カシャン


「・・・・ん?・・」

 まどろんでいる頭に鍵を開けるような音が響く
 ソファから重い体をゆっくりと起こした


 玄関の方から人の気配がする
 帰ってきたのかな?

 まだふらふらしている足取りで音のした方へ向かった




「・・・デマンド?」


「ああ、うさぎか

よく寝れたか?」

「うーんまあ、ほんのちょっと?

・・って、やだ
どうして分かったの?」

「おまえの行動パターンなどお見通しだ
それと、

よだれの跡は拭いておけ」

「・・・っ!
もうっ、そういう事は先に言ってよ

でも、結構遅かったのね」


「まあ、・・少しあってな」

「ふーん?そうなんだ

おかえり、デマンド」



「・・・・・・」

「どしたの?」

 いきなり固まった様子でこっちをじっと見つめてくる


「いや、
帰ってくる場所に迎える者がいるというのも悪く無いな

新鮮な言葉だ」


「うん、・・そうだね」

 ごく普通の事をしたつもりだったのに
 新鮮なんて言われるとなんだか照れくさい



「ただいま、うさぎ」

「おかえりなさい」

 思いっきりの笑顔でもう一度言ってあげた



「部屋の物は何も触らなかったな」

「言いつけを守って
いい子に留守番してましたけど?」

「それで良い
ご褒美だ」

「・・・何?」

 持っていたレジ袋を手渡される


「途中で買い物をしてきた」

「どれどれ・・・

あっ
ココアだ!」

 袋の中から出てきたのは
 彼が買うようなイメージでは到底ない物だった



「少し前に飲みたいと言っていただろう」


「・・・ああっ!そういえば

よく覚えてたわね」

「記憶力は良いのでな」

「ありがとう!

すぐお湯沸かして飲もうよ
なんかお菓子とかある?」


「うさぎ、それは後だ

その前に、する事があるだろう?」


「・・ほえ?」

 何だろう・・

 頭が???でいっぱいになっているあたしを
 デマンドがニヤリと笑ったまま見下ろしてくる



「・・・リビングに入ろう」

 肩を抱かれて
 二人きりの空間に誘われた














「やっ・・・あ・・

・・・もうだめえ!
お願いっ・・ちょっと、待って」


「おまえ、・・・早過ぎるぞ

もう降参か?」

「だって・・・限界・・なんだもん
頭が、もう・・っ
クラクラして・・・」


「・・もう少し堪えろ
気をしっかりと持て」

「だめなんだって!

そんなに一気にされると・・
何も考えられなくなっちゃうよ

少し、休ませて」



「・・・だめだ」

「ひどい・・っ
そんなに急かさないでってば

あたしにはまだ・・・早いのっ」


「急かしてなどいない
充分としてやっただろう?
ココにどれだけ時間をかけたと思っている
誘導までならしてやるが、最後まではやらないぞ
だから、


入れてみろ、自分でな」

「・・・っ!・・
デマンドの意地悪・・・
どうしていつもそんなに攻めるの?

お願いだから、あなたが・・して」

「いつまでもわたしのリードに頼っているのではない
何事もチャレンジだ
・・早くしろ」

「やだっ!・・いやあっっ」


「うさぎ、大丈夫だから
ほら

ココだ」


「・・・っ!?・・

もう、だめ・・・






・・・あっ


頭が限界だよー!!」


 ショートして煙の出ている頭を抱えて
 教科書の上に倒れこんだ


「うさぎ・・・
ふざけていないで真面目に考えろ」

「だからっ一気に叩き込まれても
頭が受け付けないんだってばっ

数学嫌い!もうやめるーっ」


「諦めるのが早すぎるぞ
もう少し粘れ」

「だって!分からないのはわっかんないんだもん
もっと分かりやすくさあ、優しーく教えてよね
意地悪!」

「これ以上に優しい家庭教師がどこにいる?
この空欄にXの数値を代入するだけだと
先程から説明しているだろう」


「入れたら、どうなるの?
試しにやってみて教えてよ」

「ヒントは出すが最後まではやらない
自分で考えなければ何にもならんからな」

「ケチ!
代入したってXはXだもん
何も変わんないよっ」

「やる前から投げ出してどうする?
いいからやってみろ」

「もう頭がパンクしたよ・・;
何も考えられない

とりあえず休もうよう
もう1時間くらい勉強してるじゃん」


「『まだ』一時間だろう
それくらいでへこたれるな
しかもほとんど進んでいない
本当にやる気はあるのか?」

「やる気はあっても持続力が無いの!
ねえ・・・

ココア、飲みたいよーっ」

「却下だ
甘やかしたらつけあがるだろう」

「ひっ・・ひどいっっ
デマンドの根性悪ー!

