて言葉が出ない
 全身が固まって、立ち上がる事も出来ない・・・

 そんなあたしとは対照的な彼の態度
 怖いくらい冷たい眼差しが
 じっと、無言のまま無様な姿を蔑んでいた


 熱くなった心が、ゆっくりと冷えていく

 いつもならすぐに差し伸べられていた手が
 今日は全く動こうとしない
 そんな些細な事にショックを受けている自分に驚かされた

 ううん
 これは些細な事じゃ、ない



「・・・・・・」


「デマンド・・・」




「ほら、何してるのよっ」

 しばらく呆然としていたら
 見兼ねた美奈子ちゃんが腕を引っ張ってくれた
 ふらふらしながら立ち上がると
 みんながあたしの前に出て壁を作る


「・・・・・・」

「・・・・・・」

 ビリビリした緊迫感に押し潰されそう・・・

 3人の後ろに追いやられて表情は見えないけど
 流れてくる空気はどんどん
 険悪なものに変わっていくようだった

 じわじわと、冷や汗が額から滲み出す



「こんにちは、会長」

「・・・・・・」


「ああ、もう放課後でしたね


・・・さようなら、会長?」

「・・・・・・・・・」


 低く響く美奈子ちゃんの声
 それに対して何の返答も返ってこない

 みんな・・・
 いつまでこんな雰囲気でいるつもりなの?
 あたしもう限界だよ・・・っ

 一刻も早くこの場から立ち去ってしまいたい
 そんな重々しい息苦しさにひたすら耐えていたら
 スッと、デマンドが静かに動き出した


 前を向いたまま
 視線を一切合わさずに隣を横切る
 その後ろから冷たい風が吹き抜け、あたしの頬を撫でた



「・・・・・・」

「・・・・・・・・・」


 後ろを振り向けない・・・
 遠のく足音が耳の奥に煩く響き
 微動だにしない身体が、呆然とした状態で立ち尽くす

 どうしよう・・想像以上に胸が痛い
 強烈な眩暈に視界がぼやけ 今にも倒れてしまいそう


 長く感じた一瞬は、残酷な事実を教えてくれた
 もう・・・あたしと
 目を合わせる気も無いのね

 会えばこんな事態になるって分かっていたのに
 どうして酷くショックなんだろう

 出来たら自覚したくなかった
 あたし達もう、どうにもならないんだって

 知らされたくなかった・・・



「あーあ
なーんか一気に雰囲気悪くなったわね」

「まあ、気にしない事だよ」

「そうよ
ほら、あたし達も帰りましょう
レイちゃんが待ってるわ

うさぎちゃん、行くわよ」


「うん・・・・・・」

 みんなの動きに促され
 フラつく足を何とか前に出す







「考えてみたらさ
夜の方が油断してるし危なくない?」

「確かに、
不意打ちされる可能性はあるな」


「・・・・・・」

 和気あいあいと語りながら校庭を進むみんなの少し後ろを
 重い足取りでゆっくりと付いていった

 外から入ってくる会話がフィルター越しに響き
 全然身体に浸透してこない
 心ココにあらずの自分を
 違う自分が客観的に見下ろしているみたいだ



「ねえねえ、いっそ
火川神社で合宿とかしちゃわない?」

「・・・・・・」


「それなら、万が一何かあっても
すぐに対処出来るわね」


「・・・・・・」

「そうよ、それがいいわ!

一旦荷物とりに帰ってさ
みんな火川神社に集合しようよっ」



「・・・・・・」

 どんどん遅くなる自分の足
 そのうちピタ、と地面に吸い付いて離れなくなった

 少し距離が離れ
 その変化に気付かれる


「どうしたんだい?うさぎちゃん」




「あたしって・・・

どこまでも、信用無いんだね」


「・・・・・・」


「そうだよね、あんな事があったら
信用もなくしちゃうよね・・・」


「信用がないとかじゃなくてさ
みんな、うさぎちゃんが心配なだけなんだよ」

「そうよ、
あなたは狙われているのよ

自覚してる?」


「・・ん・・・」

 みんながあたしを必死に護ろうとしてくれている
 でもそれだけじゃないって
 気付いてしまった


 デマンドから
 少しでも遠ざけようとしてるんだ・・・



「みんな、そんなに心配しなくても

大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないってばっ」

「うさぎちゃん、
本当に分かってるのかい?」

 だから、もう・・・
 あたしは見限られたんだもん

 そっとしておいて欲しいのに
 みんなどうしてそうさせてくれないの?


