「あー・・・
何だか今日は疲れたわ;」

 背中を丸めてとぼとぼと学校の外へ出た

 結局昼休みは時間が無くて
 お弁当も食べずじまい・・・
 さっきようやく食べれたけど
 空腹は満たされても
 やっぱり胸のもやもやは消えてくれない


「一体どういうつもりよ、あの人・・」

 放課後もあの場所には現れなかった
 生徒会があっても毎日必ず顔を出すのに
 今日に限ってどうして・・・

 特に約束をしていたわけじゃないけど
 ・・何だか露骨に避けられている気がする


「お弁当食べながら待っていたのにさ

・・・って別に
デマンドに会いたくて行ったわけじゃないんだからねっ」

 自分の心の声に間髪入れず突っ込んだ

 でも
 繰り返されている日常が少し崩れただけで
 何でこんなに気になっちゃうんだろう

 どうしよう
 このまま、帰ろうかな
 それとも・・・


「ううん、
ここでマンションに行ったら
あたしがすごーく気にしてるみたいじゃん
今日はもう断固として帰るんだもんね!」

 決意を固めて足を速めた






「よう、」

「・・・?」

 校門を通り過ぎようとしたその時
 横からひょいと声を掛けられる


「今帰りか?」

「星野・・・

うん、そうだけど
あんたも?」

「まあな」


「今日は部活無いんだ」

「ちょっと、野暮用で休んだんだ」

「ふーん、あっそう
お仕事か何か?
頑張ってね!

じゃあ星野、また明日
バイバ・・・」
「待てってば

野暮用があるって、今言っただろ?」


「聞いたけど・・」

「おだんごを

ずっと、待っていたんだ」



「・・・・何で?

あたしに何か用??」

「用がなきゃ待ってちゃいけないのかよ
スリーライツ親衛隊公認のカップルだってのに、
・・・冷たいヤツ」

「はい??その話は冗談だったはずでしょっ
からかうのもいい加減に・・」
「なあ
これから、一緒に遊びに行かないか?」


「・・え?」

「おだんごと行きたい所があるんだ」

「行きたい所って・・・どこ?」

「内緒
驚かせたいからな」

「??」


「暇なんだろ?ついて来いよっ!」

「ちょっ・・ちょっと待ってよ
まだ行くって言ってないでしょっ」












「ここって、
・・この前来たライブハウスじゃない」

 星野と一緒に動物園へ行った帰りに立ち寄った場所
 こんな所で何の用?


「覚えていてくれたか?」

「そりゃあねえ、あんな事があれば

もう、
あの時は敵と戦って大変だったんだから・・・」


「ん?」

「なっ何でもないよ
それよりなあに?こんな所に連れてきて
また踊るの?」

「いや、今日はそうじゃない
まあ、そこ座れよ」

「うん・・・」

 言われるまますぐ傍のソファに座る
 星野も向かいに腰を下ろした



「今日はさ、おまえに、

歌を聴かせてやろうと思って」

「・・・歌??」

「そうだ、
スリーライツ星野光のオンステージ
お客はおだんご一人
贅沢だろ?」

 そう言うと横においてあったギターを手に取る


「えっでも・・・」

「オレの歌を・・聴いて欲しいんだ」

「歌だったら前、聴いたよ?
お昼休みに全校放送で・・」

「あれは他の皆も聞いていただろ?
今日はそうじゃない

目の前の、おまえの為だけに」

「あたしだけの・・為?」


「ああ・・・
この歌を、おまえに聴かせたい

届かぬ・・想い」

「・・・っ・・」

 じっと
 こっちを見つめる視線が何だか妙に熱っぽい気がして
 一瞬胸の奥がざわめいた



 静かな空間に
 ギターの音が鳴り響く


『君の中でまどろむぬくもりに包まれて
そう嗚呼、いつまでも醒めないでと辛く叫ぶのさ』


 同じ曲なのに、違う・・・

 この前はアップテンポな感じだったけど
 今日はバラードみたいにしっとりと歌われている
 雰囲気が違うと
 感じ方ってこんなに違ってくるものなのかな

 ううん、それだけじゃない
 こうして目の前で聴かされると迫力が全然違うんだ
 肌がビリビリして空気の震えが直に感じ取られ
 メロディが波となってあたしへと迫り寄って来る


 星野の歌は不思議・・・
 何かを
 誰かに必死で伝えようとしているんだって漠然と感じる
 どうしてかは分からないけどそう直感してしまうの
 声を張り上げて叫ぶ姿は
 あたしの記憶の奥底まで潜り込んで心を掻き乱す

