早く地球に帰りたい……そう何度思ったかしら。
 お城のバルコニーから真っ黒な空を眺め、大きなため息をついた。

  ココはネメシス、地球の侵略を企てるブラックムーンの本拠地。
 そしてあたしの住む20世紀からは限りなく遠い、30世紀の世界。
 彼らの長、プリンス・デマンドによって
 あたしはこんな地の果てに送られてしまったのだった。

  連れて来られてからどのくらい経ったかな。そんなに過ぎて
 いないような、ずっとココにいるような、時間の感覚がもう分からない。
  いつか帰れるの? それを考えると不安な気持ちが膨らんできて
 たまらなく心配になってくる。
  邪黒水晶の影響から変身する力も奪われ何も出来ない。
 敵地でただの女の子にすぎない状況も心細さを募らせる要因の一つだ。
 そしてあたしを悩ます最大の不満、それが今積もり積もって
 心は爆発寸前だった。

「……つまんない」

  ぽつりと漏れた本音。瞬間、我慢していたモノが堰を切って溢れ出す。

「つまんない、つまんないったらつまんないっっ
 あたし一人っきりじゃ、すっっごーくつまんないんだからあっ!」

  暗い回廊に響いて溶ける絶叫、それでも何の反応もナシ。
 軽く辺りを見回してみる、一向に気配ナシ。
 誰にするでもなく、ぷうっと頬を膨らました。
 

  実はこの事態、数日前から起こっていた。
 お城の人達が唐突に、原因不明の高熱で続々と倒れ出してしまった。
 ルベウスも、エスメロードもサフィールも……
 そして勿論、プリンス・デマンドも。
 ドロイドはどうなんだろう、呼び出す人間がいないから休んでいるのかしら。
 そうしてみんな各自部屋に閉じこもり、お城の中は静寂が続いている。

  死屍累々と化した惨状、ネメシスに一体何が起こっているんだろう。
 さっきから他人事のように語っているあたしはと言うと、
 不思議とどうもならない。
 何日経ってもいつも通り元気でお腹も空くし、絶賛退屈中なのである。
 馬鹿は風邪引かないって言うけど、他の病気でもそうなのかな。
 ……いや別に馬鹿じゃあないわよ、あたしは。

  こんな状況で放置され幾日、構われても困るけど
 たった一人いつまでもぽつんと回廊を放浪していてもなあ。
 デマンドは城の中を自由にしていいって言ってたけど
 何もないのよねココって。

  テレビはないしゲームもない、漫画なんてある筈ない。
 ここの人達は何が楽しみで生きているんだろう。
 ジャンクフードもずっと食べてないわ。

「ハンバーガー、ポテチにケーキ、チョコレートパフェ……」

  思い浮かべる程に切なくなってくる。
 早く自分の時代に戻って美味しいモノが食べたい。
 頬杖をついて想像を膨らませ、一人の世界に思いを馳せる。

  地球のみんなはどうしているんだろう、そう浮かんでふと、
 数日間も倒れている彼らの事が気になってきた。

「……大丈夫なのかなあ」

  敵とは言え長引いてくると心配だ
 様子くらい覗きに行ってもいいかもしれない。
 降って沸いた気持ちに導かれ、頭の中に明るい電気が点く。

「看病くらい、してあげようかしら」

  敵だからって関係ない。元気なのはあたしだけなら尚更だ。
 そうよどうせ暇なんだし、ここで恩を売れば地球に帰してくれるかも!
  我ながら何て素敵な思い付きだろう。

「よーし、やってみようかしら!」

  みなぎるやる気に圧されて立ち上がる。
 大きく頷くと腕まくりの格好をして意気込んだ。

  地球の事は心配だけど、こんな状態の場所もほっとけない。
 思い立ったら即行動、これがあたしのイイ所!

「うさぎちゃん、いっちょ頑張ってみちゃうわよっっ」

  退屈な時間から一変、急に忙しくなってしまった。
 頬を叩いて気合を入れると背中の大きなリボンを引きちぎる。
 ドレスの長い裾を持ち上げて、慌ただしく回廊を駆け出したのだった。
 
 
 

  意気込んではみたものの、彼らの部屋はどこにあるんだろう。
 分かる筈もなくウロウロしてはシラミツブシに扉をノックして回る。
 いくつめかを叩いた時、中から気だるそうな低い声が返事をした。

  最初のターゲット発見! 拳にぎゅっとやる気を込め、重い扉に手をかける。
 静かに開けて上半身を中へ覗かせた。

「こーんにちはー」

「……何だ、貴様」

  奥のベッドで横になっている人物と視線が合う。
 訝しげな瞳を向ける彼、その顔に見覚えがあった。

 火みたいに真っ赤な髪、浅黒い肌……そうだ、思い出した。

「ルベウス、だったっけ確か」
「セーラームーン……か」

  面倒そうに体を半分起こし、警戒の眼差しを強めて凝視される。

  彼はルベウス、20世紀の地球に攻めてきた時対峙した人だ。
 その時は敵同士だったけど……こうなったら可愛いものね。

  いつもバッチリ立ててキメている髪型は、へたれてボサボサのまま。
 ご自慢の肉体美も長い袖ですっぽり隠して形無しだ。
 て言うかいつもの格好からしたらパジャマは結構普通な感じ。
 エンジ一色のシンプルなデザインで
 よく見るとボタンはきっちり上まで留めている。
 意外とマジメなのかも。

  かつて戦った敵のオフショット、これは中々に新鮮だわ。
 まじまじと観察していたら細い目で睨み返された。

「何しに来た……セーラームーン」
「あ、えっと、みんな具合が悪そうなんで」

「20世紀の時の借りを、返しに来たとでもいうのか……」
「返しに来たというよりも、恩を売りに来た感じ?」
「はああ?」

「まあまあ、こんなに離れて話していたって疲れるでしょ? 
ちょーっと、お邪魔しまーす!」

  相手の許可を得る前にすかさず中へ踏み込むと扉を閉める。
 ベッドの方へ近付き、たじろぐ視線を見下ろした。

「具合はどう? 辛くない?」
「……見ての通りだ、貴様の相手をしている場合じゃない」

「わあ、すごい汗。熱高そうね」
「……人の話を聞いてるのか、オレは大変なんだ。出て行け……っ」

「ああほらダメよ起きちゃ! 病人はゆっくり休んで。
 あたしお手伝いに来たのよ、何かして欲しい事があったら
 遠慮なく言ってねっ」
「突然何を……迷惑だと言っているのが」

「こらっ寝てなきゃダメだってばっ
 大人しく休むのが病人の仕事なのよ、さっさと横になるっ!」
「っっ」

  こっちの強い姿勢に口を閉じ、しぶしぶ布団の中に戻っていく。
 案外素直じゃんこの人、普段強気に見えるけど
 結構尻に敷かれそうなタイプなのかも。

  ふふ、と漏れた笑みにジロリと視線で牽制された。
 にっこり笑顔で返し部屋を見回してみる。
 さあて、どこからお手伝いしようかな。

「とにかく熱を下げないとね、氷枕とかあるといいんだけど……
 ここら辺にないかしら」

  目の前に積み上がった荷物の中程に手を差し込み引っ張ってみる
 ――バランスが崩れて雪崩が起き、大量のホコリが舞い上がった。

「うわあっすっごい埃だらけ! お掃除ちゃんとしてるのっ?」
「おま……っいいかセーラームーン、部屋の物に触るな埃を立てるな、
 何もするんじゃない……」

「そうね、ホコリで咳が出ると悪化しちゃうもんね……
部屋の中を軽く水ぶきして落ち着かせようかな」
「頼むから話を聞け……」

「水を汲んでくるから雑巾とバケツ、借りまーす!」

  やる気を満タンにするとドレスの裾をたくしあげ腰で結ぶ。
 これで少しは動きやすくなったかな。
 エプロンくらい欲しいけど仕方がない。
 足元に転がるバケツらしき容器と、机に置いてある薄汚れた布を
 手に取って水場まで足を急がせた。

  やっぱりこうやって体を動かしていると楽しいわ、
 重いドレスを引きずりながらお淑やかにしているなんて性に合わない。
 ひっそりした長い回廊を颯爽と走り去る姿、生き生きしてていい感じ!

