ピンポーン


・・・キィ



「・・・・・」

「デマンド・・・あの、


・・・・・えっ・・あ・・・・・・きゃっっ?!」

 開いたドアから飛び出てきた両手が
 すかさずあたしを捕らえる

 そのまま、有無を言わさない強い力が
 全身を玄関の中へ引きずり込んでいった


バタン、


 背後で閉まる音を聞いた時には
 この身体はデマンドの胸の中

 熱烈な歓迎を表現するように
 ぎゅっと、思い切り抱き締められる



「うさぎ、」
「・・・デマ・・ンド

苦しいよっ」



「待ち侘びたぞ・・?」

「っっ」

 胸の中に埋まった頭を上に向かされた
 見上げてぶつかった視線が、あたしの心を大きく揺さぶる



「やっと、来てくれた」

「あ・・・・・」

 すごく優しそうで、穏やかな笑顔

 ・・・駄目だよ
 こんな表情を今のあたしに見せないで
 目が、離せなくなる


 ほんの一時全てを忘れて見惚れていたら
 ゆっくりと、それが近づいてきた

 顔が重なる寸前で、正気が瞳に戻る



「まっ!?
待って・・・っっ」



「もう、待たない」

「あ・・・

・・・・・っっ!」

 急かす唇が、話をする余地もくれずに
 あたしの息を止めた



「・・・っ・・」

「っ・・・・・んん・・っっ」

 強気な姿勢がひたすら攻めて
 温もりを貪ってくる・・・
 何とか止めさせようと
 二人の間に割り込んだ手首を容赦なく捕獲された

 しなやかな指先が絡まり
 嫌がる右手すら封じ込められる



「・・・うさぎ・・っ・・・」

「デマ・・ンっ・・・
は・・・むっっ・・・・・・んっ」

「・・・・・っ」

 腕を拘束され動けなくなり
 それでも逃げてしまおうと横へ頭を振ったら
 ソコも掌で固定された

 息をつく暇もない・・執拗に唇が唇を求めてくる
 何度も触れては、まだ足りないとせがみ
 ねっとりとした舌がどこまでも奥まで潜ってきた


 心が・・・乱される
 今にも溶かされそうだよ

 すぐにでも離れないと駄目だ
 これ以上この人を受け入れたら、もう・・


「んっんん・・・っっ・・んっ!」

「・・っ・・・・・」


 抵抗、できない
 捕まっちゃう・・・

 最後の足掻きも虚しく
 脱力した両手が下へと落ちていく




「・・・・・・・」
「・・・・ん・・っっ・・」

 こっちが無抵抗になっても
 唇の激しさは止まらなかった
 お互いが馴れ合って響く音が、静かな空間の隅まで届く

 デマンドのキスはいつも情熱的で
 あたしの感情はどこまでも揺さぶられてしまう
 一体何度、この人とキスをしたんだろう


 そっか・・・
 こんなキスも、これが最後なんだ

 それなら、しっかりと噛み締めたい
 この心に深く刻んで忘れないように

 あたし何を言ってるの?
 忘れないといけないのに、温もりもキスも全て
 自分で決めた事を貫く為に忘れるの・・・


 忘れ・・たくない
 そう願えば願う程に胸が熱くなってくる
 辛くて、苦しくて、息が出来ないよ

 いっそ
 ずっとこのまま時が止まってしまえば・・・




 そんな儚い夢は届かなかった

 やがて静かに時が動き出す
 二人の限られた時間が、刻一刻と近づいていく



「・・・はあ・・」

「おかえり、うさぎ」


「・・・ただいま」

 柔らかく微笑む彼の様子
 それを不思議なくらい冷静に見つめる事が出来た

 自分の瞳に少しずつ固い意志が戻ってくる
 この心が、遂に覚悟を決めたのね



「随分と遅かったな」

「そう、かな・・・?」


「心構えでも・・決めていたか?」

 低い声が耳元で囁く



「・・・うん」

「さあ、リビングへどうぞ
ティータイムの用意が出来ているよ

ココアとコーヒー、どちらが良い?」

 そう言うと肩を抱いたまま中へ誘導しようとした

 誘いに乗れない足が
 地面に貼り付いて動こうとしない・・・
 その様子に気付くと
 不思議そうにこっちを覗いて尋ねてきた


「入らないのか?」


「ここでいい
話があるの」

「話?それならば
続きは暖かい部屋の中でしよう」


「ここで、したいのよ・・・」

「・・・?」

 頑なに断る態度を見て
 ようやくあたしの異変に気付く

 お互い向き合い
