「あーもうっ
なんでこんなに暑いのかな;」

 滲む汗が頬を伝う
 夏の日差しに負けている体がうな垂れたまま
 ゆっくりとした足取りで家に向かっていた



 待ちに待った夏休みが始まった

 高校生になって初めての夏休み
 みんなとのバカンスや楽しい予定がいっぱい詰まっていて
 心が今から期待でわくわくしっぱなし

 今日は朝からみんなと一の橋公園で
 アイスを食べながら作戦会議をしていた
 作戦会議と言っても何かが決まるわけでもなく
 ただ集まって雑談をしただけだけど

 ・・あまりの暑さに午前中で解散する事になった



「夏休みは楽しいけど
この暑さはもうちょっと何とかなってくれませんかね・・」

 その言葉に反応するかのように
 疾風が後ろから巻き上がる



「・・・あっ・・」

「!!」

 舞い上がる自分の髪の毛と共に
 ふわっと白い日傘が後ろから飛んできた


 一度宙に舞い
 そのままゆっくりとすぐ目の前の地面に落ちる

 再び飛んで行きそうなそれを慌てて拾うと
 後ろにいるであろう持ち主に返そうと振り向いた



「・・・・・?」

 そこにいたのは小さな女の子
 赤い瞳がきょとんとこっちを見つめている



「はい、どうぞ」

 拾った傘をちっちゃな手に握らせると
 にこっと愛らしい笑顔がこっちに向けられた


「かーわいいなあ
じゃあね

・・・・・!」


 そのまま立ち去ろうとしたら
 引き止めるかのようにあたしの手を引っ張って
 ぴょんぴょんと横でジャンプしている



「なあに?お嬢ちゃん

どうしたの?」

「・・・・・」

 まだしゃべれないのかな?
 辺りを見回してもお母さんらしい人が見当たらない
 これは、もしかして迷子?