  水を確保し素早く戻ると、早速水ぶきを始めた。
 机の上から棚の端、トレーニングに使うらしき鉄アレイまで念入りに。
 こんなにテキパキとお掃除なんて、自分の部屋でもしないかも。

  あたしの働きぶりはどうかしら?
 横になったまま眺めているルベウスに、ちらっと視線を送ってみる。
 
  熱が高いのかあまりいい顔はしていない。
 険しい表情でずっとあたしを見張っている。

「少し寝てていいわよ。掃除はちゃんとやっておくから、ね?」
「寝れるかこんな状況で……心配過ぎるわ」

「それにしてもみんなどうしたんだろね、一気に倒れちゃってさ」
「俺が知るか、どうせ風邪のたぐいだろう」
「あたしだけ元気なんだから風邪じゃあないかもよ。
 ネメシスの人達にしか掛からない病気なんじゃない?」

「……馬鹿だから、風邪を引かないだけだろ」
「ちょっとそこっ失礼ね! あたしのどこがっ」

「おい、…………待て」
「はい?」

「さっきから、何で拭いているんだ?」
「何って、そこにあった雑巾だけど」

  唐突に指摘され首をひねる。
 この雑巾、さっき机の上から拝借した物だけど問題でもあるのかしら。
 絞って折りたたまれた布を広げ状態を確認した。

  ボロ布だと思っていたけどどうやら違う。
 しっかりとした縫い目が付いている。

「これは……ズボン?」
「そうだなズボンだ。……俺の、一張羅だ」

「……え?」

  凍りついた空気にようやく気が付いた。
 あたしったら、もしかしてとんでもないヘマやっちゃった? 

  ヤバいわどう取り繕えばいいんだろう。
 混乱する頭の中で言い訳を必死に探す。

「ごっごめんっっ後でちゃんと洗濯して返すから……」
「貴様がまともに洗濯を出来るとは思わん、結構だ……」

「そんなヒドイっ! だってこんなにきったない色なんだもんっっ
 あたしてっきり雑巾かとっ」

「何……だと?」

  ピキ、と亀裂が走ったような音がした。
 やだあたしったら、また余計なコトを。 火に油を注いじゃったかも、
 背後のオーラが炎のように燃えている……気がする。

「そっそんなに熱くなったらもっと熱上がるわよっ。
 そうだお水、飲みたくなると思って持ってきたの。
 少し飲んで、落ち着いて?」

  空気を和らげようとにこやかな顔を心がけ、早足で水差しを運ぶ

 ――床に転がっていた鉄アレイにつまずき、盛大に転倒した。

「いったーーーい! もうっこんな所に鉄アレイなんて
 転がしておかないでよっ!」

「…………おい」

「え?…………ひ、ひいいっっ」

  一層に低くなった声の方向へ目を向けると
 そこにはずぶ濡れになった彼の姿……
 手元から吹っ飛んだ水差しが、頭へクリティカルヒットしたようだった。

「…………」
「ごめっ……ごめんなさああい! 今すぐ拭きますからっ!」

  炎のオーラとは正反対の、氷のような視線……
 無言の怒りが怖すぎて、半泣きになりつつ濡れた顔を拭った。
 そう、ずっと握っていた、埃だらけの彼の一張羅で。

「……セーラー、ムーン……」
「あは、あはは……っ」

「貴様……俺に、嫌がらせに来たのか?」
「そんな事ないないない! あたしは一生懸命お手伝いしようとっ」

「今すぐ、出て行けーっっ
 
 
 

 
  風のようにそそくさと退散し、再び回廊を彷徨い出す。

「あーあ、失敗しちゃった……ルベウスに悪いコトしちゃったなあ」

  でもしょんぼりしてもいられない、今動けるのはあたしだけなんだから。
 次は気を付ける! うん! 

  ……だけどもうお掃除はやめておこう
 普段やらない事を無理にしようとしたのがダメだった。
 自分の得意な分野で活躍するのよ。

「あたしの得意な事、うーん…………あ、そうか!」

  本日二回目の画期的閃めき、ものすごくイイコトを思い付いた!
 そうと決まれば善は急ごう。燃える心を胸に秘め、ある場所を探し始める。

 
「うふふふ……」

  堪えても隠しきれない笑みを漏らし、弾む足で先を進んでいく。
 これで次こそはバッチリな筈。落とさないように、
 大切に運んで行かないとね。

  しばらくの時間を貰って仕上げた一品、これが今回の秘密兵器よ。
 手元を何度も覗き、完成品を眺めては達成感を味わう。
 そしてさっきと同じように見つけた扉を手当たり次第に叩いて
 人を散策した。

「だーれーかーいーまーせんかー」

ちょっと! うるさいわよっ静かにしなさいっての!

  急に怒鳴られ方向を確認する――少し先の扉から、
 女の人が顔だけ出して怒っていた。
 
 見つけた、次の助ける人! 
 
  にっこりと満面の笑顔を向けてじわじわ彼女へ近づく。
 なぜか相手は引きつった表情で応え、部屋の中に戻ろうと後ずさっていく。
  間に合わせる為に早足からダッシュへと切り替えて、
 扉が閉まる瞬間すかさず片足を突っ込んだ。

「ちょっと、あたしも中に入れてよ……っ」
「なっアンタ何のつもりよっ……アタシの空間に踏み込まないでっ」

「どうして、入れてくれないのおっ」
「何で……入りたいのよっ!」

「はっ話だけでも……聞いてえっ」
「結構だわ……っっ」

「ご、五分だけでもっ」
「強引な勧誘みたいな事してるんじゃないわよ……っっ」

  ぐぎぎぎと、拮抗する力でお互いの主張をぶつけ合う。
 そんな戦いも元気なこっちと弱った方じゃ時間の問題だ。
 半ば強引に押し切り、勝利を手にして部屋の中へお邪魔した。

「はい寝て、病人はさっさと横になるっ」
「勝手に侵入しといて何言ってんのよっ」

「いいからっ 寝・な・さ・い!」

  強気に接しておでこを突く。
 有無を言わさぬこっちの迫力にぽかんとした顔を返された。

  そんな彼女はエスメロード。
 普段はボディコンをバッチリとキメたお姉さんだけど、
 病人の今はイケイケオーラもすっかり消沈している。

  て言うか、寝巻きがフリフリレースの白いネグリジェなんて
 全然イメージじゃなかったわ。実は結構可愛い人なのでは。

「このアタシに何の用よ、セーラームーン……」
「用ですか? それはねえ、エスメロードのことが心配でさあ」

「はあ?」
「お見舞いに来たのよん、白衣の天使登場!て感じ?」

「け、結構よっ! 突然押しかけといて何を言……っ」
「はいはーい、寝てる寝てるー」

  彼女のお口に指を立てて黙らせ、
 ベッドに倒してお布団を首までかけてあげる。
  腑に落ちない顔をしつつも、あたしに従い大人しくしてくれた。
 自分もすぐ傍らに座って落ち着いてみる。