「こんな状況になって大変なのは分かるけど
用心にこした事は無いのよ?」

「うんうん、昔から言うじゃない?

石の橋も叩いて渡れば怖くない
ってね!」

「あはは・・・」


「少し過保護かもしれないけど
あたし達の気持ち、分かって欲しいな」

「そうようっ
とにかくさ、今は普通の事態じゃないんだから

まもるさんだっていないんだし
あたし達がしっかりしないと・・」
「美奈子ちゃん!!」

「っっ」



「あ、

・・・ごめん」


「えへへっ、ありがとね・・・


だけど、いいよ」



「え・・・?」


「ちょっとでいいから、独りにして?

・・・お願い」


「うさぎちゃん・・・」











「はあ・・・」

 心配そうに見つめるみんなを見送って
 見晴らしの良い屋上に出た

 人がまばらな校庭を見下ろしていると
 一人だけ別の世界に来たような
 そんな錯覚に陥ってしまいそうになる

 まるで、ここから世の全てが見渡せるみたい・・・



「・・・・・・」

 こんな、静かな一時
 これからしばらくは訪れないかもしれない

 貴重な時間を噛み締め、柔らかい風を顔に受けた
 そうして、揺れた心を落ち着かせる


「こんなんじゃ、だめだ・・・」

 あたし・・もっとしっかりしないと
 これ以上みんなに心配かけられない
 迷惑、掛けられないよ・・・

 心の整理をして、前に進まないと


「・・・っく・・」

 さっきの長い一瞬、あの時の彼の顔を思い出すと
 息が出来ないくらい胸が苦しくなってくる


 あたしの事なんかもう
 視界にすら入ってなかった

 取り残された想いがどんどん蓄積していって
 今にも押し潰されてしまいそうだ


 どうしたら良かったんだろう
 あたしは・・どうしたいの?

 好きって言葉を伝えれば、楽になったのかな
 それで何も考えず
 あの人の胸に飛び込めば良かったのかな


 ・・・言えない、出来ないよそんな事
 自分で決めたんだもん
 あたしは、あたしの望む未来に行く為に
 大切なモノを捨ててまで、大切な存在を選んだんだ



「デマンド・・・」

 この心にはまだ確実にあなたが住みついているの
 いつになったら辛い気持ちは消えてくれるんだろう

 前に進むって決心した今でも
 未練を残している自分に罪悪感を感じるし
 どこにも吐き出せない気持ちが溢れるばかりで
 そんな、逃げ場の無いもどかしさがどんどん募っていく


 寂しい・・・寂しいよ


「あたし、一人じゃ何も出来ない・・・」

 何て弱いんだろう
 不甲斐なさから込み上げそうになる涙を堪えて
 屋上のフェンスにしがみ付いた

 強い憤りが指に伝わり、どんどん食い込んでいく




ちりん・・・


「・・・?」

 その時、背後から小さな鈴の音が聞こえてきた

 誰もいないと思っていたのに・・・
 音の聞こえた方にゆっくりと身体を向けてみる


 制服を着た見知らぬ女の子が
 あたしを眺めてくすくすと笑っていた



「・・・・誰・・?」

「あんたってさあ、変な子ね?
一人がいいって言ったり一人はイヤだって言ったり
どっちなのよ

まあ、別にどうでもいいけど・・・」



「・・・・・・・」

「やっと、二人きりになれたわね」


 何だか、様子が変だ
 二人きりにって 最初からあたしを捜していたみたい




 まさか!?