 静かに話し合いが始まった



「どうした
何かあったのか」


「・・・・・・」

 何かあったって・・・
 あり過ぎて説明なんか簡単に出来ないよ

 でも黙ってるままじゃ何も伝わらない
 どうせ詳しい事情は話せないんだから
 端的に結論だけ言ってしまおう



「うさぎ、なぜ黙る」



「もう・・・来ない」


「来ない?」

「ここにはもう来ない

来れないのよ」


「どう言う意味だ・・」

「意味なんて、ないわ


・・・バイバイっ」


「待て、」

 逃げ出すタイミングが一歩遅れ
 デマンドが先にドアノブを掴む



「・・・開けてよ」

「おまえ、
そんなつまらない事を言いに此処へ来たのか
今日が二人にとってどんな日か・・・分かって来たのだろう」

「ごめんなさい
昨日とは、状況が変わったの

もう一緒にはいられない」

「明日が来ても自分の気持ちは変わらないと
そう話をした昨日のおまえは何処へ行ったのだ

一体、何があった」


「本当に、・・・ごめん」




「はあ・・・」

 頭上から呆れたような溜め息が聞こえてきた
 非難の言葉に備えて心の守備を固める



「また、いつもの気まぐれか」

「気まぐれじゃないわ、本気よ

あたしたちにとって深刻な事態が
・・とうとう起こってしまったの」


「深刻な事態?それは何だ
言ってみろ」

「・・・言えない、だから

もう 帰る」

 再度別れの言葉を突きつけてドアノブに手を重ねた

 ガチャガチャと奪い合いの音がするだけで
 ドアは開いてくれない・・・
 諦めきれずしばらく攻防を続けてみる

 強く引き止める彼の指を剥がそうと
 全力を込めて応戦した



「くっ・・・」


「このまま、帰すと思うか」

「帰してってば・・っっ」


「勝手に結論を出して立ち去る事は許さん
こちらが納得する理由を提示して貰おう」

「だからっ
もう会ったらいけないんだってば!」

「それだけでは何の説明にもなっていない」


「・・・もうっっ」

 切実な気持ちが伝わらないもどかしさに
 段々といらいらが募ってくる

 どうしていつもこんなに強情なんだろう
 こっちの言えない辛さも分かって欲しいよ


「唐突に態度を変えられても困る

わたしのモノになるのが、怖くなったのか?」

「違うよ・・っ」



「ならば

仲間に、何か言われたのだな」
「・・・っ」

 確信に近づいた質問を投げ掛けられ
 背中がピクッと素直な反応を示した


「図星か」


「ええ、・・・そうよ」

 言わないと帰してくれないんなら
 いっそ、すべてを・・・

 ゆっくり振り返りあたしを待つ人を見上げる
 視線を合わせ、問い返した


「昨日、ここに来たんでしょ?

はるかさんとみちるさん」


「ああ、」

「あたしにはもう近づくなって
忠告されたんでしょ・・」

「好き勝手ほざいて帰って行ったが

それがどうした?」


「あたしも同じ事言われたのよ、みんなから・・
もう、あなたと会うなって」



「それでおまえは
あいつらの戯言に従うのか」

「言われたから従う訳じゃないわ
でも、それで気付いたの
あたしはこんな事していたらいけないって
戦士としての戦いもあるし

他にも、深刻な事態が・・・」


 まもちゃん・・・
 あなたをこれ以上裏切れない

 そうよ
 こんな酷い裏切り、許される事じゃない



「こんな事

・・・していたらいけないの」

 結論だけを独り言のように呟く



「・・・他人の意見に左右されるな
己自身の事だろう?」


「駄目よ」

「何が駄目だ
良いからおまえの気持ちを聞かせろ

その心の、真実の声を」



「・・・・・・」


「言えないのか」

 頷く代わりに目を伏せた

 もう、見上げていられない
 心が揺らいでしまいそうだから・・・

 こっちが顔を逸らしても
 デマンドはずっと熱い視線を注ぎ続けている
 真相を話すまで解放してくれないつもりなのね

 向けられる重圧に耐えきれず背中を向けた


 そんな猫背のあたしの肩に
 柔らかい温もりがそっと触れてくる

 優しく撫でさすり
 宥めるように囁かれた


「うさぎ、おまえは他者を思いやりすぎだ
それでは自分が保てないぞ
他人の事など、どうでも良いだろう?