 過去を思い出させられて・・・胸が痛くなる


『もっと出会いが早ければと言い訳ばかり見つけてる
月の光が届かぬ彼方へ嗚呼君を連れ去りたい』


 ギターを弾く手が、ゆっくりと止まった

 耳に余韻が残されたまま
 再び空間に静寂が戻ってくる



「やっぱりすごいや、星野は」

 パチパチと軽く拍手をしてあげると
 照れくさそうな微笑を向けてきた


「そうか?」

「うん、歌っている所を見ていると
やっぱアイドルなんだなって再認識するよ
いつもの姿からはぜーんぜんイメージ湧かないけどさ」



「アイドルのオレといつものオレ

おだんごは、どっちが好きだ?」


「え・・・?」

 どっちがって、どう言う事だろう

 本当の星野はどちらか一方で
 もう一方は・・違うって言うの?



「・・・どっちも
星野は、星野だよ?」

「どっちもオレ、か
ははっ・・・ありがとう」

「うん・・」

 曖昧な言い方しか出来なかったけど
 何て答えれば良かったんだろう


「言っとくけど、特別だぞ?
こんな事誰にでもするわけじゃないんだからな」

「でも、どうしたのよ
いきなり歌を聴かせてやるだなんてさ」



「最近おだんごさ
何だか元気なさそうだっただろ?」

「えっそれじゃあ

あたしを、元気付けようとしてこんな事
してくれたの?」


「オレに出来る事は、これくらいだから」

「星野・・・」

 これが彼なりの励まし方なんだ

 あたしったら
 後ろの席の星野に気付かれるくらい
 しょんぼりしていたのかなあ・・・

 だめじゃん
 余計な心配かけさせちゃって


「あははっ
気にかけてくれて、ありがとっ
あたしは別に何とも無いよ?

ちょーっと寂しいなって
そう思っちゃったりする時もあるけど
でもみんながいてくれるし
だから、全然へっちゃらなんだっ」

 元気な風を見せようと
 にこっと笑顔でピースをしてみる


「寂しいって・・・どうしたんだよ
何か辛い事でもあったのか?」

「別に・・
ほら、あたしの彼氏って今アメリカに留学中でしょ?
だから会えなくて寂しいなって
それはどうしても思っちゃうけど
だからって辛くてたまらないってわけじゃないし」


「本当に、それだけか?」

「それだけ・・だよ?」

「食欲魔人で食べる事しか楽しみの無いおだんごが
今日は昼に弁当も食べてなかったじゃん?」

「失礼ねっ」

「元気だけが取り柄だろ
だから、どうしたんだと思ってさ」

「・・・ごめん、
心配かけちゃって」


「なあ、
オレでよかったらいつでも何でも相談に乗るぜ?」

「うん、ありがとう
その気持ちは嬉しいよ
でも、本当に大丈夫だから」




「オレじゃ、・・・役不足かな」

「そういうわけじゃっ

・・・そんなんじゃ、ないよ?」

 そんなに心配そうな目でこっちを見ないで
 何もかも話してしまいそうになっちゃうよ

 まもちゃんの事もデマンドの事も
 考えないといけない事はいっぱいあるのに
 思考が全然まとまってくれない
 自分の中で一切の結論が出ないの
 こんな事・・・誰にも相談なんて出来ないよ


 ううん、しちゃいけない
 自分で解決しないといけない事だもん




「・・・・・・」

「オレ達、
もう少し早く出会えていれば良かったな・・」

「どうして?
あたしと星野は今こうしてお友達になれたでしょ?
出会うのが早くても、ちょっとだけ遅くても
そんなの関係ないよ」


「そうだな・・・」

 ふっと笑ったその笑顔は
 何だか少し寂しそうだった


「おまえの笑顔ってさ
何だか知らないけどすごいパワーを持っているんだぜ?
見ているだけでこっちも元気になってくるんだ

だからずっと
おだんごには笑っていて欲しいんだよ」












 星野と別れて独り歩く帰り道
 陽も落ちて辺りはすっかり夜の景色に変わっていた

「あたしの笑顔かあ・・・」

 頬を引っ張って無理やりそれを作ってみても
 手を離すとすぐに元へ戻ってしまう

 大抵の事は深く考えず気にしない性格だけど
 どうしてか今日はそれが出来ない・・・

 ずっと気になっているコトが胸につかえたまま
 呑み込もうにも欠片が大き過ぎて喉を通ってくれないよ


「あーもうっ
誰かさんのせいなんだからね!

