部屋に戻る頃には瞳から涙が止め処なく溢れ出て
 視界はほとんどきかなかった



バタン



「・・・っく・・・えっく・・」

 ここに戻ってくるまで声を出さないように必死に堪えていた

 だけど扉を閉めた瞬間、緩んだ気持ちが爆発して・・・
 こうなったらもう自分では制御できない


 入ってすぐの場所に膝をつき
 そのまま悲鳴のような声で泣きじゃくった


「うっ・・・あああっ・・・
・・ひどい・・・よ・・・こんなの・・

・・・辛い・・」

 心が・・・痛い
 苦しみが強く心臓をしめつけてくる

 胸の奥が熱くなって・・それがどんどん涙に変わっていく


 ずっと 気が付いていたことだけど
 改めて本人から言葉でぶつけられると想像以上に心へ衝撃がきた



 ・・・悔しい
 何に対して悔しいのかすらもはや分からないけど

 とにかく悔しい



「くっ・・・」

 怒りの矛先を目の前の冷たい床に向けた
 思い切り何度も何度も拳をぶつける


 打ち付けられた手はおそらく痛いのだろうけど
 心のほうが痛くて今は何も感じない
 全身の感覚が麻痺している




「もういやだ・・・何もかも・・・

嫌いっ・・・」

 辛い気持ちが溢れて心の奥底から悲鳴が上がる


 すべて・・・無駄だった
 意味のない事ばかりだった
 あたしはどうしてここに残ってしまったんだろう

 優しい言葉も・・その仕草も
 すべてあたしに向けられたものではなかった

 愛されていると思っていたのはただのうぬぼれで
 デマンドはあたしを通して絶対に手に入らない
 遠くの存在に焦がれているだけだった

 初めからずっと・・・


 結局彼が愛しているのはネオクインセレニティだけなんだ
 あたしじゃない

 ただの身変わりだった・・・
 その埋められない心の隙間を埋める道具でしかなかった



 もう・・・ここにいる理由が分からなくなった
 あなたはどうしてあたしを
 ・・・月野うさぎをここに連れ去ってきたの?



「ひどいよっ・・・ひどすぎるよ・・

・・・う・・っく・・・うああっ・・」


 声の出る限り大声で泣き叫んだ
 すべての苦しみが涙と一緒に流れ出れば良いのに・・・

 この心すらすべて洗い流して欲しい
 何も残らなければ辛くもない

 もう・・・何も考えたくない





「・・・っく・・」

 何もかも捨て去りたい・・・

 そう願って涙を出し尽くしたけど
 ・・・だめだった

 心の奥底にまだこの苦しみが燻っている
 どうしたらこれから開放されるの?


 でも、一通り泣いたら少し落ち着いた





「はあ・・・」

 そうしたら心に悩むゆとりができた
 ふと 自分のそれについて考える


 あたしは・・・どうしてこんなに泣いているんだろう




 デマンドから愛されていないと知らされてしまったから?
 愛されていないからって・・・なんで泣くの?

 ・・・何かが違う




 愛していると嘘をつかれたから?

 ・・・それもなんだか違う気がする


 じゃあ・・
 あたしの心はなんでこんなに悲鳴をあげているの?

 たくさん泣いた後に考えるのもなんだか変だけれど
 ・・・その理由は曖昧だった



「・・・・・・」

 あたしは、ここに残ると決心した
 自分の意志で
 邪黒水晶のパワーを受け入れてまでそう強く決心した

 それは彼があたしを望んだから
 望まれている事が嬉しかったから 残った

 でも・・デマンドは本当にあたしを望んでいたわけではなかった
 それに今更気づかされた
 だから悔しくて泣いた
 ここに留まっている意味は元から無かったのだから

 悔しくて泣いたのなら
 どうしてこんなに胸が痛いのだろう



 ・・・こうしてじっくり考えてみるとなんだか妙な気持ちになった

 あたしを愛しているのかそうではないのか
 それは彼自身の心の問題であって
 言ってしまえば直接あたしの心に関係してくることではない
 あたしの心がこんなに傷ついている理由にはならない気がする

 なのに実際この心はすごく切なくて・・・不思議なほどに狂おしい
 絶えずあたしを締め付けてくる

 なぜだろう・・・



 彼の言葉の一つ一つに・・・あたしの心が反応している
 切ないとか・・・胸が苦しいとか
 その辛さは今までの人生の中で何度も経験している
 同じ痛み

 それって・・・





 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・!?