「にゃーお!」


「っっ!!」

 危険な空気を察知した時には
 目の前の女の子がその姿を変えていた



「うふふふっ
さあ、渡しなさい

あんたの真のスターシードを!!」













「全く・・・」

 彼女達と校庭で鉢合わせてしまい、逆の方向へ引き返してしまった
 帰りそびれ、行く当ても無く中庭付近をしばらくうろつく


 ・・・不愉快だ

 この状況は何なのだ
 なぜわたしが振り回されている

 護衛等の、警戒するあの態度
 ・・・行き過ぎだろう?
 ぶつかって来たのはあいつだと言うのに
 まるでこちらから手を出したかのように振舞われた

 一体わたしが何をした
 うさぎを護る身からすれば
 わたしを少しでも引き離しておきたいのだろうが・・・
 それにしても無礼極まりない話だ


 うさぎを護る、4人の戦士
 その宿縁は前世から遥か未来まで繋がっている

 全てを拒絶しようとするあの姿勢
 未来のそれと同じだ
 彼女等からすればわたしは異質な存在、排除すべき輩
 その考えは、過去も未来も変わらないか・・・



「あいつ・・・」

 拒んだのは彼女の方だと言うのに
 なぜあんな顔をする
 今にも泣き出しそうな様子でこちらを見上げていた・・・
 あの瞳が忘れられない

 わたしに、どうすれと言うのだ
 どこまで惑わせば気が済むのか



「おまえは
 いつまでオレを掴んで離さない気だ・・・」

 この心は転生した今も変わらずアレに囚われ続けている
 わたしは、永遠にこのままなのだろうか


 ふと、空を眺めた
 淀んだ雲がゆっくりと侵食し、世界を丸ごと呑み込もうとしている

 視界の端に横切る、屋上のフェンス
 あの付近には彼女との思い出が多い
 何と腹立たしい場所だろう
 視線を落としそれから逃れようとしても、校舎の中に安全地帯は一切無い

 うさぎと出会い頭にぶつかった、廊下の角
 走り去る背中を見送った、下駄箱の横

 軽く見回すだけで呼び起こされた記憶が
 この心をひたすらに掻き乱してくる


 此処は地獄だな・・・









「あら、・・・会長さん?」


「・・・・・・」

 聞き覚えのある淑やかな声が徘徊する足を止めた
 その方向に目を向ける

 陽の光に透けて輝く袂
 煌びやかな身なりの彼女が、少し離れた木の下から軽く手を振っていた



「こんにちは、」


「火球皇女・・・」

 紅く艶やかな口元が妖しく笑み、ずっと手招きをしている
 気まぐれに近づくと頭を傾けて会釈をされた

 簪が揺れ、透明な音色を奏でる
 腰を下ろしている芝生の緑とは正反対の真紅のドレスが
 彼女の存在を風景から切り出し浮き立たせていた

 此処までコレで来たのか?こいつは・・・



「奇遇ですね」

「派手な格好をして・・・目立つぞ

外をうろつくのならばそれなりの身なりをしたらどうだ」


「あら、そうですか?」

 親切な忠告を軽く流し、変わらぬ作り笑いでこちらを見上げ続ける


 ・・・何のつもりだ
 なぜわざわざわたしを呼んだ

 この女は腹の内が読み難い
 それでなくとも今は感情が波立ち、己に余裕の無い状態だ

 相手にしたくは無い



「どうぞ、ずっと立っていないで
お隣に座って?」


「結構だ、失礼する」

「まあ、せっかくお会いしたのに
もうお帰りになるのですか」

「そうだ、こう見えて忙しいのでな
呑気に時間を潰している暇は無い」


「わたし、少し退屈をしていたんです
お話し相手になって頂けませんか?」

「わたしは
今、誰とも話をしたくない」


「そうなのですか」

「見て分からんか」




「お相手、してくださらないの?」

「っっ」

 いくら拒絶をしても強い姿勢を崩そうとしない
 こちらの意志はお構いなしか・・・?