「一人なのかな?お母さんは?」



「・・ちびー」

 返答してくれたのはいいけど、何が言いたいのか分からない


「おうちはどこ?」

「ちびちび?」


「・・・だめだこりゃ;」

 にこにこしているその子を見て
 通じ合うのを諦めた


「交番に連れて行こうかな・・」






「・・・うさぎ?」

「!!」

 すごく聞き覚えのある声が後ろからあたしを呼び止める



 振り返れば案の定・・


「せ・・んぱい」



「・・二人きりの時は前のように呼べと言っただろう?」

「だって
制服着ているとつい・・
ていうか夏休みなのにどうして制服なんて

生徒会の帰り?」

「ああ」

「はあー・・・
生徒会長のお仕事も大変なんだ」


「おまえは何をしている?
こんな道端の真ん中でうずくまっていたら
通る者の邪魔だろうが」

「それはどうもすみませんでしたね・・
この子のお母さんを探していたんだけど


・・・あれっ?」

 少し立ち話をしている間にいなくなっていた


「どうした?」

「ううん、何でも・・ない」

 一人で帰っちゃったのかな?
 それならいいんだけど



「それにしても・・あっついんだからもう;
喉も渇いちゃったしさ」


「ならば
わたしの家に寄って何か飲んでいけば良い」

「えっ

・・・今から?」

 いきなりの提案にびっくりしてそれに即答は出来なかった


 ・・・どうしよう
 二人きりで彼の家っていうのに躊躇いが隠せない
 ついこの前話し合いをしたばっかりなのにもうそんな・・

 でも、また遊びに行くって言っちゃったしなあ
 それに少し緊張するけど今この人がどう暮らしているのか
 興味もあったりする



「どうする?」


「えと・・じゃあ折角だから

お邪魔します」

 悩んだけど湧き上がる好奇心には打ち勝てなかった
 そんなあたしの言葉が嬉しかったのか
 前を向く瞬間の横顔がふっと笑ったように見えた


「丁度昼時だ
軽く何か作るか」

「デマンドがご飯作るの?」


「一人暮らしなら自炊位する」

「へえー・・・」

 あのデマンドが自炊とかって
 なんかちょっと意外かも

 早速新しい一面を見つけちゃった気がする



「少し買い物をして帰ろう」

「買い物!
あたしアイス買っちゃおっと

さっきはチョコミントとバニラを食べたから
今度はチョコとストロベリーにしようかなっ」

「・・・先程食べたのならもう充分だろう」








 近くのスーパーで食材を買ってそのままマンションに向かった


「お邪魔しまーす!」

 ドアを開けると誰もいない部屋に呼びかけて靴を脱ぐ
 3度目にもなるともうこっちも慣れてきて
 彼より先に中へ入り何も考えず洗面所へ行った



「お待たせーっ
ねえ、何作る?

・・・どしたの?」

 手を洗って出たらデマンドが廊下であたしを待っていた
 こっちの一連の行動を無言で観察していたみたい



「・・・さすがによく分かっているな」

「は?・・何が?」

「ここの間取りをだ
あまり来たことの無い風には見えない」

「そりゃ・・・まもちゃんの部屋と作りはほとんど一緒だし