一体、どういうつもりよ・・・」

 悩みの元凶は始めから分かりきっている
 それに頭が支配されていて他の事なんて考えられない

 少し冷たくされただけで
 どうしてこんなに気になっちゃうんだろう



「分からないんだもん」

 彼の考えている事
 それは本人にしか分からないのだから
 あたしがいくら悩んだ所ですっきりするわけないんだ

 だから、
 このつかえを取り去るには直接あの人と話をするしかない


 ・・・ていうか
 一言文句を言ってやらないと気が済まないんだから!









「結局来ちゃったよ・・・」

 今日は行かないって決めてたはずなのに
 気が付いたらいつものドアの前


 ・・・どうしよう
 ここまで来ておいてインターホンを押す勇気が出ない
 その場で硬直したまましばし悩む

 話はしたいけど・・
 二人きりの状況はかなり危険よね
 この前みたいな事態になったらどうしよう
 また逃げられるの?


「駄目だよ・・
最初から逃げ腰になっていたら」

 気持ちで負けていたら
 あの強い瞳から逃れる術は無くなってしまう

 逃げられるのか、じゃなくて
 断固として拒絶の意志を示さないといけないのに
 さっきから逃げることばかり考えている

 あたしは、何をしているんだろう


「こんな・・・
自分から危険な所に飛び込んで行くような事」

 でも、
 あたしさえしっかり身構えていれば
 例え危ない事態になっても乗り切れるはず

 すべては、自分次第



「極力二人でいる時間を少なくするのよ
言いたい事だけ告げてすぐ帰ろう、うん!」

 息をゆっくりと吐いて心を落ち着かせ
 交戦の場に手を伸ばす



ピンポーン




カチャ・・

 少しの間隔を置いてドアが静かに開いた



「・・・ようこそ、」

 いつもと変わらない様子の彼があたしを出迎える



「ちょっと、いい?」

「ああ、」


バタン



 光の遮られた薄暗い玄関に向かい合う二人の影

 緊張が既に極限にまで達していて
 体がかなり強張っている
 一歩も、動くことが出来ない・・

 向かいの人は腕を組んで
 そんなあたしを一段上から見下ろしていた


「・・・・・」
「・・・っ・・」

 見上げた空中でお互いの視線がぶつかり合う
 あんなにしっかりと身構えて来たのに
 鋭い眼光に睨まれると心が揺れて
 途端にそわそわしてくる

 お願いだからあたしの心臓・・・静まってよ




「今日は遅かったな」

「えっ」

 いきなり話しかけられ
 ビクッと背中が反応した


「どこかへ行っていたのか?」

「別に、
あっあたしがどこで何してても関係ないでしょ!
逐一報告する義務は無いもん

第一今日はここに来るなんて約束もしてなかったんだから
待っていられても困るわよ」

「待ってなどいない
今日はおまえが勝手に来たのだろう?」

「・・・っ・・

あたしだって、来たくなかったわよ
来ないつもりだったのに・・・」


「それでも、こうして来たではないか
なぜだ?」

「だからこれは・・っ・・!」

 ・・いけない
 動揺して段々熱が上がってきた
 落ち着かないと・・・

 ぐっと
 込み上げる感情を呑み込んで押し黙る



「・・・・・・」

「・・・立ち話も何だろう
とりあえず、中へ入れ」


「ここでいい

一言、言いたくて来ただけだもん」

 あたしの言葉に
 リビングへ向かう後姿が止まった


「ほう、何かな?」





「どうして、来なかったの?」


「・・・どこへだ?」

 分かっているくせに・・・
 あたしに全部言わせる気?



「放課後
・・・いつもの場所によ」

「生徒会があったからな
わたしも忙しい身だ
そうそうおまえだけを構ってはいられない」
「嘘っ!!

いつも・・・来てたじゃない
何で今日に限ってそういう事言うの?」



「まさかおまえ、
わたしを待っていたのか?」

「そういうわけじゃ・・っ」
「約束をしていたわけでもなかろう?
待たれても困る」

「!!」

 さっきのあたしと同じ言葉を返されただけなのに
 なぜだか心が一瞬波立った


「どうした?
今日は随分とご機嫌斜めだな」




「・・・ワザとでしょ、全部」

「・・・・・・」


「あたしの事、目線逸らして見て見ぬ振りしたり
美奈子ちゃんの事ばっかり構ってみたり
露骨に無視なんかもして・・・

何のつもり?」


「わたしが
誰と何をしようが関係ないだろう
可笑しな事を言う奴だ」

「いい加減にして!