 頭の中で何かが弾けた



「えっ・・・まさか」

 ずっと感じていた胸のつかえ
 それに気づかされた気がした



「やっ・・・ちょっと待って

・・・落ち着いて・・」

 心が平静さを失っている・・
 この状態で
 自分の中でその結論を出すのは早すぎるよ

 もっとよく考えないと
 自分と向き合ってよく・・・


 ・・・・・・・・・

 考えれば考えるほど確信に変わっていく気がする



「ああもうっっ」

 頭を掻き乱した

 考えすぎて頭がぐちゃぐちゃ・・・
 感情が自分の理解の幅を超えている

 その場にへたり込んだまま
 膝を抱えてしばらく心を落ち着かせた






「・・・・・・」

 あたしは今混乱している
 頭の中を色々な事が駆け巡って・・まとまってくれない

 悩みすぎて自分の心が何を望んでいるのか分からなくなった
 どんなに考えても明確な結論が出てこない


 ううん
 出さないようにしているようにすら見える
 あたしは・・・怖がっているのかもしれない

 この答えを
 ・・結論を自分の中で出したところで
 それを受け止めてくれる場所がなかったらと


 ・・・そうだった

 あたしがどう感じていたって状況は変わらないんだ
 どうせデマンドはあたしのことなんて・・・



「・・・・・・」

 でも こうして改めて自分の心に耳を傾けてみて
 ひとつ分かったことがある


 彼に・・愛されていたかった

 あなたから
 心から愛されているという事実
 それがあたしの希望だったのは確かだ



 ・・・あたしはこれからどうしたらいいんだろう










「セレニティ」


「・・・!!」

 心臓の鼓動が大きく一回 どくんと打った




 扉の向こうからあたしを呼ぶ低い声
 叩く音


「・・・居るのだろう?」

 ついさっき
 ひどい言葉をたくさんあたしにぶつけてきた
 ・・それと同じ声があたしを呼んでいる
 あの時の感情が思い返されて怒りが再び沸いて出た

 胸が熱くなってくる



「何の用よ」

「セレニティ・・ここを開けろ

話がしたい」


「・・・もうあなたと話すことは何もないわ」

「わたしはある・・・おまえに謝りたい
謝らせて欲しい

・・ひどい事を言ってしまった」

 何がひどかったのか・・
 気づいているはずがないわ


「どんな言葉も聞きたくない
表面だけの謝りの言葉なんていらない」

「違う そんな表面だけのものではない
気が付いた、わたしが悪かった

お願いだ・・・開けて欲しい」


「・・・・・・」

 こんなに必死な彼は・・・あまり見ない
 どうしよう・・・

 少し心が揺れる




「・・・・・嫌よ」

「・・・っ・・」


「少し・・・考えたい事があるの
一人にしておいて

後で 聞くから」

 自分の心の中が整理できていない状態で
 今はあなたに会いたくない




「・・・だめだ」

「!!」


「今でないと・・だめだ」


 どうして・・・
 なんで今なの?

 その必死に喰らいついてくる様子に少し戸惑ってしまう


「この扉を 開けて欲しい」

 ・・さっきから不思議だった


「・・・鍵も付いてないんだから
勝手に入ってくればいいじゃない」

 二人を隔てているこの扉は
 何の妨げにもなっていないのに



「確かに扉自体に物理的な鍵はない

・・・だがおまえ自身が開けてくれないと意味がないのだ」


 あたしの手でこの扉を開けて欲しいと頼んでいる



 ・・・どうして?

 その意図が読めない




「今、伝えないと間に合わないのだ
頼むからあけてくれ

・・・うさぎ」


「・・・!!」

 『セレニティ』ではなく
 あたしの名前を呼んだ?