勝手知ったる他人の家って感じ?」


「・・・まあ良い

これからはわたしの家に馴染め」

 何か言いたそうな顔をしているのにそれ以上は口を閉ざし
 こつんとあたしの頭を小突いてリビングへ戻って行った


「何よそれ
言いたい事があるならはっきり言いなさいよ・・」

 ぶつぶつとぼやきつつその後を追う



 部屋に入るとリビングから続くキッチンに立って
 買って来た物の片付けをしていた


「ねえ、ご飯作るんでしょ?あたしも手伝うわよ
言ってくれたらやっておくから
着替えてきなよ」


「・・ならば
キュウリを千切りにし、トマトはくし形切りに
レタスは適当にざく切りで良いから
やれる所までやっておいて欲しい

出来るか?」


「はいはーい!ごゆっくり〜
いってらっしゃーい」

 少し心配そうな彼の視線を横目に
 こっちは腕をまくってやる気満々!


「さーて、
うさぎちゃんの腕の見せ所なんだからっ
えっとまずはキュウリからよね

千切りだったっけ?
こんなの簡単簡単!」


トントントン・・・ざくっ


 切り始めて間もなく
 野菜を切るのとは違う音が混じった



「いっっったーい!!

あーんもういやっっ」



「どうした?」

 あたしの叫び声に少し慌てた様子で
 デマンドが戻ってくる


「指・・切ったあ」

「見せてみろ

何だ、少し切っただけだろう
大袈裟だ
絆創膏を貼るまでも無い」

「うう・・だって痛いのは痛いんだもん」



「うさぎ・・・」

「・・はい?」


「この切り方は何のつもりだ」

「千切りでしょ?」

「美しくない・・
これでは千切りではなく百切りか
それ以下ではないか

しかも下まで切れていない」


「食べれれば何でもいいじゃん!」

「食べられるかこんなもの」

「せっかく手伝ってるのにっ
何よその言い方!」


「出来もしない事を簡単にやると言うな

・・・おまえはもう何もしなくて良い
休んでいろ」

「・・・・・」

 ため息混じりに言われると何も言えなくなる
 結局そのまま横で見ていることになった



「お料理、上手だね」

 こっちの出番が無くなっちゃって
 ふくれながら話かける


「一人暮らしならこの程度出来る
おまえはなぜ出来ない?
そんなんで嫁にいけるのか」

「相変らず失礼な事ばっか言うんだから
あたしだって・・そのうちできる様になるもん」


「ふっ
百切りが千切りになる日が本当に来ると良いな」

「んむむむ・・・」



「まあ
おまえはそのままでも大丈夫か」

「そのままでもって
どういう意味?」

 貰い手がいないならわたしが貰う
 ・・とか言うつもりだったりして
 そんな事言ったら思いっきり笑ってやるんだから


「いずれにしても
女王に君臨すればこんな事する必要も無いだろう」

「・・・っ・・」

 そんな答えが返って来るなんて思いもしなかった
 ちょっと冷たい言い方が突き放しているみたいで
 なんか皮肉にも聞こえるんだけど

 でも、やっぱりそうなのかな
 遠い未来
 あたしがクインになるのは決まっていて・・
 そうするともうこんな風に誰かにご飯を作ることもないの?



