パタン・・



 予想通り
 部屋の中はごく普通の雰囲気だった

 ベッドに、机に、あとは本棚
 そこには堅苦しそうなタイトルの本ばかり並んでいる

 しばらくその環境に慣れようと辺りを見回してみた



「何をキョロキョロしている」

「あ、ごめん
なんか難しそうな本がいっぱいだけど
これ全部読んだの?」

「ああ」

「はあー・・・大したもんですね」


「おまえも、
漫画ばかり読んでいないで少しはそういう本を読んでみろ
いつでも貸し出すぞ」

「あーいや、結構です;」

「ずっと本棚を眺めていたから
興味があるのかと思ったが」

「別にそういうわけでも・・・

デマンドの寝室に初めて入ったから
何だか色々と新鮮でさ」



「ここへは
誰も入れた事は無いからな」


「今まで、・・・一人も?」

「ああ、
おまえが初めてだ」


「・・・そっか」

 やっぱりこの空間は彼にとって特別な場所なんだ

 そんな聖域にあたしが入っちゃって
 良かったのかな・・・




「あっ・・そうだった!
具合悪いんだからとにかく横になっていてよ」

「そうだな・・・」

 ゆっくりとした動きでベッドに戻る後姿を見送り
 枕元のすぐ下に自分も腰を下した





「・・・・・・」
「・・・・・・」

 じっと、
 無言でこっちを凝視される


 ・・・途端にぎこちない空気が流れ出した



 どうしよう・・

 具合が悪くて寝ているんだから
 何かしようなんて言えないし
 でも、このままだと間が持たない
 デマンドも
 誰かが近くにいたら落ち着いて休めれないよね

 もしかして
 あたしって、かえって邪魔?



「どうした?」



「えっ・・・」

「黙ったままではつまらないだろう
何か話でもしたらどうだ」


「話してて、・・疲れない?」

「一日中
ずっと一人で寝ていたら流石に飽きた
話し相手にくらいなれ」

「うん・・」

 そっか
 寝たきりで一日何も出来なきゃ退屈だったよね

 人と会話をして
 それで気が紛れるなら来て良かったかも



「美奈子ちゃんから
あなたが風邪引いて休んでるって聞いて
びっくりしちゃったよ」


「わたしも風邪くらい引く・・」

「寝冷えでもしたんじゃないの?
お腹出してさ」



「・・・おまえの
その能天気な調子に振り回されたせいだ
わたしのペースを乱しておいて何をほざく」

「何よっ
そうやって何でもあたしのせいにしてさ
もうっ!心配して損したわ」


「人の心配より・・自分の心配をしろ」


「え?」

「おまえ、

・・・昨日の今日でよく来れたな」


「そっ・・・!!
それとこれとは別だもん!

いい?これ以上近寄ったら
病人だって容赦なくビンタするからねっ」

 体を一歩後ろに引いて身構え
 警戒心を剥き出しにしてやった



「いつもすぐに手を出すじゃじゃ馬娘め
少しは淑やかにしていられないのか


・・・愚問だったな」

「!!
あのねえっ

おしとやかにしていて欲しかったら
あなたがまず紳士になってよ!
いつもいつも・・・変な事ばっかしてっ」



「どんな・・・事だ?」

「だからっ


・・・くっ・・首に、
唇の痕とか・・・」


「・・そんなに強く吸い上げたか」

「したわよ!

ほらっっ」

 横を向いて
 その部分をしっかりと見せ付ける


「ほう・・・
これはまた綺麗に浮かんだものだ」

「なっ・・!あなたねえっ

ワザとしたくせに
とぼけてないでよ!」


「ワザとだったかどうだか
・・・高熱にうなされて忘れた」

「なーんーですってー!」



「大声を出すな・・頭に響く」

「・・・っ・・もうっ
こういう時だけ都合良く病人ぶるつもり?