今はわたしたちの事だけを考えよう・・・」


「デマンド・・・」



「こちらを、向け」

「・・・っっ」

 甘い誘惑が強い決心を惑わす・・・
 首を振って必死に堪えた


「わたしの想いを早く受け止めろ
もうこれ以上焦らすなよ

おまえを、この手に・・・」

 あたしの左手を取り、そっと唇に寄せる
 その動きが突然固まるように止まった

 そのまま食い入るように指先を眺める
 デマンドが、あるモノの存在に気付いた



「なぜ、指輪をつけている」


「!?」

「わたしの前では外せと言った筈だ」


「・・・・・・」





「・・・外せ、

今すぐに」



「イヤ・・・」


「なぜだ」



「外したくないからよ」



「・・・何だと?」

 不機嫌に変わった声がこっちへ飛んでくる

 そして突然、乱暴な力が
 指輪を引き剥がそうと行動を起こしてきた
 強引な実力行使に負けないよう
 指をしっかり閉じて抵抗する


「やっ・・・
やめてってば!!」


「コレに関しては譲る気は無い
さっさと外せ!」

「乱暴な事はしないでっ

・・・きゃっっ」

 指元に気を取られ体の防御を忘れていた
 背後から、無防備な背中をきつく抱きしめられる



「うさぎ、」

「はっ・・・離して!」


「離さない」

「・・・っ
もう帰してよっっ」


「帰さないよ」

「ばかっ・・・ばかああっっ」


「この腕を振りほどきたいのならば
もっと死ぬ気で抵抗してみろ

今のおまえからは本気など微塵も感じられない」

「・・・っっ

デマンド・・・っ!」

 足掻けば足掻く程
 羽交い絞めの強さは増していった
 激しい想いが全力でぶつかってきて
 もう息が止まってしまいそう・・

 デマンドの
 強烈な思念が全身にまとわりついてくる


 ・・・やめて
 この温もりを感じると何も出来なくなってしまう

 力が、抜けていく



「・・・・・」


「出来ないのだろう?」

「卑怯だよ・・っ
いつもそうやって丸め込もうとして
あたしの気持ちなんて、考えてないでしょっ」


「よく分かっているさ

この手から逃れたいと
思っているようには見えないよ・・・」

「あたしを、開放して・・っ」



「・・・可愛いよ」

「く・・う・・・っっ」

 この人はどうしてこんなに身勝手なの?
 あたしの話なんて、何も聞いてない
 こうされたら辛いんだって言ってるのに
 分かってくれようとしない

 あたしの事、ちっとも考えてないくせに
 要求ばかり突き付けて・・酷すぎるよ


 心に、ふつふつと反抗心が湧き上がってきた
 奮い立つ感情を盛り上がらせ
 やるせない存在をキッと睨んでやる



「・・・止めて、


離しなさいてばっっ!!」



パチンッッ

「っっ!?」

 振り上げた右手が見事にデマンドの頬に当たった



「はあっ・・はあっっ・・・」

「うさぎ・・・」

 直接的なあたしの反撃に
 驚きを隠せず固まっている人を見上げ
 悲痛な想いを訴える



「もう、止めてよ

これ以上あたしの心をかき乱さないで・・・っ」


「掻き乱す・・だと?」

「そうよ
いつも好き勝手してはあたしを惑わして


そう言うの、もううんざりよっっ」


「おまえは、唐突に何を言い出す
様子が変わり過ぎだ」

「だから、状況は突然変わったの・・・

ねえ
あたしが今どんなに大変か、分かる?」

「何が、あったのだ」



「・・・大事な人が、急にいなくなったの

ううん、もうずっと前からそうだったのに
あたしは・・
気付く事もなく今まで能天気に過ごしていたのよ」

 少しずつ血の気が巡っていき
 内側から熱が湧き上がってきた
 その熱気に当てられ、段々と自分が白熱していく



「そうよ・・デマンドのせいよ
あなたがあたしの前に現れてから
この心は平穏さを失ってしまった

大切な事に気がつけないくらい、普通じゃなくなっていた」

「・・・・・」


「あたしをこんなにしておいて
まだ解放してくれないの?