「もし、そうなったとしても
あたしは作ってあげたいな

好きな人に、ご飯」

「・・・・・・」

 それに対しての返答は無かった



「・・盛るのくらい手伝うよ
パスタの上に乗っけるんでしょ?」


「おい、・・うさぎ」

「何よ、また文句?
盛り方が美しくないとか言うわけ?」


「・・・キュウリとトマトは横に置くな
側面が触れるとトマトのビタミンが破壊される」

「なっ・・・
そんな細かい事まで気にしてると
若いうちに絶対ハゲちゃうんだからねっ」

「・・・・・・」

 あたしの言葉を聞いてないフリして
 完成したパスタを持ってさっさとリビングへ行ってしまった

 何なのあの態度はっ
 あんなに薄情な人だったかしら
 もう知らないんだからねっ

 べーだ!!












「この柚子胡椒のドレッシングおいしーい!
冷製パスタに和えちゃうって斬新ね」

 簡単に作った割においしいご飯で
 一口食べたら機嫌も直った


「でね、
元々みんなと食べるショートケーキ用の苺だったからさ
勝手に使っちゃってすごく怒られたのよね
特にレイちゃんたらこの事ずっと根に持っていて
何かあると今でもあの時に苺がーって言って来るのよ?
食べ物の恨みって怖いわよねー」

「食べている間もよくしゃべるやつだな
それもさっきから食べ物の話ばかりだ」

「そう?」

「前から食い意地のはっている奴だったが

おまえは
嫌いな食べ物は無いのか?」

「え?嫌いな食べ物って
そりゃあ、あるわよ

・・・ニンジンとか?」

「なら今度はそれを使った料理を用意しておこう
少しは口数が減るかもしれない」

「・・・っ・・
いじわるばっかり言うんだから!」



「・・・くくっ」

「何よ」

「いや、
たまには共に食事をするのも悪くないな」

 たまにはって・・

 ・・そっか
 一人暮らししているんだから
 いつも食事も一人なんだ

 こうしてあたしとお昼ごはん食べていて
 少しは楽しいのかな?