  ふふ、膨れたほっぺが可愛いんだから。

「悔しい……元気だったらすぐに息の根を止めてやるのに……」
「元気じゃなくて残念でした。ねえ、何かして欲しい事ある?」

「ないわ」
「お洗濯とか、溜まってない?」
「ない!」

「もう、意地っ張りなんだから。じゃあさあ……これ、どう?」

  そっと、手持ちのお土産の中から一つを取って前に差し出す。
 背を向けていた横顔が、興味をそそられチラリとあたしを見た。

「…………」
「何だと思う?」

「……甘い、匂い」
「ピンポーンっ女の子の大事な栄養源、甘い物! そうよこれは、
 うさぎちゃんのプリンでーすっっジャーン!」

  効果音と共に正体を明かしてウインクをする。
 あたしがさっき探していた場所はキッチンだったのだ。
 そこで作った一品が、この素敵なおやつってワケ。

  どうかしらこの気配りバッチリなうさぎちゃん、
 女の子受け間違いなしのお見舞い品よ!

「プリ……ン?」
「ただのプリンじゃあないわよ? 一口食べれば元気100倍! 
 うさぎちゃん元気印配合のプリンなんだから
 これできっと明日には体調も良くなるわ」

「プリンって、なあに……?」
「20世紀のおやつよ、甘くってとろけちゃうくらい美味しいの」

  あたしの熱いプレゼンにエスメロードも興味津々のご様子。
 いつの間にか身を起こしてただひたすら一点を見つめている。
 うずうずしているのが隠せてないわよ?

「プリン……甘いもの」
「ほら、一口食べてみて。ほてった体に冷たいプリンは最高よん」

「…………」
「はい、あーんしてあげる。お口開けて?」

  誘惑のひとさじを近づけ笑顔を向けた。
 実物を目の前に突きつけられ、彼女の心が次第に傾いていく。
 警戒しつつもゆっくりと口が開き、一口が入った。
 
 ――長い沈黙がしばらく続く。

  数十秒位微動だにせず止まっているんだけど、生きてる?
 感動しているのかしら。そんな事を考えつつ見守っていたら
 彼女にぴくりと反応が現れた。

  体が小刻みに震え出して見る見る顔が青くなっていく。
 最後には泡を吹き、ベッドへ盛大にダイブすると静寂が戻った。

「えっ……えええっ!」

  何が起こったのか理解ができず、オロオロと惨劇の光景を眺める。

  どうしよう死んだのかしら、でもあたし何か悪いことした……? 
 意識を確認しようと揺さぶってみたら、不意に黒目が動いて
 こっちを微かに捉えた。

「セーラー……ムーン……」
「だ、大丈夫……じゃないよ、ね……?」

「おま、え……何を、入れた……」
「え、プリンに? えっと、ココの食材よく分かんなくて……
 とりあえずキッチンにあったモノ色々使わせて貰ったんだけど」

「おのれ……毒を、盛った……な」
「ちょっ! ちがっ……違うよっっあたしそんなつもりじゃっ!!」

「今すぐ…………息の根を止めてやるうう!!
「いやあああっごめんなさああいっっ」
 
  
 
 
 
 
  エスメロードの部屋も一目散に脱出し、またもや放浪の旅に出始める。
 その後ろ姿にはもう、最初の頃の覇気はカケラも残されていなかった。

「はあ……あたしってばもう、どうしていつも失敗ばかりなのかな」

  あれだけヘマをすると流石に申し訳無さ過ぎる。
 役に立つどころかみんなの迷惑にしかなってない。
 やる気があっても空回りばかりだし、大人しく膝を抱えて
 隅っこで丸くなっていた方がいいのかも。

  トボトボと宛てもなく回廊を彷徨いどれだけ経ったか
 ふと前を見ると遠くからぼんやり薄明かりが漏れている。

  何だろう……用心しつつ足音を潜め、静かに近寄っていった。

  少し開いた扉から人の声が聞こえてくる。
 ブツブツと独り言を呟いているような……
 気づかれないようにそっと、顔だけ覗いて中を確認した。

  そこはまるで図書館のような場所
 天井まである高い本棚には難しそうな本ばかり。
 隙間なくぎっしりと並び、厳格な雰囲気を作っていた。

  壁は全て本棚で覆われている。
 だから図書館と第一印象で思ってしまったけれど、
 片隅に質素なベッドが置いてあるから誰かの部屋なんだろう。

  周囲が本に包まれたひときわ静寂な空間。
 その中央にある机の上が光源、そして部屋の主が独り言の本人だった。
  調べ物の最中なのか机に向かって俯いている。

  彼はサフィール……プリンス・デマンドの弟だ。
 普段から眉間にシワを寄せ難しい顔をしているけど、
 今日はいつにも増して真剣そう。

  机の上に数冊の本を並べ、顕微鏡みたいな器具を覗いては
 ページをめくって何かを研究しているみたい。
 片足だけ踏み込んだ状態でじっと、彼の様子を伺ってみた。

  いつもと変わらない格好……紺の上着に白いズボン、それと黒の革手袋。
 上着は首元まできっちり留めている。
 一番くつろげそうな自室でも一切隙を見せないあの感じ、
 真面目で几帳面なイメージにブレがない。
 調べ物なんかに熱中して、体調は良くなったのかしら。

  ううん、大丈夫じゃなさそう。頬も赤いし息も辛そうで、
 あれだといつ倒れてもおかしくない。

  どうして休まないんだろう……助けたくてうずうずしていた矢先、
 彼がふらつき机に突っ伏した。

「ちょっと! だいじょう……」

入ってくるな!