まあ、いいわよ
仕方ないから風邪が完治するまでは一時休戦ね」




「ふっ・・・」

「何ですか、その不敵な笑みは・・・」

「風邪と言うのも中々に便利だな
何でもそれのせいにして片付けられそうだ」


「・・あんまり調子に乗ってると
治った時に倍の仕返しが飛んでくるわよ」

「それも、楽しみにしていよう」

「もうっ・・・
風邪で倒れていても
口だけはいつもと変わんないんだから」

「もっと、病人らしくしろと?」

「それはそれで心配だから
・・・このままでいい」

「ははっ」


「でも、こんなに弱ってるデマンド
初めて見たかも
貴重だから
よーく目に焼き付けといてあげるわよ」



「焼き付けて・・・おけば良い」

 浅い息を吐く口元が少し緩む


「・・・っ・・」

 何だろう、
 弱っているせいなのかその笑みがすごく優しく見えて
 一瞬ドキッとした


 そういえば
 今日のデマンドってなんだかすごく・・・色っぽい

 熱のせいで赤みを帯びた頬も
 少しはだけた寝巻きの間から見える肌も・・

 いつもと違う穏やかな雰囲気も新鮮で
 すごくギャップを感じてしまう




「・・・どうした?」

「えっ・・・べ、別にっ」

 慌てて現実に意識を戻して妄想を散らす




「あっ・・ねえ、何か食べた?
あたしで良かったらおかゆとか作るよ」


「・・・結構だ」

「どうして?
遠慮なんてしなくていいんだからね」



「弱っている胃の中に刺激物を入れたくない」

「ああそうですかいっ

じゃあ、何かして欲しい事ある?
せっかく来たんだからお手伝いしていくよ
一人だと色々と大変でしょ」


「何も、しなくて良い」

「お洗濯とか溜まってないの?」

「・・・おまえが手を出すと却って片付けが大変だ
いらぬおせっかいのせいで
具合がもっと悪くなるのが目に見える」

「ひっどい言い方!」

「いいから、余計な事はするな
何もな」




「そんなにあたしって
・・・役に立たない?」


 考えてみたら、そうかもしれない
 家のお手伝いだってロクに出来ないし
 ドジで必ず何か失敗やらかしちゃうし

 お見舞いに来た所で
 あたしに出来る事って、何も・・・




「・・・うさぎ」

 ベッドの中から静かに腕が伸びてきて
 俯いているあたしの顔を軽く持ち上げた



「デマンド・・?」

「・・・このまま傍にいろ
それだけで良い」


「ここに?」

「ああ、」



「それって・・・

離れて欲しくないって・・事?」


「・・・・・・」

 こんな風に聞いて
 自惚れてるって思われたかもしれない
 でも、答えて欲しい


 そうだ・・って
 あたしにも出来る事があるんだよって

 そんな返事を期待して待っている自分がいる




「・・・そうだよ」

「!?」




「・・・と、言って欲しいか?」



「・・・・・・・・え?

・・・あ、べっ別に・・っ」


「姿が見えないと
何をしているか気が気ではないだろう
だからここから動くな」

「・・・っ・・
分かった・・わよ」

 ばつの悪い様子が伝わりそうで
 そこからすぐに顔を逸らした

 一瞬胸がざわめいたのに・・・
 見込み違いであからさまにがっかりしちゃうよ




「・・・・・」

「どうした
何を拗ねている?」



「もしかして・・・からかってるの?」


「さあ、どうかな?」

「バカっ!