 だったら、いいな


「うん、
他の人と一緒に食べるとさ
同じものでもおいしく感じるよね!」

「他人と、ではない」

「え?」



「おまえとだ」

「!?」

 一言告げられて、向かいの人はまた食事に戻った

 何て言ったらいいのか分からなくて
 動揺を必死に隠そうと、こっちもひたすらパスタを口に運ぶ


 こんな事言っといて
 どうしてこの人は平然としていられるの?
 恥ずかしくならないのかな


「・・・・・・」



「・・成程」

「はい?」


「口数が減った
こうすれば良いのだな」

「・・・っ!!
ばっ・・ばか」

 ほくそ笑む彼の様子がすごく得意そうで
 悔しがるのも癪だからそのまま黙々と食べ続けた



「ごちそうさまでしたっ
おいしかったです」

 向かいも食べ終わったようで
 片付けようと立ち上がる


「あっ
あたしも片付け手伝うよ」

「結構だ
却って邪魔になる
皿でも割られたら片付けが増えるしな
大人しくテレビでも見てじっとしていろ」


「・・・はい」

 何もしないで休んでいればいいって
 つまりはそう言いたいんだと思う

 さっきも思ったけど
 素直に言えばいいのに



「あー
お腹いっぱい!」

 満足した体をソファに沈めてぼうっと物思いに耽る

 不思議・・・
 今ここにこうしている事がまだ信じられない
 再び出会って一緒にご飯食べて
 そんな普通の日常がこれからもずっと続いていくのかな


 あなたにしてあげたい事がたくさんあった

 前の二人には時間もなくて
 あたしにしてあげられる事にも限りがあって・・
 でも、今なら何でも出来る気がする
 時間だっていっぱいある

 みんなとまた一緒にお出かけしたりして
 もう一人じゃないんだよって言ってあげたい

 ここはこんなに温かくて、居心地が良いんだよって
 教えてあげたい


 やりたかったことたくさん
 これから少しずつあなたと実現していける
 それって、すごく素敵な事だよね


「ふふ・・楽しみい」

 リビングに差し込む陽の光が柔らかくて
 気だるい体がどんどん重くなっていく











 リビングがいきなり静かになった
 少し気になり
 食器を手早く片付け様子を確認しに戻る


「うさぎ・・?」

 ソファにもたれたまま返事が無い



 傍まで近寄ると、静かな寝息を確認した


「寝ているのか
満腹になったと思ったらもうこれか」

 毎度の事ながら呆れる程寝つきが良い
 起こさない様にそっとその隣へ腰を下ろした


「・・・ん・・」

「・・・・・・」

 いつもこちらに無防備な寝顔を見せてくれる

 安心しきっているのか
 こちらが何もしないだろうと油断しているのか
 ・・はたまた何も考えていないのか

 おまえの行動はいつもわたしを惑わせる


 だが、またこうして二人の時間を共有する日が来るとは・・

 あの時は時空を歪めてまでおまえを連れ去って来たが
 今は同じ時間を生きている
 今度こそ手を伸ばせば触れられる距離にいる
 それだけで奇跡なのだろう

 それ以上を望むのは高望みか・・・




「・・・ん・・」

 うとうとしていた意識が
 人の気配を傍に感じて現実に戻る


 まだぼんやりしている眼をこすってすぐ横に顔を向けたら
 デマンドが足を組んで頬杖を付き
 じっとこっちを見ていた



「あたしったら・・・どのくらい寝てたの?」

「ほんの数十分くらいかな」


「ずっと そこにいたの?」

「ああ」

「・・・ていうかあたしの寝顔見てたのね」

「悪いか?」

「また間抜けな寝顔だった

とか言うんでしょ?」



「・・・おまえの
安らかな寝顔をじっくりと見てるのも中々に和む」

「・・・・・・」

 さっきからずっと
 こっちに穏やかな視線を送り続けて来る

 体を彼の方に向けて聞いてみた


「ねえ、
いつもあたしが寝ていても起こさないでいてくれるのね

どうして?」


「起こす理由も無いだろう?」

「ふふっ優しいじゃん
あなたのそういう所

・・ちょっと好き」

 好き、という言葉に照れが出て目線を彼から外す





「うさぎ

こちらにおいで」


「え・・・あの・・」

 いきなりの提案にどうすればいいのか・・・
 何も答えられなくてそのまま口を閉ざした



「どうした?」

「だって・・・」

 おいでって言われても
 そんな簡単にお邪魔しまーす!
 ・・・なんて行けないよ

 躊躇いの空気が向こうにも伝わっているはず
 なのに何も言わず
 さっきからずっと静かにこっちの動きを見守られてる


 硬くなった空気に体が縛られているみたい
 蛇に睨まれた蛙ってこんな感じ?



