「はあ、疲れた・・・」

 午前の授業も終わり
 いつもの昼休みがやって来た

 お腹も程ほどに満たされて
 そろそろ元気が出てもいい頃なのに
 動く気が全くおきない
 さっきからずっと
 重い頭が机の上にうな垂れている

 特にする事が無くてぼうっとしていても
 脳裏に浮かぶのはのは昨日の事だけ
 必死に忘れようとすればする程
 ぐるぐると駆け巡りあたしを混乱させる



 ・・・怖かった
 あんなにあの人を恐ろしいと感じたのは久しぶりだった
 まるで、初めて出会った時の彼のよう

 あんな冷たい目をまた向けられるなんて・・・
 最近少しずつみんなとも打ち解けてきて
 何かが変わり始めたって
 そう思っていたけど・・・違ったのかな

 人の本質はどうしても変えられないものなの?


 ・・・分かんないよ
 これからあの人と
 どういう風に付き合っていけばいいんだろう

 このままじゃいけないって思ってる
 流されるままどこまでもあの人のペースに呑み込まれていったら
 あたしは自分が保てない



「少し、・・・離れた方がいい」

 今度こそ、そうしよう
 もうデマンドのマンションへは行かない
 当分は学校でも鉢合わせしないように気をつけて・・・




「よっ!おだんごっ」

 後ろの席に戻ってきた星野が
 いつも通りの明るい調子で話しかけてきた


「・・・あんたはいつも元気ね
うらやましいわ」

「さっきから何うなってるんだよ
もう昼ごはんは食べたのか?」

「食べたけど

・・・力が出なくて見ての通りよ」

「何だよ、全然足りて無いじゃん


・・・あれ?
おい、おだんご・・・」

「んー?

・・・きゃっっ!
ちょっと、どこ触ってるのよ!」

 いきなり首筋に触れられて
 体が飛び上がる


「ココ、どうした?」



「・・・え?」

「首の後ろ・・・
赤くなってるじゃん

虫刺されか?」


「・・・虫刺され?」

「結構ひどい痕になってるのに
気付かなかったのかよ」

「だって、別に痒くないんだもん
おかしいなあ・・・」


 本当にただの虫刺され?
 ・・・何かが引っかかる

 首筋に、赤い痕


 さっき星野にそこを触られて
 心臓がドキッとした
 昨日デマンドがキスしてきた所と同じだったから

 偶然・・なの?






 ・・・・・・!?

 違う、偶然じゃない


 これって
 もしかして、唇の・・



「・・・っ・・」

 慌てて、手で覆い隠した
 原因が判明した途端に心が浮つき出して
 何だか落ち着かない

 誰も、・・気付いてないよね
 こんな物を今まで無防備に晒していたなんて
 あたしったら・・・疎すぎる


「こんな時期に
何に刺されたんだ?」


「なっ何かな・・おかしいなあ;

・・・あっっ
きっと、ダニよダニ!
最近どうも体が痒いと思ってたのよね」

「おまえ・・・
ちゃんと布団くらい干せよ」

「そうだね、あはははっ;」

 引きつり笑いのまま前を向いた


 ・・・デマンドったら
 ろくでも無い事ばっかりしてくれるわね
 何て人なのっ

 あたしからは見えないけど
 外からは目立つ場所を明らかに選んでる
 ・・・絶対わざとね

 そんなに困らせて楽しいわけ?
 あの人
 最近調子に乗り過ぎてるんじゃない??

 このまま黙っているのはこっちの気が収まらない



 ・・・まだ昼休みの時間は少し残ってる

 もうマンションまで押しかけるのは懲りたから
 学校に居るうちに文句を言いに行ってやるわよ
 ビンタの一発でもお見舞いしてやろうかしら!


 ガタッと勢いよく立ち上がり
 そのまま廊下に足を向ける



「おだんご?
どこ行くんだよ」


「・・・トイレ!!」

 意気込んだまま飛び出した
 怒った顔を隠せずに
 大きな足音を響かせてそこへ向かう




 そのままの気迫で乗り込んだ





「ちょっとちょっとちょーーっと!

デマンドっっ!!
どういうつもりっ!・・・って、


・・・あれれ?」

 シンとした空間に自分の声だけが戻ってくる



 ・・・いない

 もう教室に戻ったのかな
 でも、いつもならまだいる時間なのに


「何よ・・・
拍子抜けしちゃったじゃない」

 もしかして
 まだあたしの反応を見ているの?



 会いにおいで・・って
 言ってたのに



「・・・嘘つき」

 馴染みの風景なのに何だか今日は違って見える
 あの人がいないだけで
 こんなに変わってしまうものなの?