ばかばかばかー」

 手足をバタつかせて精一杯の抵抗をしてみる


「おまえ・・・
それが高校生のする事か」







「えへへへっ
あったかくておいしーい!」

 やっともぎ取った甘い勝利に
 満面の笑みで口を付けた



「・・・・・」

「どしたのよ
複雑な顔して
デマンドも一口飲む?」

「結構だ
全く・・・
おまえの仲間達が
すぐに勉強を教える事を放棄する気持ちが理解できた
ああなったら手が付けられん
知らんぞ、追試になっても」

「そんな深刻にならないのっ
人生何とかなるもんだって!」

「その根拠の無いプラス思考は
一体どこから出てくる?

それを飲んだら勉強続行だ」

「えーっ!もう疲れたからやめようよ
試験までまだまだ時間はあるし
今日は初日だからこれくらいでいいのよう
それより、遊ぼう!」


「おまえは・・・」

「何がある?遊ぶものって」

「そんなものなど、無い」

「何もないの?
トランプとかも??」

「ああ」


「じゃあ
デマンドっていつもおうちで何してるのよ」

「主に読書だな」

「うっそー!退屈じゃない
もしかして、ゲームとかもしないの?」


「・・・チェスならあるが」

「頭使うゲームは嫌だよ
これ以上考えたくないや」

「わたしも
低レベルな相手としてもつまらないからしたくないな」

「悪かったわねっ
だから、そういうゲームじゃなくてさ

テレビゲームとか?」


「興味があるように見えるか?」

「・・・見えません
じゃあさ
今度持ってきてあげるから一緒にやってみようよ!」

「そんな幼稚な物に付き合っていられるか・・」

「えー案外おもしろいよ?
やってみればいいのに」


「ゲーム以外にも
面白い事はいくらでもある」

「どんなこと?」

「知りたいか?」

「うん!」

「ならば・・・

おいで、うさぎ」



「はい?
・・・どこへ??」


「わたしの隣へ

教えてやる、
二人で出来る面白い事をな」

 いきなり辺りの空気がシーンとなる


 何、この緊張感・・



「・・・何をするか先に言って」

 少し警戒して
 じりじりとその場から後ずさった


「おまえが
こちらへ来たら教えるさ」

「うっ・・;」

 こっちに向けられる含み笑いが何か怖い

 ほいほいと行ったら
 取り返しのつかないことになりそうな・・・
 そんなオーラをむんむん感じるんだけど




「どうした?
・・・うさぎ」

「えーと・・・

そうだっ、
テレビ見ようか」

 にじり寄る魔の手をヒラリとかわして
 テレビのリモコンをゲットする
 瞬時にスイッチをつけた

 途端にそこから流れ出るBGMが
 場の空気を柔らかいものに変えていく



「・・・・・・」

 隣の人が腑に落ちない顔してる気がするけど
 気にしない気にしないっと


「何見ようかな」


「・・・バラエティはくだらないからやめろ」

 明らかにふてくされた声なんかしちゃって
 知らないんだからねっ



「えー
・・・ニュースなんてつまんないから見たくないよ」

 気まぐれにチャンネルを変えて
 何がやっているか確認してみた

 その手がふっと止まる


「あれ?・・・星野だ」

 音楽番組をやっているチャンネルだったのか
 丁度スリーライツの三人がスポットライトを浴びて
 歌っている最中だった

 そこに落ち着いてしばらく見入る



『君の香りずっと探してる
僕の声よ届け

今どこにいるの?
僕のプリンセス』



「へえー・・・」

 初めて見た
 星野の歌っている姿

 こんなに生き生きしているのね
 すごく楽しそうだけど、・・・なんだか切なそう
 どうしてそう感じちゃうのかな

 よく分からないけど
 でも、必死に何かを伝えようとしている
 そんな気がする



「ちょっと新鮮だな・・・」


「何がだ?」

「星野も
こうやってるとちゃんとアイドルに見えるのよね」


「あいつらは元からアイドルだろう
何が新鮮だ」

「あたしは同じクラスだし毎日会ってるから
アイドルの姿より
普通のクラスメイトの星野で見慣れちゃっててさ

だから、なんだか不思議なの
こうしてブラウン管を通して見ていると
すごく・・・遠い人みたいに感じる」

 こんな一面もあるのね
 色んな星野をたくさん見てきたけど
 今、目の前にいる彼はあたしの知らない人だ

 いつもふざけている星野とアイドルの星野
 どっちが本当の彼なんだろう
 こんな姿を見ていると分からなくなってくる


 目が離せない・・・
 歌の世界にどんどん惹きこまれていってしまう



 ふと、
 こっちに視線が向けられている感じがして
 ちらっと横の人に目をやってみた



「・・・・・・」

「・・・っ!?」

 その状況にびっくりしてすぐに目を背ける


 何よ、この人
 テレビじゃなくてあたしの方をじっと凝視しちゃって・・・

 いつからよ
 もしかして、かなり前から・・・?