あなたが、何を考えてるのか
・・・分からないよ」」





「先程から
何をムキになっている?」

「ムキ・・に?
そんな・・・っ・・」

 否定の言葉が続かない

 確かに、今日のあたしは変だ
 よく分からないのにいらいらして
 それをデマンドにぶつけているみたいだよ

 どうしちゃったの?
 これじゃあまるで
 焼きもちを妬いて怒ってるみたいじゃない


 違うっ・・そんなはず無いよ



「少し、落ち着いたらどうだ?
頭に血が上ったままでは冷静な判断も出来ないだろう」

「・・・っ・・!」

 この人は
 どうしてこんなに余裕のある態度で居続けられるの?
 やっきになってるあたしをみて
 楽しんでいるようにすら見えるよ


 楽しんでるって・・・



 !?
 これってもしかして


 あたしの事、・・・挑発してるの?

 意図的に無視したり当て付けたりしたのも全部
 あたしがこうするだろうって見越して・・

 あたしったら
 頭に血が上ってうっかり罠にはまる所だった
 ううん、もうほとんどはまっていた
 気付くのがあと一歩遅かったら・・・

 もう、これ以上ボロを出す前に帰ろう



「・・・そうよね
べっ別にあたしの彼氏ってわけでもないんだし
デマンドは自分の好きにすればいいのよ」


「・・・・・・」

「じゃあ、言いたい事も言ったから

あたしもう、帰る」

 立ち去らないと
 この場から一秒でも早く




「うさぎ、」

「・・・っ」

 やめて・・・
 どうして放っておいてくれないの?
 もう、あたしに話し掛けないでよ



「・・・何よ」

「おまえ、なぜ今日ここへ来た?
本当にそれだけが言いたくてわざわざ出向いたのか?

その程度の事
明日学校で会った時でも充分だった筈だ」

「明日・・・なんて
約束してないんだから
会えるかどうか分からないじゃない」

「約束はしていなくとも
いつも、会いに来てくれていただろう?」

「・・・・・・」


「わたしに、すぐにでも文句が言いたかった
自分を無下にされて他の者を構ったから腹が立った

違うか?」

「怒ってなんか・・・いないもん」

「怒っているだろう?
ずっと、わたしと目を合わせないようにして
意地を張り続けているではないか

・・・ほら、
こんなに寂しそうな背中を見せて」

「・・・!?」

 ふわっと
 後ろから柔らかい温もりが覆い被さる


 どうして・・・
 なんでよりによって今
 こんなに、優しく抱きしめてくるの?
 気持ちが乱れちゃうよ・・

 すべて忘れて
 あたしを包み込んでくる大きな胸の中に
 身を預けてしまいそうになる

 このままだと
 どこまでもまどろんで溶かされてしまう・・・



「おまえは、わたしに何を望む?
友人と同じように構って欲しいのか?

それとも、
他人にはこういう風に触れるなと願うのか」


「あたしが・・望む事・・?」

「そうだ、わたしに何をして欲しい?
おまえが
もう誰にも触れないで欲しいと言うのならそうしよう
もし、今後一切誰とも会話をするなと
そう望むのならそれでも良い

だから、
願うがままに言ってご覧」


「そんな事、・・・出来ないよ」

「なぜだ?」

「だって理不尽じゃない
一切誰とも話をするなだなんて
そんな・・身勝手な我侭をぶつける様な事・・・」

 我侭?
 あたしはデマンドに我侭が言いたいの?

 独り占めしたいって、思ってるの?