「あっそうだ!
テレビでも付けようか」

 妖しい雰囲気を打ち破ろうと
 なんとか誤魔化しの言葉を搾り出した

 そんな逃げ腰になっている態度を
 余裕の笑みが引き戻す



「このままで良い」

「あっ」

 少し強い力で体を引き寄せられた



「逃げるな
何を怖がっている

ここへ、おいでと言っているだろう?」

「ちょっ・・とっ」

 そのまま押し切られ膝の上に乗せられると
 二人の距離がいきなり近くなる



「・・・・・・」

「・・・っ・・」

 こっちを直視する熱い眼差しに耐えられない
 目がずっと泳ぎっぱなし



「どうした?緊張しているのか」

「だってその・・・近いよ

こっ・・こういう事はまだ慣れないや」

 体が固まってぎこちない動きしか出来ない


 そっとのびてきた腕があたしの髪に優しく触れた
 その動きに体が少し過敏に反応する


「・・・っ」

「思い出せ
ここはおまえの特等席だっただろう」


「そう・・だけど」



「おまえは不思議な奴だな」

「え・・どこが?」


「頭の抜けたドジな小娘で
野菜すら満足に切れないというのに」

「・・・悪かったわね」


「おまえを見ているといつもハラハラさせられて
一体次に何をするのかと気が気ではない
困ったやつだ

わたしがハゲたらおまえのせいだな」

「何よ、・・それ根に持ってるの?」

 少しむくれた態度を見せたらそれが面白かったのか
 ふっと笑われた


「そんな姿がわたしをずっと捕らえて離さない
その向けられるすべての仕草が可愛らしくて
見ていると心が和む」

「デマンド・・・」


「うさぎ」

 髪を撫でる指先が
 そっと頬を伝い唇をなぞる


「おまえともう一度会えて

こうして触れている事が奇跡のように感じる」



「・・・うん、
また会えるなんて思ってなかった」

 また
 こんな静かな時間を一緒に過ごす日が来るなんて



 まだ体が緊張していて少し強張っているけど
 勇気を出して彼の肩に寄り添ってもたれた


「すごく、温かい」


「そうか?」

「うん・・・」

 こうしていると実感する
 傍にいるんだって、やっと


 嬉しい



「・・・・・・」

 抑えていた感情が溢れ出して来る
 そうするともう自分では止められない

 唇の震えが肩にまで伝わり
 その変化に彼が気付いた


「どうした?」

 体を起こされ顔を覗かれる




「・・・・っ・・ひっ・・・く・・」

「泣いているのか?」


「だって、あんな別れ方して
あたしのせいで・・・
ずっと・・・忘れられなくて・・・っ・・」

 咽ぶ息に負けないよう
 声を必死に絞り出す



「・・・おまえのせいではない
わたしが守りたかった
それだけだ

守りきれて良かった」

「でも・・・」

「もう、泣くな
わたしを見ろ」

 溢れる涙の狭間から
 彼の笑顔が少し見えた


「すべて終わった事だ
何も悲観する事は無い

こうしてまた会えただろう?
それで良いではないか」


「ん・・・」

「おまえは
泣き虫な所は何も変わっていないな」



「これでも
少しは泣かなくなったんだよ?」

「ははっ」

「笑わないでよ、もう」


「すまない
だが
そんな所も愛らしくてわたしは好きなのだよ」

 涙を拭われると視界がクリアになって
 デマンドの紫紺の瞳の中に
 自分の姿が映し出されているのがよく見える



「デマンド

あなたに会いたかった」


 それはあたしの今感じている素直な気持ちだった

 まもちゃんの事とかみんなの事とか
 そんなすべての繋がりすら忘れ去ってしまう程大切な
 ずっと心の奥に取り残されていた
 たった一つのあなたへの想い

 やっと言えた




「うさぎ

おまえを変わらず今も愛している」


「・・・知ってるよ」

 満面の笑顔でそれに答えた


 彼に見つめられていると
 肩の力が少しずつ抜けていく

 近づいてくる熱い視線に身を任せるように
 そのまま瞳を閉じた



「・・・・・」

「・・っ・・・」

 唇が触れ合うと
 胸の奥がきゅっと締め付けられてくる
 懐かしい感覚が体中を駆け巡る


 切なくて苦しくて
 でもあなたの想いが深く伝わってきて
 それを感じていられるこの瞬間が永遠にさえ思えてくる

 それをしっかり噛み締めるかのように
 しばらくお互いの唇を離す事が出来なかった
 ただ求められるまま彼を受け入れて応えた




「・・・はあ・・」


「覚えているか?
わたしとのキスを」

「ん・・・思い出した」

 すごく情熱的なあなたの唇に
 あたしはいつも夢中にさせられていた


「ずっと、お前の唇を奪いたかった
こうしていつまでも
おまえの瞳にわたしだけを映していたい」

「・・・・・・」

 静かな空間に二人きり
 いつまで見つめ合っていても飽き足りない


 あなたにもっと触れていたい

 向こうもそう思っているのか
 それともこっちの気持ちを察したのか
 再びそれが重なってきた



「・・・ん・・」

 熱い・・・
 触れる唇もそこから漏れる息も
 すごく熱くて溶けてしまいそう


 彼の唇が優しく涙の跡のある頬に触れ
 瞳にも落ちる

 とろけるような愛撫が続けられて
 頭の奥がどんどん痺れていく
 体に力が入らない



「・・・はあ・・デマンド・・」

「うさぎ・・」


「気持ちいい・・すごく」



「わたしにも キスを」

「ん・・・」

 求められて交わすキスが心の奥まで染み渡る

 もう
 この唇を一瞬でも離していたくない

 あなたの想いに浸っているこの瞬間がすごく心地良くて
 今は他の事なんて何も考えられない



 そのまま何度もお互いを求めた
 何度しても足りなくて
 いくらこうしていても満足する事は無いと分かっているのに
 それでも、少しでも今までの分を取り戻そうと
 ひたすら唇を交し合った


 何だろう・・・
 別の世界にいるみたいな不思議なこの感覚
 少しの後ろめたさを掻き消すかのように
 ただ目の前のあなただけに集中した

 まるで、広い世界で二人きりになったかのよう
 あらゆる思考が停止して
 五感が外界の刺激をすべて遮断している
 この部屋だけ
 かつての二人の空間に繋がっているかのような気すらした