「えっあっ……」
「いいか、僕の領域に一歩でも踏み込むな……セーラームーン」

「気づいてたの……?」
「さっきから視界の端に入り込んで、気が散っていた。
 今直ぐに立ち去って貰おう」

  ムスっとした表情でこっちを牽制し、再び本に視線を戻す。

  相手にしたくないオーラがひしひしと伝わってくるなあ……
 そうは言われても、気になって仕方がない。

「具合、悪いんでしょ……寝てなくていいの?」
「構うな」

「あの、あたし元気だから何か手伝える事があったら」
「結構。水でも掛けられたら余計に熱が上がる」

「えと、何か食べたかったら作って……」
「毒を盛らてたまるか、止めて貰おう」

「……全部知ってるのね、あたしの失敗」
「ルベウスとエスメロードから報告は受けている。
 弱った我らに止めを刺す為、セーラームーンが徘徊している気をつけろと」

「何それひっどいわね! あたしを何だとっ」
「黙れ、頭に響く……」

  低い小声で叱られた。
 サフィール、本当に具合が悪そう。
 あたしみんなを助けたいだけなのに、中々気持ちが伝わらない。
 もどかしくて切ない。

「あの、悪いと思ってるのよ? 二人には迷惑かけちゃって。
 でも誤解だから、あたしは自分に出来る事がしたかったの」

「…………」
「みんな倒れて心配だったから、少しでもお手伝いが出来ればと」

「声を掛けるな、気が散る」
「あたし、どうしたら良かったのかなあ」

「此処は悩み相談室じゃ無い、さっさと出て行け」

「……はあい」

  全くもって聞く耳ナシ、視線すら貰えない。
 がっくり肩を落として出ていこうとした時、
 大きな溜息が後ろから届いて足を止めた。

「はあ……駄目だ、何故解からないんだ」
「ねえ、さっきから何をしてるの?」

「まだ居たのか、君には関係のない事だ」
「でも、もしかしたら何か役に立てるかも……なんて無理かなあ」

「解かる筈がないだろう、僕にも解明できない事案だぞ」

「……言ってみないと分かんないじゃん」

  きつく睨まれても今更だ、めげずに食い下がってみる。
 あたしのしつこさに根負けしたサフィールが、面倒臭そうに口を開いた。

「どうしても解からない」
「何が?」

「今回の、騒動の原因がだ」
「騒動の……原因?」

「調べているのさ、我らを襲った病魔の正体を。
 早々に突き止めて対処しなければならないのだが」
「だから無理して起きてたのね、それでもまだ見つからないの?」

「いや、病原体自体は発見した。どうやらウイルスが原因のようだ。
 しかし……それが何なのかまでは未だ掴めない。
 僕ですら理解不能な、未知なるウイルスの仕業だったんだ」
「何だか段々、オオゴトの話になってきたわね」

「この感染力の強さは侮れない、今後どんな症状が出るのかも不明。
 我らは、とんでもない事態に巻き込まれてしまったようだ」
「こ、こわい……っ」

「だから今、少しでも早く突き止めようとしている訳だが……
 さて君の見解はどうか、伺っても良いかな」

「……ごめんなさい、分かりません」
「だろうな」

  鼻で笑われて一層に小さくなる。
 結局あたしに出来る事は何も無かった。
 みんなに迷惑をかけただけのお騒がせ娘……
 
  でも知らなかったわ、そんな怖いモノにたった一人で
 立ち向かっていたなんて。
 サフィールってすごい、尊敬の眼差しを送ってしまう。

  そんな熱視線を気にもせず、彼は早速一人の世界に戻って
 独り言を呟きだした。

「このウイルス、何故こんなに古い型の遺伝子を持っているんだ。
 太古が起源の可能性も……もっと古い時代まで遡って調べれば……
 しかし現代では既に死滅している類のモノが何故、
 今になって復活したのだろう……
 やはり感染源を調べなくては、一体何処から……

っ駄目だ、分からなくなってくる一方だ……っ」

「はあ、感染源……感染源ねえ」

  邪魔しないよう適当に相槌を打って見守る。
 ひたすらに悩まされ空を泳ぐばかりだった彼の瞳が突然、
 ある場所でピタリと止まった。

  その先には
 ――ん? もしかして、あたしと視線が合っている?

「…………あ、」
「……え?」

  思わず漏れる感嘆の声。
 サフィールが、雷に打たれたような驚愕の顔で固まってしまった。
 何が起きたかさっぱり分からないあたしは、
 息を飲んで彼の次の言葉を待つしかない。
 
  サフィールの右手がゆっくりと正面へ上がっていく。
 人差し指が何かを見出して固定された。

「これ……か」

「……これ?」

  どれだろう、きょろきょろと周囲を見回してみる。

 見つからない。
 と言うよりも止まった指先を辿るその延長線上には、
 どう探してもあたししかいない。

 ……え、あたし?

「え……えええっっ!!」
 
 
 




「……っ……待て、セーラームーン……っっ」

「ふえーん! どうして追いかけてくるのおっ!」

  あれから一体何が起こったのか、事情を把握する間も貰えずに
 気が付けばサフィールとの鬼ごっこが始まっていた。

  画期的に何かを閃めいた彼は突然すごい勢いで椅子から立ち上がり、
 無言のままあたしに向かって駆け出して来たのだ。
  尋常ではない雰囲気に圧倒されてつい、その場から逃げ去り今に至る

「何故……逃げる……っ……」
「だって、怖いんだもんっ……いやあーっ」

  絶叫が回廊中にこだまする。
 何故逃げると言われても、追いかけられている間は止まらない。
 一体いつまで続ければいいのかこっちが聞きたいよ。

  そんな異様な事態に周囲が気づき出し、過ぎ去る扉から
 ルベウスとエスメロードが次々に顔を出した。

「お前ら、何してるんだよ……」
「ちょっと! うるさくて寝てられないじゃないっっ」

  状況が理解できず傍観している二人に、サフィールの一声が指示を出す。

「二人共……っ……彼女を、捕まえろ……っ!」


  鬼に二人が加勢して、拍車がかっていく追いかけっこ。
 こんな風に一体三なんてズルい、多勢に無勢もいいとこだ。
 哀れなあたしに救いの手は差し伸べられないの!?

「いい加減に……止まるんだっっ」
「あっあたしが何したってのようっ」

「何かしたから……追いかけられてるんだろっ」
「大人しく、捕まりなさいっ!」

「いーやーだあーーー!」

  病人との競争は体力ではこっちが有利、だけど向こうには土地感がある。
 やみくもに走っているだけのあたしとは大違いだ。
  結局最後は三方向から挟み撃ちにされ、袋小路に追い詰められた。

  三人がじわじわと距離を狭めて万事休すのあたしに迫ってくる。
 周りを囲む大きな影達、激しい息に揺れる肩、全身なんて汗だくで

 ……うん、みんな元気になったね。

「全く、手こずらせるんじゃないわよっアタシは病人なのよ……っ」
「で、こいつが何をしたんだサフィール……水でも掛けられたか?」
「あたし何もしてないもんっ本当だもんっ!」

「ああ、ようやく突き止めたよ……全ての真実が繋がった。彼女だ、
 セーラームーンが今回の騒動の元凶だったんだ!」

  ビシッと指されて宣言された。

  あたしが、元凶……? 
 何の冗談だろう、寝耳に水とはこういう事だわ。

  ルベウスとエスメロードも目を丸くして顔を見合わせている。
 あたしは壁に張り付いて固まったまま、サフィールの見解を聞いた。

「我らが感染した病原体の正体、それを突き止めようとしたが
 一向に解明は出来なかった。
 現存するウイルス菌のどの型とも不一致、起源が不明の未知なるウイルス。
 それはこのネメシス、いや30世紀の現代には存在しないモノだったんだ。

 感染ルートはおそらく彼女、
 20世紀の世界から持ち込んだ。そうとしか思えない!」

「セーラームーン……アンタのせいだったの!?」
「迷惑を振りまいていた奴が大元の張本人だったんだな、へえ……」

「ひ、ひえええ!」

  三人から向けられる冷たい視線……
 なんて残酷な事実を言い渡されたんだろう。
 ウソだと信じたいけどつじつまが合いすぎて反論も出来ない。

「全く、やっかいな奴を引き込んだもんだな、プリンスも」
「デマンド様に色目使って、アタシ達を全員潰そうと企てたわねっ」
「まさか、ブラックムーンを崩壊させる為に送られた刺客か?」

「無実ようっあたしは無理やり連れてこられたのにいい!」

  集中砲火で責められて泣きそう……
 どうしようどうしたら、謝れば済むって話でもないし。
 あたしったら、このまま袋叩きになる運命確定ですか? 