 何だか、・・・寂しいな













「うさぎちゃん、
そこの塵取り取ってくれる?」



「・・・・うん」


「うさぎちゃん?」



「・・・・・・うん

・・・っ!
な、何?まこちゃん」

「どうしたんだい?
お昼過ぎた頃から何だかうわの空だな」

「えっ・・・そう?」

 意識を現実に引き戻して
 慌てて箒を持つ手を動かす





「あーんもうっっ

ショーーック!!」
「あうっっ」

 勢いをつけて
 美奈子ちゃんが背中にダイブしててきた


「うーさーぎーちゃーん

あたしのこの傷ついた心を慰めてっ」

「ぐっ・・・ぐるじい」


「美奈子ちゃんたら
掃除サボってどこ行ってたんだい?」

「ちょっとぐらい許してよう
会長の顔でも見て癒されようかなって
生徒会覗きに行って来たんだけど

今日お休みだったみたいでさ」

「えっ
・・・お休み?」

「なんか風邪引いたらしいわよ?」


「風邪・・・」

「大変だなあ
最近流行ってるみたいだし
しっかり休まないと」

「あーあ、一日一回姿を拝まないと
学校に来る甲斐がなくなっちゃうわ
明日は治るかなあ」

「会長って一人暮らしだろ?
あたしもそうだから分かるけど
自分が倒れると身の回りの事とか大変なんだよな」


「・・・・・・・」

「そうねえ、
男の人の一人暮らしならご飯も適当だろうし

もしかして・・
すっごい熱で倒れてたりしてっ」

「・・・っ!・・」


「それはちょっと心配になるなあ
そうなっても一人だと発見が遅れそうだし」

「その間に天に召されてうらめしや〜
・・・なーんて事になったら大変よ!

そうだっっ
これからお見舞いがてら看病に行かない?」




「美奈子ちゃん・・・
それは止めておこう」

「えーどうして?
せっかくこの愛の女神が
アナタ専属のナースになってあ・げ・る
・・・って言ってるのにい」


「ありがた迷惑って言葉、知ってるかい;

みんなが風邪引いて倒れた時に
色々とやらかしてくれただろ?
あれと同じ目に遭わせるのは酷だって;;」

「もうっ
せっかくのチャンスなのに!」

「まあまあ、
風邪の時はそっとしておいてあげようよ」










「風邪、かあ・・・・」

 部活のある二人と別れて
 一人で校門を出た
 そのまま帰るつもりだったのに
 進む足がどんどん重くなっていく

 二人の話を聞いていてたら
 何だかすごく心配になってきたよ
 本当に倒れていたらどうしよう・・・


 様子くらい、見に行く?



「うーーーん・・・」




「お・だ・ん・ごっ」

 悩んでいる背中に
 不意打ちで平手打ちが飛んでくる


「星野!

なっ何よ?」

「これから暇?
ちょっと遊んでいかないか」


「遊んでって・・・

連日でライブハウスに行く気?」

「それでもいいけど
別にどこでもいいぜ?お茶でも、映画でも

おだんごと一緒ならどこでもな」


「星野と、二人で?」

「そう
オレと、二人きりで


・・・どこに行こうか?」


「・・・・・・」

















ピピピッ

 微かな電子音が寝間着の中で鳴る



「38.2℃ か

・・・まだ高いな」

 朝より大分マシにはなったとは言え
 やはりまだ本調子には戻らないか

 体調管理はしていたつもりだか
 少し油断したようだ・・・




「・・・はあ・・」

 気だるい体を持て余し空を見つめた



 ・・・退屈だな

 頭痛もあるから何も出来ない
 出来る事は
 寝返りを打って視界を変えてみる事くらいだ

 だが、
 こうしてゆっくりするのは久しぶりかもしれない


 最近色々と慌しかった
 この風邪も、丁度良いタイミングだったのだ
 わたしには一人静かに考える時間が必要だった





「・・・うさぎ」

 己を振り返ろうとしても
 こうしていると思い浮かんでくるのは彼女の事だけだ


 少しずつ
 うさぎといる時間が増えてきた

 ここで幾度も密会し、同じ時を共有し合い
 いつの間にかわたしだけの空間に
 彼女が当たり前のように存在するようになってしまった


 わたしの、心も・・
 大分侵食を許してしまったな

 ・・・なんて恐ろしい女だ


 だと言うのにあいつの想いはまだ完全にこちらを向かない

 あの頑固な意志を曲げるのは容易くないと
 それは分かっていたが・・・
 中々にこちらの焦燥感を掻き立ててくれる


 仕方が無いか・・・
 彼女とその男の誓いは前世から継がれているらしい
 覆すにはそれ以上の強固な結び付きが必要だ

 まだ、何かが足りない




 ・・・それに加え
 目の先をウロウロする目障りなヤツが
 最近少しずつ主張を強めてきている


「星野め・・・」

 あのソフトボールの試合の一件から
 ヤツの態度に変化が表れた気がする

 前はうさぎの想いにかなり配慮をして接していたようだが
 その方向性が一変した
 一歩引いていた姿勢が・・強くなった

 何があった?