「どうぞ、お座りになって?」

「・・・・・ふん・・っ」

 押し問答に嫌気が差し、不愉快さを表に出したまま横へ座った
 そのまま口を閉ざし
 威圧する姿勢にささやかな抵抗をする



「ありがとうございます」

「・・・・・・」


「ご機嫌は、いかがです?」



「・・・良いように見えるか?」

「ふふっ」

 見透かしたような微笑が背後から届いた
 それが余計にこちらの穏やかでは無い感情を煽る

 こんなつまらんやり取りをしたいが為に
 わたしを座らせたと言うのか・・・
 一喝して立ち去りたい所だが、大人げない対応は妥当では無い

 それ程望むのならば、しばし付き合ってやろう
 後ろを向いたまま意味の無い会話を続けた


「こんな所で何をしている」

「ファイターが、少し此処へ寄りたいと言うものですから
わたしも付いて来たんです

この星の大気を、感じておきたくて」


「・・・・・」

 その言葉に応えるような微風が、頬を柔らかく撫で駆け抜ける
 後からふわりと
 甘い花の香りが追いかけて通り過ぎた


「此処は、本当に美しい星です
澄んだ大気の恩恵を受けた生命が溢れんばかりの輝きを放っている

何て、懐かしい温かさでしょう・・・」

「それはそれは、お気に召して頂き何よりだ
皇女殿は感傷に浸るのがお好きなのだな」



「ねえ・・こちらを向いて頂けませんか?
ずっと、わたし一人で話をしているみたいで寂しいですわ」

 こちらの対応を穏やかに窘められる
 それならば、と方向を変え正面から眼差しを受け入れてやった

 皮肉を込め、笑みを返す


「大気と語らう邪魔になってはと思ってな」

「今は、貴方がお相手をしてくださるのでしょう」



「・・・星野は、いつ戻って来る?」

「さあ?どうなのかしら」


「さっさと帰って来れば良い
自分の姫のお守りを人に任せてあいつは何をしているのだ・・・」

「ふふっ正直な方ですね
ファイターは荷物を取りに教室へ寄ると言っておりました

もう、ここへは来れなくなるからと
お別れに行ったようです」


「別れ?それは、遂に故郷へ帰る気になったと言う事か
何とも目出度い

探していた御方も見つかり、万事が上手く整ったのだ
二度と戻らず達者で暮らせと伝えておいて貰おう」


「いいえ、そうではありません」

「そうではない?
ならば、どうだと」


「星野光であったあの子が、セーラー戦士へと戻るのです
それは、戦いの始まり


平和な世が終わると言う事」




「何だと・・・?」

 その言葉に肩が反応した
 急激に様変わりした彼女の空気から、事の深刻さを読み取る


 戦いが始まる

 今の今まで戦ってきた彼女達が改めてそう言い直すのか
 それは、つまり・・・




「わたし達の最後の戦いが訪れようとしています

間もなく、この星も戦火に陥る」

「・・・・・・」


「セーラーギャラクシアの力は強大です
これまで、あれに敵った者は一人もおりません

ですが、わたしはまだ諦めてはいません
希望の光を信じて最後まで戦うことでしょう」



「・・・戦うのか」

「ええ、」


「自分等の力だけでは到底太刀打ち出来ないと分かっていても
それでも、立ち向かうと」

「そうです
それが、わたしの使命だから」


「おまえの使命とは、・・・何だ」



「全ての者を、信じる事
信じて戦うことです

例えわたしが力尽きたとしても
その想いが誰かに伝わる日は、きっと来る」


「ははっ何とも殊勝な心がけだな
他人に全てを任せ、自分は無駄死にか?」

「いいえ違います

わたし自身が戦う事、そこには必ず意味がある
無駄な事ではありません」


「・・・・・・」

 先を見据える凛とした眼差し、それは
 決意の言葉を自らに言い聞かせているようにも見える

 漲る自信はこれからの行く末を知っているからか?
 彼女の瞳には
 一体何処まで先の未来が見えているのだろう

 まさか、30世紀まで見渡せていたとしたら
 わたしの事も何もかも熟知し、その上で話を進めている?