  ビクビクしながら下される判決を待った。

「さてどうするサフィール。こいつを隔離すれば俺達は治るのか」
「いや、彼女はウイルスの媒体にすぎない。今更隔離しようが無駄だ。
 もはや城の中全域、感染済みさ」
「この、疫病神がっっ」
「ご、ごめ……ごめんなさい……っ」

「それにしてもセーラームーン、何故君だけ無事なのだろう」

「…………はい?」

  サフィールが突然、腕を組んで悩み出す。
 あたしだけどうして無事かなんて、当然だけど知るハズない。
 難しい顔しちゃって、何か考えるトコロがあるのかしら。

「可笑しいとは思っていたんだ。どうして彼女だけずっと、症状が出ないのか」

「馬鹿だからだろ」
「バカだからよね」
「酷いわね! 馬鹿だけど風邪くらい引くんだからっっ」


「そうか、抗体だ……セーラームーンは既に抗体を持っているんだ」

「抗体……?」

  聞きなれない言葉を呟かれた。
 あたし自身に何か理由があって無事だったなんて、
 自分に自覚がないから全然ピンと来ない。

  だけど彼は確信したよう。
 瞳が大きく開き、声もトーンが上がっていく。

「過去に一度掛かるか、事前にワクチンを打っておけば
 それ以降は発症しない。もしくは掛かっても症状は軽くて済む。
 セーラームーン、ワクチンを打った事はあるか?」

「ワクチン……て、何?」
「ウイルスを弱毒化させた薬だ。それを血液中に注入するのさ」」

「それって注射の事? 注射なら、小さい頃いっぱいさせられて
 大泣きした記憶があるけど」
「その中のどれかの可能性が高いな……
 はは、最初から彼女が全ての鍵だったんだ。
 抗体を調べればワクチンが作れる、治療薬だって作れる筈だ」

  どんどん饒舌になっていくサフィール。
 解決策が見つかって、それはめでたいと思うけど。

  ええと、抗体を調べるという役目を担ったあたしは、
 それでどうなる運命なの?

「成程、何とか治療法は見つかりそうなんだな。
 ……でサフィール、どうすりゃいいんだ? こいつを切り刻むか?」
「ひい……っ」

「すり潰して、鍋で煮込めばいいんじゃない?」
「ひいい!」

「そうだな、とりあえず僕の部屋へ連れて行こう」
「ひいいいやあああ! 許してえええっ」

「怖がるなそこまではしない。血液を採取するだけだ、安心しろ」

  方法を軽く説明するとあたしに目配せをしてサフィールが歩き出す。
 このまま付いてこいって意味なんだろうけど……

  どうしても、足が動かない。そんな様子に彼らが気付いて振り返った。

「どうしたセーラームーン、急ぐぞ」


「…………ヤダ」
「は……?」


「ちゅ……注射、怖いいいい」

はあああ!?

  三人の大声がハモる。呆れた顔で見下ろされ、一層に縮こまった。
 緊急事態なのはわかるけど、突然言われても心の準備がスグには出来ない。

 こんなか弱い乙女心、どうせ誰にも分からないわ。

「ごめんなさい、あたしホントに注射苦手なの……っ」
「おまえ、ふざけんなよっ」
「本当に殺されたいのっ」

「だって、だってえ……っ」

「個人の感情に配慮している状況じゃない。とにかく君がいなければ
 何も進まないんだ。行かないのならば、無理にでも……」

  ジリジリとにじり寄って来る三人。
 一触即発の雰囲気に圧され、静かに後ずさった。

 今度の鬼ごっこは相当殺気立ってるわ、死闘になりそう……


「セーラームーンを……全員で、捕まえろ!

「いやああっ! 助けてえええっ!」






 

 
「ふえーんっどうしてこうなるのようっっ」

  あたしったら今日はずっと走りっぱなしだわ。
 もうそろそろ限界だけど今は捕まりたくない。
 注射は絶対嫌、その気力だけで逃げ続けた。

  少しは休みたいのにあたしを探す足音はどんどん大きくなっていく。
 どこでもいい、隠れる場所はないかしら。

  回廊の迷路をひたすら突き進んでどれだけ経っただろう。
 もう自分がどこを歩いているのか分からなくなった頃、とある場所に行き着いた。


  目の前の暗闇に、降って沸いたように浮かび上がる大きな扉。
 周囲には何も無く、ひっそりと佇んで特別な雰囲気を匂わせていた。

  何だか仰々しい……入ったら怒られそうな感じがプンプンするけど、
 そうも言っていられない。
  追っ手から逃れる為、意を決してノブに手をかけた。

  どうやら鍵はかかっていないよう。
 カチャリと軽い音がして、押したら難なく開いた。
 少しの隙間から侵入すると静かに閉める。

 
「す……すごい」

  中の様子を眺め、思わず溜め息が漏れた。

  まるでどこかの国の王様の部屋みたい……
 辺りには見たことのないような豪華な調度品がいっぱい。
 キラキラ輝いて心を惹きつける。
  つい近くで見たくなっちゃうけど止めておこう、
 万一壊したらとても弁償出来ないわ。

  忙しく視線を動かして部屋全体を把握する。
 奥の方に天蓋付きのベッドを発見、そこで人の気配も確認した。
  どうやら誰かが寝ている模様。
 衣擦れの音や軽く咳き込む声が聞こえてくる。

  どうしよう、勝手に入った事がバレたら追い出される。
 外の人達をやり過ごす間だけ居させて欲しい。
  とにかく静かに、なるべく息を殺して見つからないようにすれば。