居て・・欲しいんなら
素直にそう言いなさいよ」


「素直でないのは
わたしだけではないだろう?」

「・・・もうっっ」

 チラッと視線を合わせたら
 そんなあたしを眺める瞳が何だかちょっと楽しそうだった





「体を起こしたら疲れたな

・・・このまま少し寝る」

「あ、うん
そうしなよ」


「おまえも、気が済んだら帰れ」

「はいはい
そうするから、もう目を閉じて?」


「・・・・・・」




「おやすみなさい、」


 スウっと
 すぐに静かな息が聞こえてくる




「・・・穏やかな寝顔ね」

 無防備なこの人を久しぶりに見た気がする

 一緒にいる時だって
 ウトウトしているあたしの傍で
 あなたはずっと肩を抱いてくれていて・・

 目が覚めた時に眺めるその横顔には
 いつも隙が無かった


 生徒会の仕事とか結構忙しそうなのに
 しっかりこなしてお勉強もずっとトップで
 昼休みだって
 いつも寒い所でずっとあたしを待っててくれる

 体調だって崩すよね・・・


 辛いとか、寂しいとかそういう面は全然見せないけど
 ずっと家族と離れて一人暮らしなのに
 寂しくないわけないよ

 あたしは何も出来ないけど
 こうして
 傍に誰かいるだけでも安心感が違うのかもしれない

 体が弱っているときは心細くなるもんだし
 今日くらいママになってあげよう・・・


「早く、元気になってよ?」

 ギュッと
 熱い手を強く握ってあげた











「・・・ん・・」


 何だ、これは

 横になっているはずなのに
 まるで飛んでいるかのような感覚が襲ってくる

 眩暈なのか本当に宙に浮いているのか
 一体どちらだ・・・



 体が・・動かない
 金縛りに遭った様に全身が固まったまま
 半睡の状態がしばらく続く



 不思議な浮遊感に身を任せて漂っていたら
 ふっとその感覚が無くなった

 世界が逆転し
 浮力が無くなった体へ重力が一気に加わる

 どんどん速さを増して落下していくそれを
 誰かが見下ろして笑っていた


 それは、紛れも無く自分自身




 だとしたら
 今落ちているわたしは・・・誰だ









「・・・っ・・!?」

 ハッと
 地面に激突する直前に意識が戻る



 しばらくそのまま硬直する体を休めていたかったが
 周りの状況がそれを許さなかった




「ここは・・・何処だ?」


 白い世界に、無音の耳鳴り

 ゆっくりと起き上がり
 ぐるりと目視をしてみても変わらない

 人の気配も一切感じられない
 もしかしたら
 わたし以外誰も存在していないのか?