 或いは、全てがただのはったりか・・・

 どの可能性も半ば信じられず
 しばらく相手の動向を眺めつつ思考を巡らせていた



 目の前の彼女が
 ふっと柔らかい笑みをこちらに届ける


「ありがとうございます、」


「・・・?」

「束の間の休息ではありましたが
あの子達に穏やかな時を感じて貰える事が出来た
全てあなた達のおかげ・・・

そして
うさぎさんのおかげです」




「・・・うさぎ、だと?」

 その名を聞き、眉が微かに反応を示した
 忌々しくもこの心を支配する存在が脳裏に浮かび
 途端に感情がざわめき出す


「ええ、
ファイターはうさぎさんに出会って変わりました
とても・・強くなった、それは彼女のおかげ
あの方はどんな頑なな心も打ち溶かせる不思議な力を秘めている

そう、思いませんか?」


「知らん、
あいつはただ出しゃばりなだけだろう

得意の無邪気さで周囲を掻き回し、人の心へも土足で上がりこんで来る
それを自覚無くやっているのだ
一番性質が悪い」


「そうですか?」

「ああそうだ、全てを踏みにじり手の平を返したその後も
無神経に目の前をいつまでもうろつき回る
何とも目障りなヤツだろう・・・

わたしはそう思うが」


「そこまでうさぎさんを理解されているあなたこそ
この魅力を存分に分かってくださっていると

・・・思ったのですが?」


 こいつ・・・どう言うつもりだ?
 わざと挑発しこちらの手応えを見ているのだろうか
 分からんヤツめ


「見込み違いだ、今のわたしにとってアレはどこまでも忌まわしい存在
もう、顔も見たくない」




「・・・それ程までに愛しているのでしょう?
あの方の底知れぬ魅力が、怖い程に」

「っっ」


「何処までも惹かれているのに
なぜ目を背けようとなさるのですか」



「もう
あいつの話はするな」


「どう、なさったのです?」

「・・・・・・」


「うさぎさんと
喧嘩でもされたのですか」




「・・・そんな生易しい事では無い」

「では、何が」



「彼女に、拒絶された

だから突き放した
それだけだ」


「・・・・・・」


「わたしと居ても未来が見えない
そう言っていたかな

よくぞ言えたものだよ、ははっ」

 自嘲の笑みが知らずに零れる

 あいつもこの女も、わたしをどこまで愚弄すれば気が済むのか
 少しは慎む事を覚えたらどうだ・・・



「きっと
あの方も何かを守るのに必死なのです」

「勝手に好きなだけ守っていれば良い
わたしはもう知らん」


「大切だからこそ撥ね付ける
そんな時もある、とわたしは思いますよ」


「・・・・・・」


「苦渋の決断をなさって
うさぎさんも辛い事でしょうね・・・」




「おまえに、何が分かる」

 好き放題物言う相手を黙らせようと、眼光強く睨みつけてやった


 殺気を感じた大気がざわめき、木々の梢を震わせる
 静寂が、吹きすさぶ疾風を際立たせ
 彼女の長い髪をたなびかせた



「・・・・・」

「・・・・・・」

 強く出て少しは参るのかと思いきや、対する姿勢は一層強まっていく
 攻める眼差しを真っ向から受け入れ
 揺るぎ無い意思を瞳に宿したままこちらへぶつけてきた

 緊迫の沈黙が続く中、先手を取ろうと口を開く



「おまえに、あいつの何が分かると言う
彼女の心を全て読み取り代弁しているつもりか」

「わたしとうさぎさんは今、同じ困難に立ち向かっている

一つの星のプリンセスとして、そしてセーラー戦士として
お互い感じているものは近いと
そう、思いますよ」


「おまえと、うさぎは違う
戦いを他人に押し付け自分は先にくたばっても良いなどと
あいつは言わない

誰にも助けを求めず、差し伸べる手すら振り払い
一人で何もかも背負い込み解決しようとするのだ
その下らない自己犠牲のせいで何人が傷つこうともな

そうだな、
どちらも性質が悪いのに変わりは無いか・・・」

「あの方が、
何者にも負けない強い想いを持っているのは知っています
それでも、漠然とした怖さは感じている筈

圧倒的な強さの敵と戦う恐怖
見えない未来へ抱く不安
それは、誰もがそうでしょう

そこから一歩、踏み出すことは怖いけれど
この戦いを乗り切ればきっと道は開ける

報われる日は、必ず訪れるのです」


「誰も、敵った事の無い敵なのだろう
無理だとは思わないのか」

「思いません
わたしは、未来を信じています
たくさんの可能性を秘めた、輝かしい明日を」


 根拠のない自信をよくもここまで振りかざす
 彼女は、そんなにあいつを信じていると言うのか



「未来を信じているか
まるで全てを見知っているような口ぶりをするおまえは

一体、何者だ」


「何者でもありません・・・」



「先を視る力でも、秘めているのではないか」

「そのようなものは・・
少し、特殊な能力を持ち合わせているだけです
人々の胸の中にある星の輝きを感じる事が出来るのです」



「・・・前に、わたしからも何か感じたと言っていたな

何を感じた」

「新しい星の誕生の気配を・・・
可能性を感じました」



「それは、予言では無いのか」

「いいえ
予兆を感じる、としか言えません」


「予兆だと・・・
予言と、どう違うと言う?」

「あなたの中から感じるのです
ただ、それだけです」



「・・・力が、戻るのか」



「そう願うのなら、いずれ」


「いつだ」

「分かりません」


「いつだと聞いているっっ!」




「・・・・・・」

 ありったけの怒声が辺りに反響して消えた
 熱くさせられた心が、単調だった雰囲気を打ち壊す

 その憎らしい余裕の顔を、詰め寄る勢いで覗き込んでやった



「堂々巡りの答えは聞き飽きた

そろそろ真相を教えろ」


「真相とは、何でしょう」

「・・・わたしをからかっているのか?
女だから容赦して貰えるなどと、思うなよ」


 白状するにはまだ足りないか・・
 ならば、と手首を掴み強く引き寄せる

 それでも変わらぬすました瞳が、じっとこちらを見上げ続けた



「・・・・・・」

「オレを見くびるな
さっさと話せ」


「あなたは、何を知りたいのですか?」



「なぜ、この手に力が目覚めない・・・
遥か未来のわたしには漲る力が備わっていると言うのに
知っているのならば答えろ」


「力が・・・どうして欲しいのです?」

「どうしてかだと?