  ガチャン!!
 ――後ずさった背後の家具にぶつかり派手な音が響く。

  あたしってば、どうしていつでもおっちょこちょいなの。
 こんなに大きな音を出したら気付かれて……


「…………誰だ……」
「ごっごめんなさい! ちょっと事情があって勝手に……っ」


「セーラー、ムーン……か」

「……はい?」

  低い声が囁くようにあたしの名前を呟いた。身元がバレている?
 正体を知っているあなたは誰なの……
  顔が見える位置まで接近し、人物を見定める。


「プ、プリンス・デマンド……!?」

  あまりに驚いてそのまま扉へダッシュで戻った。
 ぎゅっと身を固くし、警戒レベルを最大限に上げて息を呑む。

  どうしようヤバイ、何て偶然なのよ神様のバカっ! 
 行き着いた場所が、よりによってあたしを連れ攫った
 張本人の部屋だったなんて。

  外も危険だけどココもすごく危険だ、すぐに脱出しないと……
 焦る手元に力を込め、扉を開けた。


「ルベウス、セーラームーンは見つかったか……っ」
「まだだ……畜生、何処に行ったんだっ!」
「あーもうっ見つかったら絶対八つ裂きにしてやるわよっ」

 ――バタン。

  外は絶対ダメだわ、うん。
 でもこっちにだってあまり長居はしたくない。
 どっちもどっちだけどまだ、ココでじっとしている方がマシかも。

「どうした、セーラームーン。何か、あったのか……」

「…………」

  ちらりと後ろのベッドに視線を送った。
 あたしが一人でアタフタしている間も彼は特に動かず、
 横になったままこっちを観察している。
 声は弱々しくて顔も赤い。

  ここまで具合が悪そうなら大丈夫かも……
 思い切って相談を持ちかけた。

「あの、今あたしサフィール達に追われてて……」

「……何故?」
「ちょーっと色々あってね。だからしばらく、ここに匿わせて欲しいの。
 部屋の隅においていただければご迷惑はかけませんから」


「……見舞いに来てくれた訳では、ないのか」

「はい……?」

  今何か、ぼそっと呟いたような。最後があまり聞こえなかったわ。
 でも、何故だか少しだけ寂しそうに見えるような……気のせいかな。


「好きに、すれば良い」
「えっ……いいの?」

「ああ。あまり、わたしには近付くなよ」
「うん、ありがと……」

  結構あっさりと許可が出た。
 特に何か条件を持ちかけられた訳でもないし。

  本当に具合悪いのね、お邪魔して申し訳ない。
 なるべく迷惑にならないよう、小さく丸まってその場に座った。


  心の片隅に緊張の糸を張り、静寂の空間で時が過ぎるのを待つ。
 雑音が極端に少ないと、どうしても互いの息遣いを意識してしまう。
 たまに聞こえる相手の咳で両者間の距離を測り、
 横目で様子を観察してみた。

  熱、高いのかな。酷い汗だし視線も虚ろだ。
 今回の件はあたしが引き起こした事のようだし、辛そうだと責任を感じる。

  何かお手伝いしようかしら、でも掃除は失敗したしなあ。
 そうだ、さっき作ったプリンが……うん、止めておこう。


「あのお……」

「……何だ」

「具合、大丈夫?」
「ああ……少し寝ていれば、治るだろう」

「ごめんね、ゆっくり休みたいだろうにさ」
「いや、寝ているのも中々に退屈でな……誰かと、話がしたかった。
 そなたが来て良かったよ」
「え……っ」
 
  ドキッと胸が振れる。
 びっくりした、そんな風に言われるなんて思ってもいなかったから。
  どこに行っても失敗して、出て行けとばかり言われてきたから素直に嬉しい。
こんなあたしでも出来る事があったのね。

  何だかちょっと照れくさい。そんな雰囲気が相手にも伝わったのか、
 彼も軽く微笑んでくれたように見えた。

「しかし、何と言う格好をしている……そなたに仕立てたドレスが
 酷い有様ではないか」

「ごめんなさい……って待って、あたし専用のドレスだったの!? 
 汚しちゃったのは申し訳なかったけど、
 みんなの看病をするのに長い裾も後ろのリボンも邪魔でさあ。
 もうちょっと動きやすい方が嬉しいかも」

「看病……?」
「うん、元気なのはあたしだけだし何かお手伝いしようかなと思って。
 そしたらいっぱい失敗して……返って怒らせちゃったよ」

「成程、それで皆から追われていたと……」
「あーうん……まあ、それもあるのかもねえ」


「……すまなかったな。そなたを、一人にさせてしまった。
 心細くもなったろう」
「えっいや、そっそんなこと……
 ってちょっと待って、あなたがあたしをこんなトコロに連れて来たから
 苦労してるのよ? ソコ謝るくらいなら今すぐに地球へ帰してよっ」

「それについては謝らない。わたしは、したいようにしただけだ」
「なっ! 何よその言い方っ!」

  彼の言い分にテンポよく突っ込んで怒る。

  あれ、あたしったら結構会話を楽しんでる? 
 最初はぎこちなかったけど気が付けばごく自然に接していた。

  普段はどうしても相容れないあたし達だけど、こんな時くらい
 休戦して和やかにするのもいいかもしれない。
  緊張を少しだけ緩め、大きめに声を掛けた。

「ねえデマンド、ここだと声が遠いし、もう少しそっちに行くよ」

「駄目だ、それ以上は来るな」
「でも、声が届かないでしょ」


「……移るだろう」

  あ、だからさっきから近寄るなって言ってたんだ。
 優しい所あるじゃん、少し見直したわ。

  だけどそこはあたしに限りクリアしている条件だったりするのよね。
 ふふっと笑ってベッドの方へ移動した。

  枕元まで辿り着くとにっこり笑顔でデマンドを覗く。
 忠告無視のあたしに、彼は呆れ顔で溜め息をついた。

「わたしの言葉が聞こえなかったのか……馬鹿め」
「馬鹿だもん、なんてね? 実は大丈夫なのです! 
 あたしにはこの病気、移らないみたいでさあ」

「移らない……?」
「うん! だから安心して、近くでお話ししようよ」


「…………」
「凄く汗かいてるじゃない……
 って、どうしていつもの上着を着てるのよ。これだと寝づらいでしょっ」

  横になっているその姿に驚いて声を上げる。
 きょろきょろと部屋を見渡したらソファにマントが掛けてあった。

  この人、ずっと同じ格好しているのかしら。
 面倒くさがり? 寝巻きとかないの?

  汗でも拭いてあげよう、タオルを探す為にベッドを離れる
 ――突然横から右手を取られ、勢い余って前へつんのめった。


  一体何を……訳が分からず驚きの目を背後に向ける。
 そこで予想以上の熱視線に出迎えられ、一層にギョッとした。

  デマンドの高い体温が掴む指先から伝わってくる。
 対するあたしは変に緊張してじっとりとした汗が滲んできそう。
 沈黙の時間がぎこちなさを強調するのがいたたまれなく、慌てて話を切り出した。

「あ、あの……タオルを取りに行こうかと思ったんだけど、いる?」
「結構、それよりもセーラームーン……訊かせて欲しい」
「え、何を……?」

「移らないとはどう言う事だ、根拠はあると?」
「ああ、えっと……サフィールが教えてくれたんだけど、
 あたしには抗体? とか言うモノがあるみたいで。
 それのおかげで一人ずっと元気だったらしいわ」
「そうか、それは……何よりだな」

  キラリと、瞬間彼の瞳の奥に鋭い光が刺したのを見た気がした。
 それを見破る間も貰えず、気が付けばあたしは蟻地獄の如く勢いで
 彼のベッドに引きずり込まれていたのだった。

  倒れた背中をすかさず抱き込まれて拘束される。
 パニックを起こしているあたしは詰まる言葉に翻弄されて何も出来ない。

「ちょっ……なっっ!?」
「隙だらけだよ、セーラームーン」

「え、ええええっ!?」

  くすくすと、背後からあたしの失態を笑う声がする。
 何よ病人のくせに元気じゃない、どういう事よ騙されてたの? 