 胸の奥がどきっとする



「おまえに・・・会いたい」

「・・・デマンド」

 胸が・・高鳴ってくる

 少し悩んだけど
 今の彼は少なくとも『あたし』と対話する気があるらしい



ギィ・・・



 扉がためらいがちにゆっくりと開いた


「・・・・・・」

 赤く腫れた目のセレニティがわたしを出迎える

 わたしのせいで泣かせてしまった
 その瞳を見ていると心が・・・痛い



「・・・っ!

すまない・・・」

「・・・!!」

 震える体を力の限り精一杯抱きしめた


「な・・・何するのよっ!!」

 また抱きしめて誤魔化す気?


「いやっ・・・デマンドなんて嫌いよ

・・・ばかっばかあっっ」

 力を振り絞って必死で叩いた

 触れられて心が動揺している・・
 どきどきしている心とは裏腹に言葉が必死に彼を拒絶した


「いやっ・・いやだっっ!」

「・・・っ・・」

 そんな抵抗など気にせず強く抱き締め続けた


「はっ・・離してっっ!」



「愛している

・・・おまえを愛している!」


「・・・!?」

 その言葉に一瞬心が怯んだ




 彼の体が震えている


「デマンド・・・」

 叩く手を止めた




「・・・嘘よ」

「嘘ではない」


「・・・あなたの気持ちはさっき嫌というほど聞かされた
適当なこと言わないで」

 さっきのひと時・・・
 思い出すだけで胸がまた痛み出してくる

 そうよ・・・またどうせその場だけ取り繕うとしているのよ
 流されてはダメ

 一瞬期待してしまった自分に言い聞かせた



「違う・・・」

 耳元で絞り出される 悲痛な声



「ネオクインセレニティとおまえは違う」




「・・・・・・え?」

 その言葉に
 聞く気が全くなかった彼女の心がほんの一瞬こちらを向いた
 その変化をわたしは見落とさなかった



 訝しげなその瞳を真剣に見つめる


「もうずっと前からおまえを愛していた
それに気づいていなかっただけだ

おまえのその涙で・・・やっと気が付くことができた」

 涙の流れた跡のある頬にそっと触れた


「・・・・・・」

 やっと・・こちらを向いてくれた
 その澄んだ瞳を今度こそ捕まえてみせる


「確かに・・始めは彼女を手に入れることが目的だった

焦がれ続けた女王を支配する事が願いだった」

「・・・っ・・」

 その言葉にすぐ下を向いた
 もう・・・これ以上彼女への言葉は聞きたくない



「・・・話を最後まで聞け」

「!!」

 デマンドの口調が強くなる
 逸らす目線を無理矢理合わせられた


「・・・何事にも屈しない強い瞳は確かにずっと焦がれていた彼女だ
だが 何かが違うとずっと感じていた

おまえはいつも突拍子もないことでわたしを翻弄させる
手に余って仕方がない
わたしはいつも振り回されるばかりだった
悠然と佇むだけのあの女王とは何もかも違ったのだ
だがその奔放な姿からずっと目が離せなくなった

いつの間にか・・・
自分でも知らぬうちにおまえに恋をしていた」


「・・・っ!?」



 恋って・・・

 デマンドが・・・あたしに??


 その言葉は初めて聞かされた
 意外な告白に目が大きく開く


「おまえの・・・すべてが愛おしい
からかうとすぐにむきになる所も
可愛らしい笑顔も
今ここにいるおまえが見せてくれる

彼女ではない」

 あたしを
 じっと凝視してはっきりとその言葉は発せられた



「わたしの孤独な心を温めてくれた
人を愛する事を思い出させてくれた

・・・おまえがすべて教えてくれたのだ」

 脱力している体をそのまま強く抱き寄せられる


「デマンド・・・」

 腕の力強さから想いの強さが伝わってきた




「わたしの妻はおまえだ 愛している

・・・うさぎ」

「!?」

 うさぎって・・・
 あたしを呼んでくれた



 あたしの瞳をしっかり見つめてもう一度言われた


「愛している・・・うさぎ」


「・・・・・・」

 体が動かない・・・
 まるで この場の時間がすべて止まったかのような不思議な感覚
 あたしの心も止まったまま動こうとしない


「・・・・・・」

 信じられない光景だった

 あなたのその熱い眼差しは
 今度こそあたしだけを見つめている

 思い違いでもうぬぼれでもなく
 真実のあなたの想い
 それが心の隅にまで染み透っていく





 止まっていた時間が少しずつ進みだす



 どうしたんだろう・・・

 体が震えてきた
 胸の奥が・・熱い

 この溢れ出てくる熱い気持ちは・・・何?