 一度目が合っちゃってるから
 このまま気がつかない振りをしているのも変だよね



「あの・・・」

 ぎこちない空気から逃れようと話しかけた


「どうした?」

「何か用?
さっきからずっと
こっちを見つめていたみたいだけどさ」


「いつ
気がつくのかと思って眺めていた」

「見ないの?テレビ」

「テレビの中の存在よりも
おまえのすぐ目の前のわたしに気づけ

どこぞのアイドルより
遥かに良い男がこんなに近くにいるだろう?」

「・・・相変わらず大した自惚れ屋さんですね
どうしていっつも
こんなに自信満々なのかな、この人は」



「謙虚すぎる男もどうかと思うが?」

 接近する瞳に気を取られていたら
 捕まれた右手からリモコンをもぎ取られた


「あっ」

「もう、テレビは良いだろう」

 ブツっと
 スイッチの切れる音が響く


 二人きりの世界に逆戻りさせられた
 しかも、
 いつの間にかこんな近くまで寄って来てるし・・



「・・・っ・・」

「うさぎ、」



「そっ・・・そうやって
迫ってくるだけの人もどうかと思いますけどっ」

「何もしてくれない男がいいのか?
いつまで経っても一向に先へ進展しない
そんな男でおまえは本当に満足できるのか?」

「まっ満足って

何がよっっ」

 ついそう尋ねてしまってからハッとした
 なんだか
 自分で自分の首を絞めた気分


 何かを企む目付きがこっちに向けられる
 ものすごーく嫌な予感がするんですけど・・・



「心も体も
望むのならいつでも満足させてやる
試してみるか?」

「結構ですっノーサンキュー!


・・きゃっ!?」

 その場から逃げようとした瞬間
 世界が反転して視界に天井が広がった


「さあ、
どうして欲しい?」

 そこにデマンドが割って入る


「近い!近いってばっ
調子に乗って押し倒してるんじゃないわよ!

はっ・・離れてっっ」

 精一杯の力でジタバタと足掻いた
 何とかそこから脱出して体勢を整える



「はあっ・・・
それ以上近寄らないでっ」


「何だ、その反応は」

「いきなり押し倒されたら誰でもこうするって!
どうしてそんなに行動が直接的なの?」


「わたしの気持ちを伝えているだけだ
何が不満だと言う?」

「だから、もっとこうさあ

・・・ロマンチックっていうの?
そういうのないわけ」

「おまえの言う事はいつも矛盾していて理解不能だな
臭い台詞を吐けば引く
放っておけばすねる

こうして
触れようとすれば逃げる
どうして欲しいと言うのだ」

「だって・・・」

 どうしてだろう
 この人には何をされても
 その都度心が動揺して戸惑ってしまう

 嫌ではないんだけど・・・
 なんだかドキドキして落ち着かない


「別に・・・何もしないでいいんだって
こうして
傍にいて話してるだけであたしは充分なの」

「それは却下だな」

「どうしてよっ」

「わたしの気持ちはどうなる?
おまえと二人きりでいるのに
触れる事すら許されないのはあまりに酷だと思わないか」


「それは・・・でも・・」

 デマンドの言い分も分かるけど・・・

 このままの二人でいたいって言うのは
 あたしの我がままなのかな


「これでも
扱いには気を遣っているつもりなのだぞ」

「・・分かってるよ」

 分かっているつもりだよ
 あたしへのあなたの接し方
 昔とは違うって

 ちゃんと
 こっちの事情と出方を見てくれているって



「どうすれば、おまえの心に響くのだろうな」

「・・・・・・」

 その一言に
 何も言えなくなって口を閉ざし、顔を落とした


 あたしは、彼の対応に甘えているだけなのかもしれない
 誰も傷つかないように
 ううん、あたし自身が傷つかないように
 どっちつかずな状態で一歩も動けない
 それって、すごく卑怯な事だって気づいてるのに