「言っただろう?
おまえが望むのならどんな我侭でも聞くと

わたしを縛りたければ縛れば良い
いくらでもな
そうして、おまえの中の独占欲を満たしてみろ
わたしはいつでも
愛しの姫君の言われるがままに従おう」

「デマンド・・・」

 違う、・・・違うよ
 あたしは、そんな事望んでなんかいない
 それをしっかりと伝えないと・・・


 逸らしていた視線をしっかり合わせようと
 すぐ頭上を見上げた


「あたしがムキになったのは
あなたが、いきなり無視するから・・・

それでちょっと傷ついちゃっただけなの
だからいいんだよ?
美奈子ちゃんと仲良くしてたって」

「本当に、それで良いのか?」

「うん、だってあたしは
デマンドが独りになればいいなんて思っていないもん
あなたには、もっとお友達をたくさん作って欲しい
みんなと仲良くして欲しいの」


「そんなもの・・
わたしは必要としていないと言った筈だ」

「でもっ
・・・お友達ってかけがえの無い大切な存在なんだよ?
寂しそうにしていたら励ましてくれたり
何かあったら助け合ったり
とっても大切な宝物なんだから

だから、
あなたには早くそれに気付いて欲しい」


「おまえは
他人を信じ過ぎだ」

「他人を、信じられないと何も始まらない

大丈夫だよ
みんな、悪い人じゃないから
心を開いたって誰もあなたを傷つけたりしない」



「うさぎ・・・」

 躊躇いが隠せずにいるその顔に
 満面の笑みを向けてあげる


「デマンドは、もう独りじゃないんだよ?
それにあなたが気付いていないだけ
少し周りを見回せば
あなたに手を差し伸べようとしている人が見えるはず

人は、独りじゃ生きていけない
あたしだって、たくさんの人に支えられているの

今日だって
最近あたしが元気ないんじゃないかって
気付いてくれた星野が
励まそうと遊びに誘ってくれたりしてさ」




「今、

・・・何と言った?」


 静かな空間に
 やけに通る声が問いかけてきた



「え、だから
・・・あなたは独りじゃない・・って」

「そこではない
今まで

誰と・・いたと?」


「誰とって・・


・・・星野と」


バンっ!!

「きゃっ」

 すぐ耳元に響き渡るつんざく轟音
 それと同時に自分の体もドアに叩きつけられた


「・・・った・・
なっ何するの・・っ

・・!?」

 至近距離に冷ややかな眼差しが迫り来る
 急にデマンドの態度が豹変した


 ・・・どうして?




「・・相変わらず浅はかな女だな
それでわたしが説き伏せられると思ったか?」

「説き伏せるだなんて・・っ
あたしはただ・・」

「人を信じろなどと散々戯言をほざいておいて
結局最後はそいつの事か」


「そいつ・・って・・・?」

「口を開けば星野星野と・・・
どんなにわたしに冷たくされようと
傷ついた自分を星野は優しく慰めてくれる
そう言いたいのか?」

「違うっ
あたしが言いたいのはそこじゃないってば!
あなたには友達が必要だって
それを・・っ」

「わたしが聞きたいのもそこではない

うさぎ・・・
なぜ、星野をそんなに構う?」

「そんな特別に構ってなんかいないもん!
デマンドはどうして
・・・そんなに星野にこだわるの?」

「拘っている様に見えるか?」

「見えるよっ
いっつも星野の話を出すと機嫌悪くしちゃってさ
それってもしかして、焼きもち?」

「ははっ
おまえの口からそのような言葉が出るとはな
妬いて欲しいのならばそうもしよう

して、欲しいか?」

「別にっ・・・そんな事しなくていいもん
あたしにとって星野は
大切な友達の一人だから・・
だから話するだけなのに」


「では
わたしは、どう思っている?」


「えっ・・」

「星野と同じように大切な友人の一人か?
それとも、

誰にも秘密の恋人か?」

「・・・っ!?」

 恋人と言う言葉に心臓がドキッと波打つ
 今までそんな風にはっきりと聞かれなかったから
 考えた事もなかった

 デマンドは・・あたしの何なんだろう


 友達、なの?
 そう思い込もうとしてもどうしてかしっくりとこない
 だって

 友達とキスなんて・・しないもん


 今まで何度もされたり、したりしてきたって事は
 少なからずそういう風に見ているって事なのかもしれない
 恋人だって
 そう、思っているの?



「あなたは・・・
友達じゃ、ないよ」

 今にも消えそうな声で答える

 返事をあまり聞かれたくなかったのに
 抜け目ない紫紺の瞳がほくそ笑みつつ
 こっちを覗き込んできた



「それで、良い」

 ゆっくりと
 あたしの唇を塞ごうとデマンドが近づいてくる



 その甘い誘惑に、呑みこまれそう


 ・・・駄目っ

 この雰囲気に流されたら
 また同じ事を繰り返すだけだよ
 もっとしっかりしないと・・・




「あたしに、・・・触れないで」

 接近するそれから顔を逸らし
 横を向いた



「・・・どうした
まだむくれているのか?」

「違う・・・
デマンドは、確かに友達じゃない
もしかしたらそれより特別な・・存在なのかもしれない
でも

・・・恋人じゃないのよ
だから
こういう事はもう、しないで」



「それは、本心か?」

「そう・・・だよ?」

「ならば
わたしの目を見てもう一度言ってご覧」

「・・・っ・・」

 あたしの心の中を見透かすように言い放つ



 上を・・向けない

 この人は
 一体どこまであたしを追い詰めれば気が済むんだろう




「おまえ、

・・・わたしを試しているのか?」

「なっ何を・・・っ」

「だとしたら止めた方が良い
危険な賭けだぞ
おまえには、無理だ」


「そっ・・そんな事してないもんっ」

「分からないなら教えてやろう
そうやって
ずっと焦らして勿体つけ拒絶しているように見せかける
それは逆効果だ

・・・こちらを
より一層燃え上がらせるだけだぞ」

「!?」



「素直にしていろ
そうすれば、悪いようにはしない・・・」

「・・・っ・・やめて!!