無力な己に嫌気が差したからだ
何も出来ず、何とも不甲斐無い・・っ」



「それは
うさぎさんの力になりたいから、でしょう?」

「っ!?」


「どんなに拒まれようとも
それでも、あの方を愛しているから」
「黙れっっ知った風な口を利くな!!

その、人の心を見透かした瞳にはうんざりだっ
これ以上わたしを怒らせるなよ・・・」

 行き場の無い怒りが震えへと変わり
 その振動が捕獲した手首を伝って相手まで届く

 荒らぶる感情に任せ、その部分にギリギリと力を加えていくと
 整った眉が微かに歪んだ



「・・・っ」

「気は、変わったか?」


「わたしは・・・っ
未来の事など、何も知りません」


「まだ言うか」

「・・・ですが、それが必然の事ならば
きっと時が来れば覚醒されるのでは」



「これ程までに望んでも
まだ、想いが足りないと?」


「今は・・その時ではないのでしょう」

「っっ
今がその時なのだ!

力が、必要なのは・・・っ」



「・・・いい加減に、なさいっっ


バチン!!


「なっっ」

 彼女の強い口調が、止まらない衝動を窘める
 それと同時に頬へ強い痺れが走った

 短く切れる相手の呼吸が、静まり返った空間に響く
 唐突の事に呆然とし言葉を失ったまま
 ゆっくりと顔を向き直した

 冷静に、こちらを眺める紅い瞳と視線がぶつかる



「どうか、落ち着いてください」


「貴様・・・っ」



「穏やかにお聞きになれないのなら
ここでお話は終わりです」

「・・・っ」



「手を、離してください」

 命令のような要請に従うのは不本意だったが
 憤りを何とか堪えその通りにした

 腕を離すと、一呼吸置き言葉が続く


「先日お話をした時に、わたしは言いました

力の無い今だからこそ出来る事がきっとある、と・・
おそらく
あなたはそれに気付かないと先に進めないのです」


「そんな事、知らんわっ
わたしに何が足りないと言うのだ」

「分からなければいけません
今のあなたなら、きっと気付ける・・・

彼女の為に何ができるか考えられる筈です」




「うさぎは
おまえ等の戦いに参戦するのだろう・・・?」

「ええ、あの方ならば必ず」



「なぜ
あいつはどこまでも全てを抱え込もうとする・・・
人である限りそれは不可能だと、思わないのか」


「一人で何もかもを背負う・・そんな事は
わたしには到底不可能です
器が足りません、それは自覚しています
そして彼女も・・分かっているのでしょう

自分なら、出来ると
ギャラクシアに唯一立ち向かえる相手だと

だから、わたしはうさぎさんを・・・
セーラームーンを信じて戦います
勇気を持って、戦う事が出来るのです」



「信じて・・戦う勇気」

「彼女が絶望しない限り、わたし達の未来に希望はある

あなたも、どうかそれを信じて」

「おまえは・・・」




ガシャーーン!!


「!?」

「・・・っ」

 その衝撃音は突然、近い空から届いた
 すかさず音の元を探し頭上を見上げる



 屋上のフェンスへ強烈な光が何度もぶつかり
 激しい音を響かせていた

 合間に聞こえる、悲鳴のような声
 あれは、まさか・・・



「うさぎが・・・戦っているのか」

 そう直感した瞬間
 何かを考える前に体が動いていた

 逸る心に支配され、一歩を踏み出し呼び止められる


「お待ちください」

「っ!?」




「・・・行くのですか?」

「何を言っている


あいつがっっ」


「うさぎさんなら大丈夫です
ファイターが、きっと気付いて向かっています」



「何、だと・・・」


「今のあなたに戦いの援護は出来ない
そう、分かっていても行くのですか」

「・・・っっ」

 確かにそうだ・・
 例え辿り着いたとしても今のオレには、何も

 だから、あの音が止むまで遠くで聞いていろと?


 ・・・それが、出来ないと知った上で問うか



「どうされるのです?」


「・・・黙れ、
おまえの下らない御託など


聞き飽きたわ!!」

「・・・・・・」


 考えている余裕などあるものか・・・っ


 うさぎ 今すぐに
 おまえの元へ!!