「うさぎ、
わたしはおまえの心に届くまで
何度でも言おう

愛している、と」


 あたしの、心に届くまで
 あなたの想いは充分に伝わっているよ
 それに応えるか応えないかはあたし次第

 でも、その答えがまだ出せないの

 いくら考えても自分の心がどうしたいのか分からない
 自分自身がこんなに戸惑っているのに
 それを誰かに伝える事なんて・・・



「・・・ごめんね」

 何に対しての謝罪なのか自分でも知らぬまま
 言葉だけが勝手に発せられる


「謝ることはないだろう
そんな一言より
わたしの欲しいものは分かっているはずだ」

「うん、
・・・だから今は『ごめん』としか言えないの」



「全く・・」

 あたしの態度に
 少しあきれた感じで軽くため息をつかれた



「・・・・・」

「もう良いから、顔を上げろ」

 おずおずと、目線だけ彼に戻す


「頑固な所はどうにも変えられない、か
おまえの中で結論が出るまで少しの間待つと言ったしな
その日が来るのを楽しみにしていよう」

「・・・はい」


「だから、
そんなに離れないでこちらへおいで」

 あたしを呼ぶ穏やかな声に惹きつけられ
 自然と体が吸い寄せられていく

 自分から捕らえられその胸の中におさまった



「愛しているよ
たった一人おまえだけを」

「デマンド・・・っ

分かったから
もう少し腕を緩めて」

 こんなに近いと胸の鼓動が伝わってしまいそう

 自分の中で答えも出ず、曖昧な気持ちのまま
 胸の奥だけがどんどん締め付けられていくよ



「離したくない

おまえは・・・
この手を離したらすぐにでも
どこかへ飛んで行ってしまいそうだ」

「そんなに抱きしめられると・・・苦しいの」

 胸が詰まって息が出来なくなる


「もっと、苦しめば良い
わたしと同じくらいな」

「ひどい事言うのね・・
あたしがどれだけあなたに悩まされているか
分かってないでしょ」

「おまえだって分かってないだろう
お互い様だ」

「むう・・・」



「存分に悩め
わたしの事を忘れられなくなるまで」

「デマ・・ンド・・・」

 心地よいぬくもりが
 夢と現実の世界の境目をゆっくりとぼやかしていく

 まどろんで遠くなる意識の中
 耳元で何か囁かれた気がした


「わたしから
逃げられると思うなよ」













「やだ、もうこんな時間」

 時計を眺めたら
 意識が一気に現実へ戻ってきた



「・・・そろそろ帰るね
お腹空いちゃった」

「そうか
気をつけて帰れ」

「うん

あ、そうだ
これ返しておくよ、はい」

 預かっていた鍵を手渡そうと腕を伸ばす


「それは、返さなくて良い」

「どうして??」


「わたしの鍵はここにある」

 そう言うと
 目の前に同じ形の物を差し出してきた


「じゃあこれは・・」


「機会があれば渡そうと思っていた
お前の為の合鍵だ」

「えっ」

「好きに使え」

「好きにって・・・
別にデマンドがいない時はここには来ないのに」

「それを本当に使うかどうかはさほど重要な事ではない

おまえに持っていて欲しい
それだけだ」


「・・・はい」

 改めて自分の物になった鍵をギュっと握り締める

 合鍵を渡されるなんて
 なんだか同棲しているみたいな変な気分・・
 でも、少しだけ前より気を許された感じがする


「ありがと
ちょこっと嬉しいかな、えへへっ」


「また会いたくなったらいつでもおいで
夜中でも良いから」

「夜這いなんて絶対しませんから!
安心してくださいよ」

「何だ、つまらないな」

「べーだ!」

 だけど貰ったのはいいけど
 ホントにいつ使うのかな、これ



「あーあ、教科書全部持って帰ってきたから
鞄がもうぱんぱんだよ」

「いつも学校に全部置いてきているのが悪い
家で勉強しない気満々だな」

「悪かったわね・・・
あーもうっ
おうちに持って帰るのめんどくさいよ
ここに置いていっていい?
明日も来るから」

「・・・本当に家で何もしないつもりか
試験前だと言うのに

まあ良い
明日の授業で使うものだけ持って帰れ」


「ねえ、
・・・明日の授業の分さ
学校来る時一緒に持ってきて」
「そこまで面倒見られるか
甘えるな」

「ケチっ!」

 膨れ顔を軽く相手に向けて
 手早く明日の分を鞄につめる


「じゃあ帰るからね」

「ああ」





「・・デマンド?」

「何だ」


「また、明日ね」


「・・・またな」

 あたしの言葉に軽い笑みが返ってきた
 そんな何気ない一言が心の奥を優しくくすぐる


 明日も、明後日もその次の日も
 同じ言葉を交わしてさよならして


 そしてまた明日

 普通の毎日が
 果てしなく遠い未来に繋がっていく