試してるのは、あなたでしょ


あたしが気にするようにわざと色々けしかけて
それに対する反応を見て楽しんでいるのは・・・
その為だけに
美奈子ちゃんまでそそのかして・・っ
酷いよそんなの!」

「そうだな、
その煮え切らない態度に嫌気がさしてやった訳だが

おまえはどうだ?
まだわたしの気持ちを疑って
それでわざとそうしたのか?」


「そうした・・って・・・?」

「星野の誘いに乗り
それをわたしに告げて反応を伺うという事だ」

「違うよっ
わざとなんてしてない
変な勘繰りはやめて!
今日はたまたま星野が誘ってくれたから」

「誘われれば、誰にでもついて行くと?
呆れたお人好しが・・・
警戒心の欠片も無い」

「友達に、どうして警戒しないといけないの?
そんな事する必要ないもん」


「そんなにわたしを妬かせたかったのか
おまえがあいつを好きだと言うのならば
妬いて見せても良いが

生憎、ヤツをライバルだと認識してはいない
おまえが
たかが友人一人に振り回されている
その状況が腹立たしいだけだ」

「・・・自惚れていないでっ
そんな事しようと、思ってない!」

「星野の事など
何とも思っていないのだろう?
それなのに
思わせぶりな態度を取るからおまえは性質が悪い」

「・・・っ!」



「あいつに・・・
何を、された?」

「何もされて無いわよ・・
あなたと違って星野は紳士だもんっ
歌を聴かせて貰っただけ
それのどこが悪いの?」

「ああ、悪いな
他の男と会ってすぐにわたしの元に来るとは
中々に図太い神経をしている

しかもそれが策略ではなく
何も考えていないが故の行動だとはな」

「あたしは・・・っ」


「うさぎ、
なぜおまえはいつも
わたしの平常心を失わせるような事をする

こちらが
せっかく理性で抑えてやっているというのに」

「離して・・・っ・・やっ・・・!?」

 近づいてくる瞳から顔ごと逸らしたら
 首元に唇が触れてきた

 生温かい感触と湿った吐息が
 柔らかくそこを挟み込んで動き回る



「・・・あっ・・やだっ・・・んっ」

「こんなに、反応してくれるというのに
まだ逃げ続けるか」



「怒る・・わよ・・・っ」

「おまえはわたしの物だと
ココに印を刻んでやろう」

「やめっ・・・やめてよ!」


バチン!!




「・・・・・・」


「・・・はあっ・・
いい加減に・・してっ!」

 少し赤くなったデマンドの頬を眺めながら
 どうやってここから立ち去ろうか
 そればかり考えていた

 なのにさっきから頭の中がぐちゃぐちゃで
 何も思い浮かばないよ

 後ろはドアなんだから
 開ければすぐに外へ出られるはずなのに
 どうしてだろう・・


 逃げられる気が、しない




「・・・わたしがどれだけおまえを欲しているか
なぜいつまで経っても伝わらない?