「・・・はあっ・・はあ・・」

「・・疲れただろう?
少し休め」

「・・・ん・・」

 肩を優しく抱き締められそのまま息を落ち着かせる
 胸の中に顔を埋めると
 デマンドの生きている音がこっちにも伝わってきた




「・・痛い・・・」

「強く抱き締めすぎたか?」


「・・違う

心の奥がすごく痛い」

「うさぎ・・?」


「分からないの・・・

自分で自分が」

 あたしはどうしたいんだろう

 こうしてずっとあなたと一緒にいたいと思う反面
 それは出来ないって
 違う自分が止めている


「デマンドは余裕よね・・

いつもあたしばっかり惑わされて
胸の奥が・・今もすごく痛い」



「・・・そうでもない
わたしだって不安はある」

「・・嘘」

「おまえがまた消えてしまいそうで
いつも怯えているのが分からないのか?
どれだけ抱き締めていても
手を離した次の瞬間には飛び去って行ってしまいそうだ」


「・・・・・・」

 感じる、あなたの孤独な気持ち
 離れたくないっていう想いがこっちにまっすぐ伝わってくる

 その寂しさを癒してあげたくて
 あたしはここにいるんだよ?
 あの時も、そして今も

 少しでもそれが薄れるように
 ぎゅっと強く抱き締め返した


「あたしは、ここにいるよ」

「・・・今だけでも離れるな」


「うん」

 見つめ合った瞳が惹かれ合い
 どちらからともなくごく自然に唇が触れ合った

 二人の心臓の音が心地よく溶けていく
 同化して
 もうどちらの音なのかも分からない




 どのくらいの間そうしていただろう

 過ぎ行く静かな時間
 その感覚が全くつかめずに
 部屋の中が真っ暗になって
 ようやく陽が落ちたんだと気が付いた



「ねえ、・・もう真っ暗」

「時間の事など忘れていたな」


「電気つけてくるよ」

「ああ」

 彼女の温もりがふっと離れる

 少しよろめきながら壁づいたにスイッチを探し
 それを付ける様子をじっと眺めていた


 明かりがついた瞬間
 彼女の指先から瞳に突き刺さるような強い光が
 キラリと反射して飛び込んできた
 その光源を瞬時に把握する

 あいつ・・・



「あー
やっと明るくなった!」


「・・おい」

「!?」

 いきなり真後ろから声を掛けられて
 驚いた風を見せながらこちらを振り返った


「やだっ・・びっくりしたじゃない
いきなり後ろに立たないでよ

・・・っ!」

 そのままジリジリと近づいて壁に追い詰める


「何よ?・・どうしたの?」


「おまえ、
・・・コレはここにいるときは外せ」



「え?コレって

・・・指輪?」

「そうだ」

 掴んだ手に視線を落としたら
 何を指しているのか気付いたようだ


「外さないと ・・だめ?」



「・・・本気で言っているのか?」

「・・・っ・・」

 デマンドの視線が鋭くこっちを凝視する

 これを外すって事は
 それだけでまもちゃんを裏切る事になりそうで
 心がそれを躊躇っている


「だって・・・これは・・」

 何も言えなくて言葉が詰まった



「うさぎ、
おまえの言いたいことも分かる
だから何もずっと外していろと言っている訳ではない
ここに来る時、わたしといる時くらい
おまえは誰のものでもないと思っていたい

それは傲慢か?」


「それは・・」

 彼のいう事も理解できる

 他の人に貰った物を堂々と見せ付けている態度は
 自分でもひどいと思うかも
 だからって外すのは・・・

 でも、
 みんなに・・まもちゃんに内緒でここに来ている事自体
 もう裏切りになっているんだ

 さっきみたいな事までしちゃって
 裏切ってないなんていえるわけが無い



「・・・・・・」

「おまえ、
わたしに無理矢理奪い取られたいか、自分で外すか
早く決めろ」

「!!・・分かったわよっ
今外すから」

 悩むあたしの態度に痺れを切らして指輪を取られそうになる
 その手を慌てて振り払った



「何よその二択・・・
外さないっていう選択肢が元から無いじゃない
勝手なんだから」

「何をぶつぶつ言っている?」


「何でもありませんよっ
これでいい?

・・・あっ」

 外したそれをすかさずもぎ取られた


「何よっ
結局あたしから奪い取るわけ?
返して・・」

「今度ここに来る時に付けて来たら
コレは没収する」

「はい?
何よその持ち物検査的な命令は
いきなり生徒会の人みたいなこと言わないでよ!」

「ははっお忘れか?
わたしはその生徒会長だ」

「んむむむっ」

 得意げな笑みを向けられて
 上手く返せないのがなんか悔しい


「・・・次回収したら今度こそ返さない
どんなに取り返して欲しいと頼まれてもな」

「・・え?」

 取り返して欲しいって頼まれてもって・・



 その言葉に、はっと記憶が蘇る


「前、この指輪を副会長さんに没収された時に
気がついたら教室の机の上に置いてあったんだけど

あれって、・・・あなたが?」


「・・・・・」

「やっぱりそうなの?
・・どうして?」



「何だかんだ言ってもわたしはおまえに甘いからな
愛しの姫君のご指示ならば
どんなに残酷な命令でも聞いてしまうものだ」


「!?
ありがとう、・・・ごめん

あたしったらあの時
デマンドの気持ち何も考えてなくてあんな事・・・」

「もう良い
わたしも少しは仕返しをしたしな」

「仕返し?」

 ふっと笑うと
 指輪を外した指先に唇を寄せてきた


「・・・これでおあいこだ
ここにいる時はわたしだけを見ていろ

わたしの姫だ」


「ちょっと・・・」

「何だ?」


「そういう事
よく恥ずかしげもなく言えるわよね」

「そうか?」

「あのねっ
聞いているこっちがいつも恥ずかしくなるんだからね!」


「気にするな、言わせておけば良い」

「だーかーらーっ
・・・もうっ!