  ああもう、油断して近づくんじゃなかった。
 そんな後悔も既に遅いけど。

  振りほどいてやる……両腕に思い切り力を込めて抗ってみたけど、
 それ以上の強さで一層に締め付けられる結果となった。

「きゃっ……」
「じっとしておいで、わたしの腕の中で……」
「は、離し……っ」

  駄目だ、病人とは言え流石に力では敵わない。
 動く程に強く返され密着度が増していく。
  それでも何とか、首を横に振ってなけなしの抵抗は続けてみた。

  無駄でもやらずにはいられない。
 大人しく腕の中に収まっている自分を想像するだけで恥ずかしい。

  互いの主張が中々合わず、拮抗した時間が続く。
 その状態を打ち崩そうと先制攻撃を仕掛けたのは相手の方だった。

「……セーラームーン……」

「はう……っ!?」

  格別に甘い声が耳元で囁く。
 瞬間、胸の中がザワつき心臓が急激に動き出した。
 大量の血液が逆流を始め、体の熱を上げていく。

  く、口説かれる……そう直感させられてしまった。
 途端に意識がそっちへ向けられ、気もそぞろに心がうろたえ出す。

  何よこのやり方ズルい。
 たった一言で逆風が吹いてくるなんて思いもしなかったわ。
 一気に彼の罠にハマってしまったあたしに、もう反撃の余地はないのだろうか。

  対抗策が出ないまま、じわじわと魔の手が忍び寄ってくる。
 耳元に宛てがわれた唇が、甘い言葉であたしを誘った。

「触れたかった……ずっと、この肌に」
「っっ」

「遠ざけながらも、そなたへの愛おしさは募る一方だったよ」
「デマンド……っあの、はっ離し……っ」

「このまま、傍に居て欲しい」
「えっ……ええっ!」

「……駄目?」
「だって、そんな、あたし……っ」

  頭の中がごちゃごちゃのカオス状態で、何も返事が出てこない。
 しどろもどろの言い訳で場を繋ぐ事しか出来ないよ。

  ああもう、自分の内側で脈打つ音が煩わしい。
 気が散って考えに集中なんて無理だ、正常な判断が出来る状態じゃない。

  彼の罠は恐ろしい、力ずくでどうにかするより断然効くわ。
 あたし迷ってる……うっかりと頷いてしまいそう。
 だけど傍にいて欲しいってどこまでの意味なのか判断に迷う。
 このまま具合が良くなるまで添い寝的な意味なのか、それとも。

  ……いや、どっちにしてもダメだって! 
 悩む間も無くお断りするわ、さっきまでのあたしなら。
 
  どうして、心に迷いが出てきたんだろう。
 ハラハラばかりだった心の中にいつの間にかドキドキが追加されて、
 今やどっちの方が強いのか分からないくらいまで上がってきている。
  あたしの事を考えて遠ざけてくれた気持ちは嬉しかった。
 そんな優しさもあるんだって気付かされた。

  ――いやいや、何考えてるのよ今はときめいている場合じゃない。
 って、ときめいてないから、全然ときめいてなんかない! 
  同じようなツッコミが何度も自分の中でぐるぐる回って自分を悩ませる。

  もう嫌だ、恥ずかしくて死にたい。
 あたしのこの葛藤も、きっと彼に全部見透かされているんだ悔しすぎる。
 それを証明するかのように、後ろから微かな笑い声が聞こえてきた。

「一人で楽しんでいるな、わたしも混ぜろ……」

  混ぜません、混ぜたくない、混ぜるな危険。
 心の中で大絶叫をあげ、涙目で恥ずかしさに耐える。

  そんなあたしを慰めようと、右手が伸びてきて頭を撫でた。
 誰のせいでこうなったと思っているのか、知っててやってますよね?

「こうしていると安らぐ……熱の辛さも和らぐよ」

  後ろの頭が傾き重さがあたしに掛かってくる。
 ずっしりと背中にもたれかけられ、おかげで一ミリも動けなくなってしまった。

  いくら役に立つとは言え、こんな抱き枕的お役立ちはかなり困る。
 具合を使って攻めてくるなんてズルい、
 強く言えないのをいい事に好き放題じゃない。

  それどころか段々とイタズラは加速していき、
 最後には退屈と言わんばかりにあたしをくすぐって遊び出した。

  頭を撫でていた指先が、頬を伝って唇に触れる。
 少しの間感触を楽しむと肌を辿り、喉元まで下がっていった。

  すごく柔らかくて優しい触れ方……
 背筋から寒気がせり上がり、ぞくぞくと震えそうになってしまう。
 それを我慢すると喉が反射で生唾を呑み込み、彼の指先に直接教えた。

  あたしの感じている事全部、覗かれて晒されている。
 酷いよ、あたしまだ良いって一言も言ってないのに、
 恋人同士みたいに触ってこないで。

  すごく熱い……
 背中から伝わる相手の高い体温があたしを包んでじわじわと溶かしていく。
  色々な刺激に気をつけようと集中していると、
 神経が鋭く研ぎ澄まされてしまって返って体に悪い。
 耳元にかかる少しの息で反応し、うっかり喉の奥から声が漏れた。

「ふみゃ……っ」
「……ふふ、楽しい?」

「そ……んな、事……はううっ!」
「もっと夢中になって、深くまで堕ちてしまえ……」

「まっ待ってえ……っ!」

  何て事だろう、あたしのふがいない忍耐力のせいで
 彼の中に火が付いてしまった模様……
 懇願してみても許しては貰えず、激しい襲撃が始まってしまった。

  耳元の熱い息が引き下がり、背中に潜って露出した肌に吸い付き出す。
 何度も繰り返し執拗に、満遍なく愛撫をしていく彼の唇。

  次はドコをいつ攻められるのか……分からないのがすごく怖い。
 想像力を一層に掻き立てられ、聞かされる音と迫るくすぐったさに
 その都度鳴かされた。

「あうっ……やっ……いやあっっ」
「そうだよ、訊かせて……もっと……っ」

「はにゃっ……そ、そんなことまで……しちゃ、だめえっ!」

「そう、ならば……何処までならして欲しい?」
「えっ…………きゃっ!」

  背後が突然軽くなり、解放されたのかと思ったのも束の間。
 そのまま勢いを付けて表を向かされベッドに倒された。

  身を起こした人影があたしの上に乗り、天井の光を遮って覗く。
 驚きの瞳で見上げるあたしと、穏やかな瞳で見下ろすデマンド。
 互いが正面で見つめ合い同じ時を共有した。

  何も話せず、突然にらめっこでも始めたかのよう。
 我慢比べが長引くだけこっちの方が不利になる。
 視線に縛られ、体はどんどん固まっていった。

「何処まで、して欲しい? セーラームーン……」
「デマンド……」

「言ってご覧、そうしてあげよう」

  情熱を奥に秘めた紫紺の瞳、それに釘付けになり離れられない。

  どうしようどうしたら……
 沈黙を続けていたらあたしの運命は決まってしまう。

  いやもう、既に決まっているのだとしたら。
 頭上の彼が、全てを分かっているように微笑みゆっくりと下りてくる

 ――ううん駄目、こんな風にされるのは、絶対嫌だ。
  唇が奪われる寸前で金縛りを解き、顔を背けて拒絶した。
 それで最初の攻撃は防げたものの、やっぱりあたしは詰めが甘い……

  正面へ無防備に露出した耳元を見せてしまい、結局そっちを攻められた。

「にゃあっ……やっ……やめてええっ」

「して欲しいと、言ってくれたのに……?」
「ちがっ……ちがうもんっ……ばかあっ!」

  生暖かい息で首筋を食み、唇を強く押し付けては
 あたしの肌に痕を残そうと画策するそのやり方。

  卑怯だわ、卑怯すぎる。
 さもあたしが望んでして貰ったように見えるじゃない。
 そして皮肉にも、こうされて初めて首筋が急所なんだと思い知らされた。

  感じ方が背中の比じゃない……どこを触られても敏感で、
 特に耳の傍を狙われた時には反射的に悲鳴が上がってしまいそうになる。
  そんな弱点を憎らしくもデマンドはすぐに見破り、
 ワザと突いてはヒクつくあたしを面白そうに眺めていた。