唯一の存在だからと、
大切にすればする程思うままにいかず
壊してしまいたいという衝動にまで駆られてしまう

その葛藤が、なぜ通じないのだ」


「近づか・・・ないで・・っ」

 迫り来るその声が
 体をどんどん硬直させていく

 圧倒的な威圧感に足がすくんで・・
 後ろのドアにもたれて立っているのが精一杯だった



「オレがどれだけおまえを愛しているか
教えてあげよう

・・・おいで」


「・・・いや・・・・あっ!?」

 抵抗する間も無く
 この身が強い腕に捕らえられる



 捕まれた右の手首が頭上高く持ち上げられた
 そこにギリギリと
 容赦なく力が加わっていく

 手加減する気が・・全く感じられない



「さあ、どうしてくれようか?」

「いたっ・・・痛いよ!
手の力・・緩めて・・っ

どうして、
・・こんなひどい事できるの?」


「おまえが悪い
いつまでも逃げ続けようとするおまえが・・

どうだ?
このまま閉じ込めて外界から隔離してやろうか
手足を縛って、逃げられないようにして
有無言わさずわたしだけを見ていられるように


そうやって
わたしが居ないと生きられないようにしてやろう」

「・・・や・・・め・・っ」



「それとも、我が物にならないのなら

・・いっそ本当に壊してしまおうか」

「っ!?」


「わたしのこの手で
おまえを、

深い闇の底へ突き落として・・」


 忍び寄るように伸びてきた指先が
 あたしの首に絡みついた



「デマ・・・ンド・・?」


「この指にほんの少し力を加えれば、
おまえが永遠に手に入る」

「や・・・っ!!」

 強烈な殺気に全身が一瞬で総毛立つ
 無防備な急所には力が今にも込められそうで
 すぐにでもこの人から離れたいのに
 体が、・・言う事を聞いてくれない

 声も出ない
 唇が乾き、冷や汗ばかりが頬を伝って落ちていく


 この人・・・まさか本気で?!



「・・・・・・」
「・・・・・っ・・」

 なんて、冷たい瞳なの・・・
 それに睨まれて凍りついた体が
 今にも粉々に砕けてしまいそうだよ


 緊張が極限にまで達して
 もう・・・







「・・・ははっ」

 ずっと無表情だったデマンドの口元が
 ふっと緩んだ

 同時に首に掛けられていた手が静かに離れる



「・・・っん・・・はあっ・・・
はあっ・・・っ」


 驚きが隠せないまま向かいの人に目をやると
 余裕の笑みが荒い息を吐き続けるあたしを見下ろしていた


「どうした?
本当に締め上げられると思ったか」

「デマンド・・・」


「臆病な女だ
そんなに怖かったのか?」

「怖がってなんて・・・っ」

「震えているぞ、ほら・・」

 あたしの左手を目の前に差し出すと
 痙攣している指先を見せ付けてくる


「これは・・ちがっ」

「良い子にしていれば手荒な真似はしない
こうして、

・・・優しく愛でてあげよう」



「な・・何を・・・?」

 デマンドの顔が手のひらの中に収まったと思ったら
 湿った生温さがすぐに襲ってきた

 そのまま指の間に割り込んだ舌先が
 ゆっくりと上へと伝い
 一本ずつ丁寧にそれを舐めあげていく


 どんどん冷えていく指先
 その間から垣間見える鋭い眼光



 背中に、ぞわっと悪寒が走った




「や・・・・・・止めて!!」

 ありったけの力を込めて
 その手を自分の方に引き戻す

 ぎゅっと握り締め胸に当てた




「はあ・・っ・・・」

 彼に背を向けて必死に息を整える


 心臓が・・・痛い

 落ち着くのよ・・・
 そうしないとここから抜け出す事もままならない
 お願い 体の震え早くおさまって


 無防備な背中を少しの間でも見せたらいけない
 そうは思っても
 前を向いてこの人の目を見る事が出来ない・・

 ドアノブに手を掛けてはみたけれど
 手に力が中々入らなくて空回りばかりしている







「うさぎ、」

「・・・っ!」

 忍び寄る両手があたしの肩に触れた
 少しずつその指先が食い込んでいく・・



「・・・怖いのだろう?」

「あなたなんてっ・・怖くないもん」

「わたしが、
・・・ではなく、自分が怖いのだろう」



「え・・・?」

「己が何かにのめり込んでしまうのが
おまえは怖くてたまらないのだ

それに夢中になり
周りが見えなくなってしまうのが・・・」


「あたしは
自分が・・・怖いの?」

「そうだ、
わたしが怖いだけならば
もうここへ来なければ良い話だ
だが
それだけでは真に迫る恐怖は消し去れないだろう」

「・・・そんな・・っ」


「なぜ、おまえはわたしの元へ訪れる?
こうして、恋人との誓いの指輪まで外して・・・」


 背後から回ってきた大きな腕が
 その指を絡め取って強く肩を抱きしめる



「あっ・・
あなたがそう言うから」

「わたしの
望みに従ってくれるのか」

「・・・っ!?」


「それ程までしてくれるのは、なぜだ?」

「それは・・・っ」

 どうしてそうしてしまうんだろう
 自分でも分からないよ・・・

 こんなに酷い事をされて
 心の底から湧き上がる震えを
 抑える事が出来ないくらいなのに
 怖がる心とは違う何かがそうさせている

 それは、何なの?



「逃げられない恐怖にただひたすら怯えて
それでも何とかしようと足掻き続ける
いつまでそうしているつもりだ?