あたしの心、こんなにいっぱいにしておいて
まだ苦しめるの?!」

「・・・・・・」


「酷いよ、・・・返して

あたしから奪ったモノ
全部返してっっ!!」

 自分の中から溢れ出る感情が止められない
 ひたすら捲し立てるあたしを
 デマンドはただ静かに眺めているだけだった

 両者の温度が、どんどん開いていく



「あなたと、辛い別れをしてから
長い月日をかけてやっと忘れそうだったのに・・っ
どうして、今更あたしの前に姿を現したの

ねえ、どうして?」




「うさぎ、少し落ち着け・・」

 息を切らして食ってかかる態度に
 穏やかな口調が優しく語りかけてきた

 熱い頬に彼の右手がそっと触れる



「デマンド・・・」


「わたしがなぜ今此処にいるか
それは自分でも分からない

おまえは、わたしと再会し
同じ時を過ごした事を後悔しているのか?」

「後悔、なんて・・・」

 していない
 ・・・したくない

 ただ、辛いだけ
 楽しい夢のひと時が過ぎ去ってしまった後
 ココに取り残されたのは虚しさのみ

 時間を掛けて刻まれた思い出が
 深く胸に突き刺さりあたしを傷つける



「・・・・・・」

「過ぎた事を悔いても何も変えられない
それよりも今考えるべき大切な事があるだろう?」


「え・・・?」

「自分の心と向き合ってみろ

おまえの中の真実と」

「真実って」


「おまえは、いつからその悩みを抱えていた?
いつからわたしの事を想って苦しんでいたのだ・・」

「なっ悩んでなんかっ・・・いないもん!」


「その心の中はわたしで満たされていると
たった今言ってくれただろう?」

「・・・っ!」

 胸の内を指摘され、明らかな動揺が外に出た


 頭に血が上っていたからって
 あたし・・何て事を言ってしまったんだろう

 でも、こうなって改めて気付かされた
 あたしの中でデマンドがどれだけ大きくなっていたのかを

 これが、あたしの真実なの・・?