 どこまでも何も無い、無の空間
 その中心に唯独り立ち尽くしているというのに
 不思議と孤独感は感じられなかった



 この場所に、覚えがある

 なぜだろうか
 懐かしいとすら感じてしまうのは


 ここは・・・




「すべてが始まり

・・・終わる場所」


 言葉が自然に漏れた

 記憶など一切無いはずなのに
 漠然とそう感じる


 ここは、わたしの心が存する唯一の空間なのだと





「・・・デマンド・・」


「・・・?」

 遠くで誰かがわたしを呼んでいる
 聞き覚えのある、穏やかな声



 おまえは・・・







「・・・ン・・ド・・


・・・・デマンド?」



「・・・うさぎ、か?」

 目を開けて、声の主の姿を確認する


「具合どう?」

「熱のせいか・・まだ頭痛が酷い」


「顔、赤いよ?
すごく高そう・・・」

 心配そうな瞳が至近距離でこちらを覗いてきた
 そのまま、額同士が軽く触れ合う


「まだ、熱い」

「・・・・・・」

 彼女の息が火照る頬を柔らかく撫でた



「ねえ、
・・・風邪って人に移すと治るって
聞いた事、ある?」


 ふっと
 視線が間近で合った瞬間
 引き付けあう唇が重なり、呼吸が止められる




「・・・んっ・・」

「・・・っ・・はあ・・・っ」

 誘われるがままに
 吐息をすべて呑み込む勢いでそれを貪った

 熱のあるわたしと同じ位
 彼女の中も熱い・・・

 しばらくそのまどろみを感じ
 夢見心地に酔いしれる



 腕を背中へ回して抱きしめると
 頬を伝う彼女の唇がわたしの首元を捕らえた


「デマンド・・すごく熱い

顔も、首も、・・・身体も」

 甘ったるい毒の誘惑が思考を完全に封じる


 何だ・・・この感覚は
 生々しい温もりが全身を覆い尽くし
 わたしのすべてを吸い込んで行く




 気が付いたら先程まで居た
 白いあの空間に誘われていた


 どこまでも果てしなく白いその中で
 いつの間にか何も身に着けていない二人が
 互いの鼓動を確かめ合っている




「このまま
・・・あなたと溶け合ってしまいたい」


 魅惑の肢体が絡みつく
 その指先が胸元から下へ辿ると
 痺れが下半身へ落ちてきた



「・・・うさぎ・・っ・・」



「もっと
どこまでも深く、あなたの心の奥底に

あたしを・・・連れて行って」












「・・・・・・ここは・・」

 ひどい頭痛と眩暈に襲われたまま
 ゆっくりと瞳が開く


 霞む目の前にはいつもの天井・・・



 何もかも夢・・だったのか
 頭が熱で遮られ、現状の把握に時間が掛かった




「そうだった・・・
部屋で、ずっと寝ていたのだ」

 一体、どこからが夢だった?

 体に残る余韻が
 とても幻だったとは思えない・・


 それとも
 ここはまだ夢の中なのだろうか?

 現実と夢の境が・・分からない




「うさぎ・・・」

 金色のしっぽが視界の隅に入り込む
 それに目を向けたら
 寝る前と同じ位置に彼女が居た

 しっかりと、わたしの手を握ったまま
 布団の上に突っ伏して微動だにしない




「おい、・・・起きろ」


「・・・・ん・・・

・・・あ・・ごめん、
あたしまで、寝ちゃってた?」

「寝冷えして
風邪を引いたらどうする」

「大丈夫・・・だよ?」

 まだ眠たそうな瞳を擦りながら
 大きなあくびを見せてくる


「おまえ、どのくらい寝てた」

「んー・・
デマンドが眠ってちょっとしてからだから

・・・一時間くらい?」


 一時間・・か

 程良く眠った筈なのに
 このだるさは、何だ

 あんな夢を見たせいで余計疲れた気がする



「具合、どう?」

 心配そうに声を掛けられ
 ひやりとした指先が額に触れてきた


「・・・・・・」


「どうしたの?さっきより上がってるんじゃない」


「・・・そう・・か?」

「なんだか具合も
寝る前より悪くなっているみたい・・・

あたし、タオル絞りなおしてくる
ちょっと待ってて」

 バタバタと
 慌しい足音が部屋を出る







「どう?
すっきりしたかな」

 濡らしただけのそれが
 まるで氷のように冷たい・・・


「ああ・・・」

「そう、良かった

なんだか、まだまだ熱上がりそうだね
寒くない?」



「・・・うさぎ」

「ん?」




「おまえ・・・もう帰れ」


 その言葉は
 わたしの精一杯の配慮のつもりだった



「時間はまだ大丈夫だから
もう少しいてあげるよ?」


「・・・もう、充分だ」

「遠慮しないの
一人で何もかもしようとしないでさ
こういう時くらい誰かに甘えてもいいんだよ?

あたしだってこんな病人ほっといて
心配で帰れないよ・・・」


 こいつは・・・
 自分がどういう状況に立たされているか
 全く分かっていない




「どう・・・なっても、知らんぞ」

 最後の警告のつもりで言い放つ


「あはははっ

大丈夫、
こう見えてあたしあんまり風邪引かないし
あ、別になんとかだからって訳じゃあないけどさ」


「馬鹿が・・・」

「だからっ馬鹿じゃあないってば!」


 なぜ彼女にはここまで言っても伝わらない・・・
 もう、
 熱が妨害して考えがまとまらなくなってきた


 何もかも、どうでも・・良い





「・・・・・・」

 徐に上体を起こす
 それだけで立ち眩みが襲ってきた


「ちょっと!何してるのよ
寝てなきゃだめだってっ」



「うさぎ・・・」

「何か欲しいなら
あたしが取ってくるから・・・ね?」


「欲しい・・・もの・・」

「何が欲しいの?

・・・お水??」


 霞む視界の中
 先程までのまどろみがわたしに囁く

 じっと見つめるあどけない瞳が
 それと重なって一つになった


 幻覚が・・・
 そのままあちらの世界へ引きずり込もうとしてくる



「・・・っ・・」

 正常に回らない思考


 判別のつかない状態で
 本能の望むまま

 目の前の、欲しいものを抱きしめた