それから逃れる手段は一つしかないだろう」

「デマンド・・・」


「オレの目を、見ろ」


 ダメだって・・・分かってるのに
 惹きつけられるままにそれを見上げてしまう



「いくら視線を逸らしていても
もうおまえは捕まっている
それに気付け

そして、受け入れろ
何も考えずわたしに溺れていれば良いだけだ」




「そんな事・・・できない」

「なぜ頑なにこの手を拒む?
何が不満だと言うのだ

こんなに、
可愛がってやると言っているのに・・」


「や・・・めて・・っ」

 聴いちゃ駄目っ
 すべて、魔の言葉だよ

 あたしが翻弄される様を
 眺めて面白がっているだけ・・・


「いいから、うさぎ・・・

わたしを束縛してみろ
誰かを己の身勝手で縛り付けるのはたまらないぞ
どこまでも
おまえの意のままに従うと言っているだろう」




「そうやって・・・
あたしを、
捕まえて逃がさない気でしょ」


「・・・・・・」


「あなたを束縛するって事は
逆に言えばあたしも
あなたからもう逃げられなくなるっていう事

そんな事・・・絶対にするもんですかっ」


「おまえは、
これだけ事実を突きつけられて
それでもまだ逃れる術を探し続けようと言うのか
・・しぶとい奴だな」

「何と言われようと
あたしはもう、あなたの誘惑なんて聞き入れない
逃げ続けているだけだと言うのなら
最後までそうさせてもらうわ

絶対に、捕まらない


・・・もう、帰る」






「うさぎ、」

「話しかけないで!
あたしにはもう言う事は何も・・っ」
「ドアを、開けてあげよう

その手では無理だろう?」

「・・っ・・・」



 ギイ・・・

 目の前のドアがゆっくりと開いた

 外の世界の澄んだ空気がすごく懐かしく感じるよ
 早く、戻ろう・・・






「また、いつでもおいで
・・・待っている」

 魔の手から離れる最後の瞬間まで
 その声があたしを縛る



「もう、・・・来ませんっ!」

 ドアの隙間をすり抜けて脱出し
 閉まる直前になんとか捨て台詞を吐いた



バタン・・・

 重厚感のある余韻が廊下に響く






「・・・はあ・・・っ」

 やっと、・・・戻ってこれたよ

 外の空気を吸い込んだ瞬間
 張り詰めていた糸がプツッと切れる音がした
 膝がその場にガクリと落ちる



「こんなに・・・緊張していたんだ、あたし」

 体の状態を目の当たりにして
 改めてそう実感した

 なんで、こんな事になってしまったんだろう
 今まで何も考えずに行動していた
 その代償が一気に回って来た気がする



「・・・いつの間に
こんな近くまで迫っていたんだろう」

 今日初めて後ろを振り向いて
 詰められていたその距離の近さに驚かされた

 鬼が手を伸ばせばもういつでも捕まってしまう
 そんな所まで接近されていたなんて・・・




「今まで言っていた事、何もかもすべて

・・・本気なんだ」

 怖い事も不可能そうな事も平気な顔で言ってくるから
 冗談なのかなって・・・
 そう思い込もうとしていたけど
 そんなの甘い考えだった


 あの人は
 本気であたしを捕まえたら離さないつもりなのね

 今は戯れにそうしないだけ・・
 遊ぶのに飽きたらきっと全力で捉えにかかるんだ
 その時が来たらあたしはどうなるんだろう


「・・・っ・・」

 想像しただけで胸がざわつく

 悩めば悩む程に
 後ろ向きな考えしか浮かんでこない
 気持ちで負けていたんじゃ
 どうしようもないのに・・




「寒い・・・」

 芯まで冷えた自分の体をぎゅっと抱きしめた

 止まらない肩の震えは
 寒さでかじかんでいるわけじゃない

 さっき捕まれた肩が指の跡に痛む


「体が動かないよ・・・」

 何だろう、この感じ
 まるで見えない蜘蛛の糸に絡み取られていくように
 少しずつ、体の自由が利かなくなっていく

 このまま身動きが取れなくなったら・・・



「だめっ・・・駄目だってばっ」

 ここには来ちゃいけないって
 何度自分に言い聞かせても
 気が付くと何かに引き寄せられるように辿り着いている


 もしかして
 あたしは捕まってしまいたいって・・思っているの?

 あの人に・・・






「分からない、
もう・・・

何も考えたくないよ」


 少しの間でいい
 すべて忘れて心も体も休めたい

 お願いだから、休ませて・・・




 魂が深い霧に包まれ、呑み込まれていく
 ここから抜け出す事は不可能なの?

 このままだと
 知らぬうちにどんどん迷い込んでいってしまうよ


 出口がない深い森へ