「自分が今何を言ったか、分かっているのか

わたしが好きだと
そう打ち明けてくれたのだぞ・・・」


「あ・・・・・あの・・っ」

「うさぎ・・
そんなに、切ない瞳でわたしを見てくれるのか」



「あたしは・・・」

 優しく肩を引き寄せられ、思わず彼を見上げる
 その瞳に釘付けになったままぼんやりしていたら
 ゆっくりと額にキスが落ちてきた



「愛しているよ」

「っっ」


「おまえの答えを聞かせて欲しい
その口から、自身の言葉で」


「デマン・・・っ」

 身動きが取れなくなった身体に
 甘い毒が容赦なく注がれていく
 誘惑の言葉に縛られ
 どこまでも深く突き落とされてしまいそう・・

 あたしの首筋を撫でていた指先が
 そっと頬を伝い、唇を下へ誘導する


「・・・ん・・」

「あ・・・っ・・

デマンド・・・ダメ・・っ!」

 止める言葉も届かず耳元を食べられた
 溜め息が髪を揺らす度
 背筋がゾクッと反応を示す



「は・・・う・・っっ」


「何も考えず
わたしのモノになってしまえ・・」


「止めて・・っお願い・・・・」

「わたしを好きだと
そう一言伝えれば良いだけだ

難しい事では無い」

「・・・んんっ・・」


「その苦しみから、解放してやろう
どんな苦痛も引き受けてみせる
おまえの全てを、受け入れてあげるよ」

 怪しく惑わす言葉をかわそうと
 必死に理性を手繰り寄せた


「こんな風にしないで

あたしは、逃げたくない・・・っ」


「わたしに捕らわれる事が
なぜ逃げになる」

「もっと
他に考えないといけない事がたくさんあるからよ」


「おまえの心の迷いが手に取るように分かる

うさぎ、わたしをそんなに恐れるな
その心を・・預けてみろ」

「・・・・・」



「この眼を、見てご覧
嘘を言っているように見えるか?」


「・・・見れないよ」

「なぜだ」


「怖いのよ
逃げられなくなるのが」

「逃げられると、まだ思っていたのか

・・・逃がさない
おまえはもうわたしだけを見ていれば良い」



「そんなの、駄目」

「何を言っても聞かぬと言うか


ならば・・・」

 言葉が途中で止まり
 唐突に目の前が暗くなってくる
 強固な意思を丸ごと封じ込めようと
 強引に瞳が覆い被さってきた・・

 それが触れる手前で
 お互いの間に指を挟んで距離を開ける

 そうして実力行使に出た唇に
 冷静な対応をしてやった


「デマンド・・・
こんな事、もう続けていられないの」


「・・・なぜ、それ程まで頑なにオレを拒む?
何がいけないと言うのだ」

「・・・・・」



「うさぎ・・・?」

「・・・・・・」

 眼を伏せ、沈黙で質問に答える



「黙ったままでは分からんだろう
答えろ」

「・・・・・・」



「おまえ・・何のつもりだ」


「・・・・・・・・」





「・・・・・来い」

「え・・・っ

・・・・・・きゃ!?」

 痺れを切らし、苛立つ態度をぶつけつつ
 強く腕を引っ張ってきた
 玄関に自縛されていた両足が遂にその先へと踏み込んでいく・・

 乱暴に身体ごと引き寄せられ
 そのまま引きずられて廊下をつき進んだ



「やっやめ・・・っ
痛いってば!離してよっっ」


「そんな戯言、聞けないな」

「バカっ!
デマンドなんて嫌いよ!!」


「心にも無い事を、よく言うわ」

 見透かすように鼻で笑い、
 強い力でひたすら先へ誘導する
 暴れる程に拘束力も増していき、その内手首に激痛が走り出した

 あっという間に果てまで辿り着くと
 部屋のドアを開け、その中にあたしごと押し込む



バタン


「やっ・・・何を・・っっ」

「・・・っ」

 操られるがままに身体が舞い
 目の前のベッドに突き飛ばされた

 どさっと倒れる音と同時に
 頭が壁にぶつかった音が後ろから届く


「たっ・・・

・・・!?」

 軽く打ち付けられた衝撃に怯んでいる間に
 デマンドが上へ股がってきた
 体勢を整える暇も無く
 捕獲された両肩がベッドへ沈み込む・・

 格闘で荒ぶった息が大きく胸を揺らした
 そうして、見下ろす真剣な瞳を迎え入れる


「これで
もう逃げられないだろう」


「何で・・こんな事するの?
今日のあなた、変よっ」

「おかしいか?そうかもしれないな
遥か前から、いや・・始めから
この瞳にはおまえしか映し出されていないのだ


わたしを満たす世界には、おまえしかいない
その他の何も必要としていない

こんなわたしを狂っていると
罵りたければそうすれば良いさ・・」


「・・・・・」



「うさぎ、
奪われたモノを返して欲しいのならば
己自身の手で取り戻せ」


「何、を・・・」

「その心を返して欲しいとわたしに頼むな
おまえが選び、決断しろ

わたしの想いを受け入れられないと、
完全に拒絶してみたらどうだ」

「・・・っ」


「この瞳を正面に捉え、たった一言

『嫌』だと
おまえが本当にそう望んでいると納得すれば
すぐにでも解放してやるさ」


「デマンド・・・」

「本当に思っているのならば簡単だろう

どうだ、出来るか?」


「・・・・・・」

「拒まないのか」


「・・・・・・・・・」


「・・・拒めないのか?」

 拒まないと・・
 すぐに反応しないと、躊躇いの態度を見透かされてしまう

 そう分かっているのに
 喉の奥から声がどうしても出てこない
 搾り出そうとすると
 今まで積み上げてきた沢山の思い出が脳裏を過ぎって制止する

 優しく触られた記憶を身体が覚えている
 これまで幾度も甘く囁かれ高鳴った胸が
 今、すごく苦しい・・・

 こんなに未練が残っているのに
 たった一言で全部捨てて、あたしは本当に後悔しないの?