 ヤツなど元より眼中に無かった筈なのに
 うさぎの、あいつに対する構い様を見ていたら
 ついカッとなってしまった

 わたしらしくもない事を・・・
 常に冷静であり続けたいと努めても
 彼女の前だと時折それが崩れてしまう


 なぜ、あそこまで関わろうとする
 出会って間もないヤツに肩入れし過ぎだろう

 うさぎは何を考えている・・




 もしや
 わたしは思い違いをしていたのか?

 比べられている相手は海の向こうの男ではなく
 あいつなのだろうか
 遠い想いより
 近くの男の優しさになびいてしまったのだとしたら

 ・・・それまでの女だったということか



「つまらん・・・」

 前世からの絆を断ち切らせ
 こちらを振り向かせたのならしてやったりと悦に入る事も出来るが
 ぽっと出のヤツと鞘当てさせられているのならば
 何と腹立たしい・・・

 見ている限り
 それ程ヤツを男として意識しているようには見えないが・・・

 いや、どうなのだ


 本当に、彼女の考えていることは判然としない
 どこまでも深いのか
 果てしなく浅いのか
 どちらだ・・・?




 ・・・だめだ

 体調が万全ではない時に
 考え込んでも良い案は出て来ない

 思考を止めて今日はこのまま休もう・・
 明日になれば熱も引くだろう


「気分転換に
水でも飲んでくるか・・」










「・・・・・・」

 見慣れたドアを凝視したまま固まる


 来ようか、止めようか
 かなり悩んだけどやっぱり心配で・・・
 星野の誘いを断って来てしまった


「本当に
倒れていたら大変だもん・・」

 様子だけ確認して帰ろう

 心を決めてインターホンに手を伸ばす


 ・・・その手が寸前で止まった



 どうしよう・・・
 もし寝ていたらこれで起こしちゃうのも可哀想よね




「・・・そうだっ
あたしったら、いい物持ってたじゃない


・・・じゃーん!!」

 少し前に貰った合鍵を
 鞄から取り出して光にかざす

 使う事なんて無いと思ってたけど
 結構すぐにその機会がやってきちゃったよ


「何だかちょっと緊張するなあ・・」

 鍵穴にそれを差し込むと
 軽い音と共にすんなりと回った


 カシャン



「・・・お邪魔しまーす」

 音を立てないよう
 静かにドアの隙間を擦り抜けて侵入する


 バタン・・



「さてさて、何からしよっかなっと・・・


・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」


 後ろを向いたら
 廊下を横切る人と視線がぶつかった


 驚いて声も出ないみたいな顔・・・

 勝手に入ってきた手前
 こっちも何だかちょっと決まり悪い



「やだ、
・・・寝ているかもと思ってこっそり入ったのに」



「どうやってここを開けた・・・


・・・合鍵 か」

「うん、そうだけど
勝手に上がり込んで・・まずかった?
ごめんね」


「それは良い、が・・

・・・何しに来た」

「何しにって・・
風邪引いて休んでるって聞いたから
・・・お見舞いに」


「見舞い・・・?」

「うん・・
デマンド一人暮らしだし
倒れてたら大変だなって」

「心外な・・・
たかが風邪ごときで倒れるか
わたしはそんなにひ弱な男ではない」

「何よ、その言い方・・・
せっかく心配して来てあげたのに」



「心配・・だと?

なぜ他人の心配をする」

「しちゃ、だめなの?」

「・・・理解不能だ」


「だって・・
毎日昼休みはいつもの場所にいるのにさ

・・・いないんだもん
どうしたのかなって、気にもなるよ」



「・・・すまなかったな
会いに行けずに
伝えようにも連絡手段が無かったから」

「そんな事いいよ、仕方ないもん

具合、悪そうね
大丈夫なの?」


「頭痛が少しあるが・・・
その程度だ」

「熱は?」

「38℃程度には下がったな」

「まだ高いじゃない!
だめよ、寝てないとっ」


「・・・長い間起きていると流石にきつい」

 フラっと
 壁にもたれる様子が本当に辛そう・・


「早く、横になったほうがいいよっ」


「悪いが・・・相手をしていられない
今日はもう帰れ」

「でも・・・」

 こんなに弱ってる彼を見るのは初めて


 これだけ具合悪そうなら
 昨日みたいな事もされないだろうし・・・

 何より心配すぎてこのまま帰るなんて出来ないよ


「せっかく来たんだから、少し傍に居てあげる

・・・だめ?」




「・・・好きにしろ」

 少しの間をおいて答えが返って来る

 付いて来いと直接は言われなかったけど
 部屋に戻っていく後姿が誘導しているようなので
 それについて行った


 開いたドアの前でピタっと立ち止まる



「どうした?」

「え、あの・・・

寝室、入っていいの?」

「傍に、居たいと言っただろう」


「でも・・・」

 前に、寝室には誰も入れたくないって
 そう言ってたのに



「わたしが良いと言っているのだから、入れ」




「はい・・・」


 少し緊張しつつ
 その一歩を踏み出した