ねえ、デマンドったら」

「さっきから何だ・・」




「返してよ、指輪」


「・・・覚えていたのか」

「当たり前でしょ!」

 あたしの突っ込みに
 少しむくれた風を見せて視線を逸らす


「こんな子どもっぽい物より
わたしがもっとおまえに似合う物を選んでやるぞ?」

「・・・デマンド?
いい加減にしないと姫は怒るわよ」


「・・・ほら」

 そのまましぶしぶと返された



「全くもう・・

あっ、もうこんな時間だよ
そろそろ帰らないとだわ」

「別に帰らなくても良いだろう?

泊まって・・」
「行きません!」


「・・ははっ」

 あたしの突っ込みがおもしろいのか
 さっきからわざとボケてるみたいこの人

 やっぱりからかわれてる?



「送って行こうか?」

「ううん、いい
一人で帰れるよ」




 玄関で靴を履いて
 見送る彼の方を振り向いた

「じゃあ、帰るね」

「・・ああ」


「夏休みが終わっても
また学校で会えるね」

「そうだな」

「何よ、素っ気ないんだから
これからはいつもいつでも会えるんだよ?」


「・・学校にいる時も
空いている時間は大抵いつもの所にいる
何かあったら会いに来い

もちろんここにもな」

「はいはい、仕方ないわね

じゃあね」




「うさぎ」

「なあに?

・・・・!?」

 呼び止められて顔を向けたら
 彼の唇があたしの頬に軽く触れた


「気をつけて帰れ」


「・・・はい」

 ボッと
 一瞬で頭が熱くなる


「・・あんなにしたのにまだ足りないのか?」

「ばかっ!
もう知らないっ」

 笑っている彼を横目に
 勢い良くドアを閉めて舌を出した


「べーだ!!」







 帰り道は気がついたら早足になっていた

 ひたすら黙々と歩いていたら
 さっきまでの色々なやり取りが思い出されて
 一人身悶える


「あたしったら・・・
何してたのよっもう

えいえいえいっ」

 恥ずかしくなって電柱に頭を叩きつけていたら
 通り過ぎる人が変な目でこっちを見て行った


「いててて
何やってるんだろ;」

 本当に何やってるのよ、あたしは
 指輪まで外しちゃって


 ・・・指輪!!

 慌てて外したそれを指にはめ直した
 月の光にかざしたら
 いつもと変わらない輝きがあたしを明るく照らしてくる


 ごめん、まもちゃん

 あなたを一瞬でも裏切った
 そしてこれからも多分
 これを外す機会は増えていくんだろうな


「あたしは・・どうしたいの?」

 何度自分の心に問いかけてみても
 今は答えが出てこない

 いつか、出さなければいけないであろうその結論から
 今は逃げ出しているのかもしれない


「でも、例えどうなったとしても・・・」

 今はやっと会えた
 あの人の傍にいてあげたい




 考え込みながら歩いていたら
 あっという間に家へ辿り着いた


「変な顔してないわよね・・・」

 ・・・電柱に打ちつけたおでこは少し赤いかもしれないけど



「すーはーすーはー
・・よしっ」

 家の前で一呼吸おいて気持ちを落ち着かせると
 いつも通り元気良くドアを開ける


「ただいまー!!」


 一番に出迎えてくれるのは誰だろう
 向こうからタタタっと軽い足音が聞こえてくる


「ルナかな?

ただい・・・ま???」




「・・・ちびちび?」

 そこには昼に出会った小さい女の子が
 さっきと同じ笑顔で玄関に立っていた