 どうする事も出来ず
 遂には震える唇を閉ざしてしまった



「このまま
いつまでも見詰め合っている気か」

「っ・・・」


「それでも良いよ
わたしの瞳におまえだけが映し出され
おまえの瞳にも、もうわたししか存在していない・・・」

 毒を含んだ指先が
 優しくあたしの頬をたどってそれを塗りつけていく
 痺れが全身まで巡ると
 じりじりと捕食の手が伸びてきた


 お互いの瞳が自然と惹き付けられるように接近し
 静かに、唇同士が重なり合う


「・・ん・・・」

「ふ・・っうう・・・っっ」

 溜め息交じりの温もりが
 あたしの心の防御を解こうと柔らかく蠢いた
 そんな誘う唇から逃げ出したくて固く目を閉じる



「うさぎ、」
「ん・・・っ・・・っっ」

 中々開かない頑ななあたしの唇を解そうと
 何度もそれが触れてきた
 それでも無視し続け、よりきつく唇を結ぶ


 出来る事ならこのまま
 どこまでも溶かされてしまいたい
 何も考えず身を任せられたらどんなに楽になれるだろう

 でも、それは許されない事
 みんな必死に戦っているのに
 あたしだけこんな事を続けていたらいけない


 あたしはどうしたらいいの?
 こんなに熱い彼の想いを目の当たりにして
 受け入れる事も、拒む事も出来ないなんて

 心が・・引き裂かれそうだよ

 胸の奥から止め処無く熱い感情が溢れていき
 凝縮した想いが瞳から零れ落ちた
 その様子に気付いたデマンドが
 ゆっくりと身体を起こしてあたしを確認する



「・・・どうした?」


「・・っく・・・ひっく・・・っっ」

「なぜ泣く
わたしを受け入れる気が無いのならば拒め
この唇に噛み付きでもすれば良いだろう」


「・・・できない・・っ
できないよ、そんな事・・・っっ」


「おまえは、何に遠慮をしている?
後ろめたく思う事など無いだろう
自分に正直である事の、何が悪いと言うのだ」


「あたしだって、自分に正直でいたい
素直に生きたい

でも、それじゃ駄目なのよ・・・っ」



「うさぎ・・・」

「駄目なの、もう・・

あたしには仲間がいて
支えなければいけない未来がある
あたしは、自分の事だけを考えてたらいけないって
そう気付いてしまったの

だから
気付く前には・・戻れない」


「おまえは・・なぜそこまで仲間に気を遣う
人は所詮、何処までも独りで生きていくものだ
自分が一番大切に決まっているだろう」




「・・・違うわ」

「違う・・?」


「あたしが・・・嫌なの
あたしは、自分の未来を守る為に

そう、決断したのよ」



「・・・何だと?」

 迷いながらも少しずつ
 その決心を前に進めていった

 心を落ち着かせ
 あたしの言葉を待つ人にそれを伝える


「プルートに言われたの
世界の未来は、あたしが作るんだって
女王になるあたしが・・・

そして
あたしがその未来を選ばないと
大切な存在が消えてしまうのよ

今の自分の身勝手で
みんなの大切な未来を壊す事なんて、出来ない」


「・・・おまえの見てきた未来は
数ある未来のうちの一つの可能性に過ぎん

決まっている未来など無い
そうは思わないのか」

「思うわ
だから、怖いのよ」


「・・・・・」

「あたしがこのまま我侭を通していたら
かけがえの無い存在が生まれなくなってしまうかもしれない

そんな未来、・・・嫌だっ
考えられないよっっ

あたし会いたいの、大切なあの子に
その為には見てきた未来に行かないと
何としても・・・」

 デマンドの表情が少しずつ
 硬直していくのが手に取るように分かる

 あたしは、何て酷い女なんだろう
 こんな事言ったら取り返しがつかなくなるって
 今までのあたし達を壊してしまうんだって分かってて
 それでも、言うの


 あたしの結論を待つその瞳に
 心を決めて残酷な一言を放つ




「ごめんなさい、
あなたと一緒にいても未来が見えない

だから、もう・・いられない」



 その瞬間
 周囲の空気が一変したのを確かに感じた
 ピシ、と
 二人の間に亀裂が入る音が聞こえてくる


 彼の顔が、見れない・・・
 目を伏せたまま時が経つのを待っていたら
 どこからか不気味な笑い声が響いてきた



「ふ、ふふ・・・
そうか そこまで良く言えたものだ
呆れを通り越し、感心すらするよ・・」

「デマンド・・」


「今のわたしを拒めない
だが未来も拒めない

それが、おまえの答えだと言うのだな」


「・・・そうよ」

「可笑しな事を言う・・

未来は、現在の礎の先にある城のようなもの