 それが涙に代わって一筋こぼれ落ちた
 そうしたらもう・・・止められない



「・・っく・・・・・・・ひっく・・・」


「・・・どうして泣く?
もう・・・泣かせたくない」

「分からない・・・分からないよあたしだって」


 どうしてこんなに・・・嬉しいのか



「・・・本当に?」

「ああ・・」


「もっと・・・言って」


「・・・愛している
愛して・・

・・・っ!!」

 その言葉を聞かされた瞬間 体が勝手に動いていた


「・・・んっ・・」

 愛の言葉を封じ込めるようにキスをする



 ・・・あたしはいつからこんな風になってしまったの?
 自分で自分が分からない

 あなたの言葉一つで喜んだり傷ついたり
 その都度心が掻き乱されて・・
 こうして触れているだけでどんどん心が満たされてゆく

 ただひたすら夢中に何度も何度もそれを求めた


「・・・っ・・」

 その一方的にされる行為を受け入れ、それだけに集中した
 他は一切何も見えない
 何も聞こえない




 しばらくして唇が離れ、わたしの耳元で小さな声が囁いた



「あたしだけ・・見ていなきゃ嫌よ」

「!!」

 その言葉がにわかに信じられなかった
 ゆっくりと浸透していき わたしの心を温めていく



「・・・二度とこんな辛い涙は流させない」


 もうおまえしか見えない
 おまえがいれば何も要らない




「・・・セレニティ・・っ・・・愛している」


「・・・んっ・・・デマ・・ンド・・・」


 お互いを貪る様に唇を重ね合う

 ただ必死だった
 必死にぬくもりを確かめ合った


 わたしはいつからこんなに狂ってしまったのか
 ・・それすら分からない

 わたしを求めてくる唇にまどろみながら
 おぼつかない頭で考えた

 なぜ彼女はこんなに泣いてくれるのか


 わたしに愛されていないと涙した
 わたしに愛されたいと願ってくれた

 なぜだ



 ・・・だめだ

 目の前の誘惑に惑わされて・・考えがまとまらない
 今はこの唇しか感じられない

 心の奥から湧き上がってくるこの衝動を抑えられない





「デマンド・・・

・・・あっ・・」

 ふわっと 体が宙に浮く
 担がれてベッドまで運ばれた





 どさっ と乱暴にそこへ下ろされる
 そのまま紫のマントが覆いかぶさってきた


「ま・・・待っ・・

・・んんっ・・・・・」

 少し乱暴な勢いで唇を塞がれる


「・・・・・・」

 あたしの言葉なんて聞いていない・・・




「・・・っ!・・」

 ゆっくりとした動きで
 指先がドレスの上から体を撫で回してきた

 熱い唇も・・その腕も
 すべてがあたしを貪欲に求めてくる



「んっ・・・んんっ

・・・ぷはっ・・・はあ・・・」


「セレニティ・・・」

 くっと顎先を持ち上げられた


 至近距離にデマンドの顔
 既に荒くなってきている彼の息が頬にかかる


「な・・・に?」

「おまえ・・・今日は特にかわいいな」


「・・え・・・あの・・」

 彼の様子がいつもと違う・・・

 熱い眼差しの中に燃える情熱が隠れないくらい強くて・・
 今にも呑み込まれてしまいそう


 ・・・壊される
 あたしの直感が何かを感じ取った



 真剣なその瞳に一瞬
 鋭い笑みが光る





「悪いが理性を抑えられる自信がない
少々手荒になるかもしれない

・・・覚悟しておけ」