「デマ……やめっ……きゃあんっ!」

「可愛い……たまらないよ」
「んっ……だめっ……あんっ……やだああっ」

  こんな風に彼の思うツボで続けられたらたまったもんじゃない。
 意地悪なやり方に抗おうと唇を固く閉ざしてやった。
 そうして漏れる声を必死に堪えてみる。

「んっ……んんっ……んんっ」

「我慢しないで……訊かせて欲しい、もっと」
「んっ……はふっ……!?」

  何をされるのかと思ったら突然、震える唇を指先でこじ開けられた。

  何て強引なやり方をするのよこの人は……
 噛みちぎってやりたいのに力が上手く入らなくてどうしようもない。
 結局あたしは彼の気の向くまま、好きなだけ存分に鳴かされる事になった。

  このままずっと、遊ばれたらどうなっちゃうの? 
 何とか頑張って抗っては来たけど……あたしそろそろ、負けちゃうよ。

  被さる影が一層に重くのしかかり、それがトドメで逃げられない
 いやがおうにも覚悟が出来てしまった。

  ギュッと、デマンドの肩を掴んで弱々しく囁く。


「デマンド……あたし、もっと優しくして欲しい……お願い……」
 


  彼の動きを待ってどれくらい経っただろう。
 待てども一向に返答は貰えない。

 覚悟を決めたのに、どうして……?


「……デマンド?」

  おそるおそる声を掛けてみる。それでも沈黙は守られ続け、反応はなし。
 おかしいな? やっと異変に気づいて容態を確認してみた。

  息はしているけどゆすっても微動だにしない。
 半身をそっと横にずらすと、動かない体が脱力して滑り落ちた。

「えっ……えええっ!」

  何よもしかして……気絶してる? 

  ぐったりと眠っている頬を軽く叩いてみる、反応ナシ。
 髪の毛を引っ張ってみても全然目覚めない。
 額に手をあてて触ってみたら、尋常じゃないくらい熱くなっていた。

  じゃあ何つまり、この人ったら……体力ギリギリまで攻めといて
 倒れたってワケ?

「ばっ……ばっかじゃないのっ!」

  呆れた顔で見下ろし怒ってやる。
 そうよ具合悪いくせにあんな事無理にしようとするからだ、
 自業自得にも程がある。

  何て人よ全く、拍子抜けて一気に力が抜けちゃったわ。
 折角こっちは心の準備を決めてたのに。

  ……はっ! 何言ってんのよあたしったら。ないない、今の嘘!
 あのまま事が進んでいたらそうなっていたんだろうけど、
 結果あたしはギリギリの所で危機を免れた、勝ったのはこっち。

  でも、そうね。彼のあたしに対する想いは本気だったんだろう。
 それは信じてあげてもいい。あたしを庇ってくれたり、
 自分は瀕死状態なのに限界まで頑張っちゃったり。
 こんな事態が起きなければ知らなかった部分を見せられてしまった。

  ああもう、本当にこの人は。

「馬鹿なんだから……」

  起きないようにそっと頭を撫でる。

  忘れないであげる、その熱意。あたしに囁いた本当の想いを。
 そして……散々意地悪された恨みは絶対に忘れないわよ?

  そんな復讐に燃えるあたしに出来る最大の報復は、黙る事だと思う。
 最後の最後に囁いたあたしの言葉はきっと彼の耳には届いていない。
  もしかしてその前の記憶ですら、高熱の白昼夢だと思ってしまうのかも。

  一歩手前まで頑張ったのに、残念でした。

「安心してね、もう二度と言ってあげないから」

  隣でくたばっている人に向けて舌を出し、静かにベッドから抜け出す。
 平和な寝顔を眺め、ふふっと顔が綻んだ。

「今はゆっくりとおやすみなさい、デマンド。早く治りますように」
 
 
 






  数週間後、一同が久々に顔を合わせる機会が作られた。
 みんなの熱が下がり、回復に向かっている事が確認されたのだ。

  玉座にデマンドが腰を下ろすと周りを三人が少し離れて取り囲む。
 どの人も機嫌はすこぶる悪そう……
  あたしは集まってきた彼らを順に回り、顔を覗き込んでみた。

「……どしたの、それ」

  変化に気付いて質問する。
 4人とも全員、顔や手足に黒い斑点のようなプツプツが広がっていた。

  これが今回の騒動の要因?

「誰のせいだと思ってるんだ……」
「全く、アタシの玉の肌に何てことしてくれるのよ……っ」

「ご、ごめんなさい……でも、もうすぐ治るのよ、ね……?」

「発疹の色素沈着はじきに消えるようです。これでようやく、
 全てが終息するでしょう」

「それで原因は判明したのか、サフィール」

  ムスっとした顔のまま、普段通りワイングラスを傾けてデマンドが尋ねる。
 サフィールは手元に持っていた紙の束をめくり、軽く頷いて説明を始めた。

「はい、20世紀から資料を取り寄せて調べました。どうやらこれは
 麻しん、と言う症状のようです」

「マシン? ……機械?」
「君の国ではハシカとも言うようだが」

「ああ、それは聞いたことある」

  うんうんと納得した風に見せるとサフィールが溜め息をついて話を続ける。

「君は抗体を持っていたとは言え、こうして我らに感染している以上、
 多少は保有していた可能性がある。
 これから症状が出るかもしれない、検査を勧めよう」

「げっ……それってやっぱり注射って事?」

「残念だったわねえ、アタシ達を巻き込んだ罰だわ」
「注射は絶対にいやだああっ! あたし帰るっこんなトコもう結構よっっ
 居ても皆さんにご迷惑しか掛けないと思うので、
 そろそろ帰してくれませんかねえ!」

「駄目だ」
「どうしてよっ!」

「そなたのせいでこうなったからには、居て貰う義務がある。
 せいぜい楽しくこの地で暮らすが良い」
「どんな理屈よっ意味わかんない!」

  軽快なノリツッコミのようなやり取りにしか見えないこの感じ。
 そっぽを向いて話を流すデマンドが恨めしい。

「あたしを、タダ働きで一生こき使うつもりなのね……
 そんなの酷いわシンデレラだわっ
 城中のお掃除を、みーんなあたしにさせるつもりなんだわっ」
「止めろ、掃除は頼むから止めてくれ……」

「お、お洗濯や料理だってあたしに押し付けるんでしょっ」
「誰がアンタの毒入り料理なんて食べるっての!」

「も、もう……帰るううう! 早く帰さないとまた未知の病原菌を
 振りまくわよっ」
「……今度こそ息の根を止めるぞ、セーラームーン」

「ひいいい……っ」

  三人があたしを取り囲んで順番に突っ込んできた。
 鬼気迫るオーラの背景で、ご機嫌の直ったプリンスがくすくすと笑っている。

  何が楽しいんだか、意地悪そうなあの顔! 
 憎らしさをたっぷりと込めて睨んでやった。

  そんなあたしに最高の笑顔でお返しが届く。

「そなたは何もしなくて良い、此処に居るだけで充分さ。
 これ程、見ていて飽きない者もそう居まい? 
 おかげで退屈しないよ」

「バカー! あんたなんて……大っ嫌いっ!」

  ああ、このままいつまで囚われの身なんだろう……
 涙目で非情を訴えるあたしなのだった。