基盤がなっていなければ理想の未来など訪れない

・・・今の自分から目を背けて、どうする?
先の事を考えて『今』を受け入れられないとは
矛盾極まりないと思わないか」


「・・・・・・」

 何も、言い返せない
 あたしが悪いんだもん
 だから
 どんなに罵られても全て受け入れるんだ

 非難を甘んじる覚悟を決めて目を瞑った



「わたしといても未来が見えないだと?
それで今まで、よくもわたしの隣で笑っていたな

未来を変える勇気も無く此処へ来るな!!」

「っっ」




「どうした、
情けない顔を晒したまま黙るつもりか
何か言い返してみろ」


「・・・あ・・・の・・・・・っ」

 強い口調に対抗する気も無く、ぐっと口篭る
 こんな情けないあたしに何を言い訳しろと言うの?
 今更、何を言い繕っても
 あなたには届かないって分かってるのに



「・・・おまえの、その瞳が好きだったよ

例えどんなに不利な状況でも
諦めず立ち向かうその強い瞳が」

「あ・・・っ・・」

 下を向くばかりの顔を
 乱暴に持ち上げられ目線を合わせられた
 凍りついた空気の中、強い眼光に突き刺され
 金縛りに遭ったように身体が立ちすくむ


 なんて冷たい瞳なの・・・
 かつてこの人に
 こんな非情な顔を向けられた事は無かった
 容赦なく睨みつける瞳の中に
 怯えたあたしが映し出されている


「つまらない瞳だな

かつての輝きなど今や消え失せ
もはや影も形も残されてはいない」


「あたし・・・は・・っ」


「今のおまえはただ逃げているだけだ
わたしの想いも、わたしへの想いからも目を背け
仲間の為と大義名分を振りかざし許しを請う・・・

そんなおまえはもはや
わたしの追い求めていたおまえでは無い」

 はあ・・と失望の溜め息が降りかかってきた
 軽蔑の眼差しが、無様な様子を嘲笑うように見下ろす


「何と弱い女に成り下がってしまったのか

おまえ・・・
わたしに、突き放して欲しいのだろう?

自分からはどうしても拒絶が出来ない
だから、敢えてこうしてわたしを煽り
その言葉を言わせたいのだ

姑息な手を使いおって・・っ」

「・・・・っ・・」


「・・・良いさ、それが望みならば
最後に叶えてやろう

その瞳を見ているのは、もう不愉快だ


この視界から 消え失せろ」


 腹の底から響くような低い声で
 冷たい怒りが放たれた

 全身が、水を被ったように冷えていく
 熱の冷めた彼の両手が
 あたしを長い拘束から解き放った


「これで満足だろう?

さあ、さっさと立ち去れ!!

オレの物になる覚悟もないくせに
この腕の中にいるな・・っ」


「・・・・・・・・・」

 本当に、そうだ・・・
 これ以上彼に酷い事は出来ない

 ふらつく身体をゆっくりと起こし
 振り返る事も出来ないままドアまで足を引きずっていく

 最後に
 何とか声を搾り出して一言だけ伝えた




「ごめん、なさい・・っ」


バタン・・・




 部屋を出てそのまま玄関まで進み
 外への扉を開いて現実の世界へ逃げ出す

 肌を刺す冷たい外気に晒された途端
 身体を操っていた糸が切れる音がした

 ガクリと膝が落ち
 重い足が地面に吸い付く


 誰もいない静かな廊下
 そこに、震える嗚咽が響き渡った



「デマンド・・・っ」

 胸に溜まった想いを吐き出そうと
 何度も深呼吸をしてみる
 それでも落ち着けない心が
 どんどん心臓を締め付けて息を早くしていった


 あたし達
 これで終わりなのね
 もう、楽しかった二人の時間は戻ってこない

 これが、あたしの望んだ結末・・・
 後悔なんてしたらいけない
 自分で選んだ事だもの


 大切なモノを失ってまで、大切なモノを守る
 選ぶって・・何て辛い事なんだろう

 この痛みに、これからずっと苛まれ続けるの?
 そんなの・・あたし耐えられる自信が無い
 こうなってしまった今の瞬間ですら
 何かにすがり付いて許しを乞いたくなっている
 誰か、あたしを助けて・・っ


 でもきっと 彼の方が辛い筈
 だから、あたしは耐えないといけない
 どんな苦痛にも耐え抜いて戦わないと・・・



「デマ・・ン・・・っ

・・・ふええ・・っっ」

 うな垂れた目の前の地面に
 じわじわと水たまりが広がっていく


 打ち明けられない真実の言葉
 それはあたしの最大の罪

 どうか今だけ・・・
 誰にも届かない懺悔をさせて欲しい




「愛してる、デマンド・・・」

 もう、二度と漏らさない
 この胸に焼き付けて封印しよう